なぜバンコクのデモ隊がハム太郎を歌うのか?――「コロナ禍から見るタイ社会」イベントレポート

ゲンロンα 2020年8月7日配信

 コロナ禍における世界の状況と文化の問題について、現地の識者と議論する大反響のシリーズ「コロナ禍の世界から」。第1回はドイツ滞在中の歴史学者・高橋沙奈美、第2回はテルアビブ大学の山森みかに出演をいただいた。第3弾は『新しい目の旅立ち』が好評のタイの作家プラープダー・ユンとゲンロンカフェをつなぎ、ゲンロン代表の上田洋子、『新しい目の旅立ち』の訳者である福冨渉(7月よりゲンロン編集部所属)の2人が聞き手となった。
 日本でもTwitterで一躍話題となった「ハム太郎をシンボルに行進する若者のデモ」の映像。なぜそのような奇妙な社会運動が起こったのか。前半では福冨のプレゼンをもとに現代タイの歴史と社会運動の展開を学び、後半はプラープダーから最新の情勢を聞いた。(ゲンロン編集部)

 

動乱のタイ現代史

 

 タイは、70年代の民主化運動を経て、85年のプラザ合意により経済的な躍進を遂げ、90年代に中間層による文化の発展が進んだ。

 2001年に誕生したタックシン・チンナワット政権は、「低社会経済地位層」から絶大な支持を得たが、一方でムスリムへの弾圧や犯罪の過度な取り締まりなど、急進的な政策により都市の保守中間層からの反発を受けた。

 福冨によれば、タイには、貧困層に生まれるのは、前世で仏教の教えに背くふるまいをしたせいだと見なす思想があり、差別を助長する一因になっているという。こういった発想は、富裕層と貧困層の融和を困難にする。2006年に軍によるクーデターでタックシンが国外追放されて以降は、既得権層の反タックシン派(黄服デモ派)と都市や農村の貧困層が支持するタックシン派(赤服デモ派)の分断と対立が顕著になっていった。

 

 低所得層・タックシン派の赤服が主流であるタイ東北部の人口は、全土の三分の一を占める。政権を握った反タックシン・親王室派による赤服への弾圧は次第に過激化した。反発した赤服のデモが起こった2010年には、治安部隊が武力を持ってデモ隊を排除し、多数の死傷者を出しているという。

反タックシン派と軍事政権


 2011年の選挙では、タックシンの妹インラック・チンナワットが率いるタイ貢献党が過半数を獲得し、インラックは首相の座についた。しかし、その政策に反対する反タックシン勢力が、こんどは、2014年1月、「バンコク・シャットダウン」と呼ばれる大規模デモを展開することになった。主要な幹線道路を封鎖し、交通機関を麻痺させることで、国内には多大な混乱が引き起こされた。この混乱を鎮めるという名目で軍が出動し、鎮圧ののち、ふたたび軍事政権が樹立される。

 デモを起こした黄服派と軍は裏でつながっており、これらの動きはいずれも、政権を奪取するための茶番にすぎなかったのだ。このようにして、2014年に、事実上現在まで続く軍事政権が誕生することになる。

 

 軍事政権は表現の弾圧に乗り出した。この時期はちょうど、国王の代替わりのタイミングにもあたっている。70年にわたり在位し、国民の厚い信頼を得たラーマ9世が2016年に崩御し、次代の国王ラーマ10世が即位する。ところが、この新王の評判はとても悪かった。それゆえ、政権は国王の権威をスムーズに移行するため、王室不敬罪や煽動罪を盾に、活動家や学生を取り締まることになったのである。

 福冨によれば、この時期には現在のように、SNSによる政治運動は表立って行われていなかった。タイには「不敬罪」があり、王室に敵愾心を示すだけで罪に問われる。インターネットでの言説にも歯止めがかかっていた。

