適度な物語を求めて──「島薗進×五十嵐太郎 司会=辻田真佐憲 日本人はなぜ新宗教をもとめるのか──『新宗教を問う』刊行記念」イベントレポート

ゲンロンα 2021年3月8日配信
 日本人はよく、無宗教といわれる。しかし、それは本当だろうか? 宗教学者の島薗進氏が昨年(2020年)刊行した『新宗教を問う――近代日本人と救いの信仰』を読むと、それが大きな間違いであることがわかる。日本には