 その事態が動いたのが、2019年3月に行われた8年ぶりの総選挙である。タックシン系の勢力、軍事政権系の勢力がそれぞれ第一党、第二党となるなか、都市の新中間層を基盤とする新しい民主派勢力「新未来党」が大きく躍進し、第三党に躍り出たのだ。新未来党はSNSを活用し、既存の勢力に対抗しうる勢力として、若者たちを中心に支持を拡大した。

 

 

コロナ禍とタイ社会


 そして2020年、タイはこうした動乱の政治状況の中で、新型コロナウイルスに対面することになった。

 タイで初めての感染者が見つかったのは1月12日のこと。政府の対応に不満の声があがる一方で、2月21日に憲法裁判所から前述の新未来党の解党が命じられる。資金調達の違法性が名目とされたが、支持者は不当な弾圧と捉え、若者のあいだに不満が溜まり始める。

 3月には日本と同様、マスクやアルコールジェルが品不足に陥った。政府関係者によるマスクの買い占めや転売が発覚すると、民衆のあいだでさらなる不満が蓄積。ドイツに住み帰国しないラーマ10世への悪評も高まり、「国王は何のためにいる?」というハッシュタグが拡散され、ツイッターのトレンドに入るようになった。福冨によれば、このような現象は2019年以前には「ありえなかった」という。不敬罪の取締りが、コロナ禍のもとでこれまでより緩やかになっているらしい。

 

 

 5月13日に新規感染者がゼロになるなど、コロナの流行をいちおう抑え込むことに成功したタイ。ところが、このタイミングで、カンボジアに亡命していた民主活動家のワンチャルーム・サットサックシットが誘拐され、失踪するという事件が起こる。ワンチャルームはネットを通し、軍政や王室への批判を展開していた。6月後半には、2012年に暴走運転で死亡事故を起こしたのち、海外を転々としていたレッドブル創業者の孫が、十分な捜査も行われないまま不起訴処分になるという出来事が起きる。

 これらの事件を通して、政権への不信感がふたたび高まっていった7月初旬、こんどは外賓へのコロナウイルス対応の不備が発覚。エジプトの外交使節が本来定められている隔離期間を経ずにタイ国内を移動したのち、新型コロナへの感染が発覚したのだ。これが爆発寸前だった政府への不満に引火し、大規模なデモ運動が始まったのである。

 

アイコンとしてのハム太郎


 日本で話題のハム太郎デモは、このような背景のなかで生まれた。では、なぜハム太郎なのだろうか。

 

 日本生まれのアニメ『とっとこハム太郎』は、タイでは2005年にテレビ放送を開始している。いまのデモの中心である高校生、中学生にとって、ちょうど子どものころに見ていたアニメにあたる。それに加えて、2014年にはある掲示板サイトで「彼女が行為中にハム太郎を歌うのだがぼくはどうするべきですか」というスレッドが立ち、爆発的に流行。『ハム太郎』はタイではネットミームになっていたのだという。

 

 今回のデモではコロナ禍下ということもあり、SNSを通して、どのような民主化デモを展開するか若い世代のあいだで活発な意見交換がなされた。そこで出たのが、彼らにとってなじみぶかい『ハム太郎』を使うアイデアだった。あっという間にバナーが作られ、主題歌を歌いながら街中を歩くデモが始まった。日本人にとって驚きの光景は、このような経緯で生まれたのだった。

 

作家が見たタイ


 以上がイベント前半。後半ではバンコク在住のプラープダー・ユンがSkypeを介して出演し、最新の状況を語ることになった。まず、タイにおけるコロナウイルス感染拡大と非常事態宣言下において、プラープダー自身の生活にどのような変化があったのか、現地の状況を話してもらった。

 論点はそこから、コロナ禍における若者たちの運動へと移った。プラープダーは、民主主義と自由主義が根付かず、同様の問題を繰り返すタイの社会にマイナスの感情を抱きながらも、若者たちの訴えやそのスタイルに希望を持っているという。若年層が自律的にデモを行うのはタイの歴史上初めてとも言えることだ。1973年生まれの自身や、それより前の世代の方法論を踏襲することなく、前世代の人間たちから先導や指示をされることもなく、自分たちが興味をもつことができる、自分たちなりの新たな運動を生み出しているところに、可能性を見ているそうだ。

 

 また、プラープダーはいまの若者と自分たちの世代を比較し、彼らの運動は、タイ社会の問題の本質に触れていると話す。それはつまり、いままでのようにただその時々の政治家の行いを批判するのではなく、タイ的な保守主義そのものを変えようとしていることだとプラープダーは指摘した。若者が求める議会の解散、憲法の改正、市民の弾圧の禁止が実現し、公正な選挙が実施され、民主的な構造が確立されたときこそ、タイ社会は変われるのではないかと話す。

 ただ、プラープダーはこの状況を楽観視しているわけではない。現状から考えうる現実的な道筋としては、軍が若者たちの要求を受け入れるか、さもなければ暴力と衝突がふたたび起きるだけだとも述べる。

 ここで、会場にやってきた東浩紀から、プラープダーのいうタイ的な保守主義というものに関して、タイにおける男女格差や、フェミニズムの受容についての問いが投げかけられた。

 プラープダーによれば、今回の若者たちの運動の参加者に関していえば、女性の比率が高く、また、思想としてのフェミニズムも、女性の研究者や書き手を中心に継続的に受容されてきたそうだ。だがその一方で、#MeToo運動のように女性の権利拡大を求める社会運動は、タイにおいて広まっていない。性産業に従事する女性の社会的地位やイメージも、きわめて低い。女性の社会進出が日本と比べて大きく進んでいるタイゆえに、構造的な性差別や格差への言及やその視点がかえって欠ける可能性がある、そうプラープダーは指摘した。

 東からはさらに、タイ社会における「科学者 / 専門家」の立ち位置についての質問が続いた。新型コロナウイルスの感染拡大状況下で、日本においては「専門家」の意見が政治に大きく影響を与えた。だがプラープダーは、タイにおいては、政治的な動向を左右するほどの影響力をもつ科学者や医学者、専門家が存在しないと答えた。そこには、日本社会とタイ社会の大きな差が見て取れる。

 そして話は、プラープダー自身の創作活動に及んだ。『新しい目の旅立ち』を経て、『ベースメント・ムーン』や『立ち上がる自由主義』など、社会への問いかけを続ける著作を発表し続けているプラープダー。若者への希望を口にするプラープダー本人は、この運動とどう関わろうとしているのか。

「活動家」として運動に関わることは、決して自分の得意なことではないと答えるプラープダー。本来は芸術と文化に興味があった自分のような人間が、社会と政治についての思索に時間を使いはじめ、それが著作にも変化を起こしたのは、タイという場所に自分がいたからだと述べた。だからこそ、これからも自分の「得意なこと」――創作・執筆を続けていくとも。

 プラープダーの『ベースメント・ムーン』は『ゲンロン11』に、冒頭部の翻訳が掲載される。さまざまなテーマが含まれており、議論を広げることができるこの作品について日本で語る日を楽しみにしているというプラープダーの笑顔とともに、深夜まで続いたイベントは幕を閉じた。

 空虚な「アフター・コロナ」ではなく、具体性をもった未来を感じることができた夜になった。(清水香央理・福冨渉)


 ゲンロン中継チャンネルでは、番組をタイムシフト公開中(8月7日まで)。都度課金1000円で、期間中は何度でも視聴できます。以下の視聴ページからご覧ください。
 URL=https://live.nicovideo.jp/watch/lv327230813

プラープダー・ユン×上田洋子×福冨渉「コロナ禍の世界から#3 コロナ禍から見るタイ社会 ──「ニュー・ノーマル」の文学・政治・自由」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20200730/

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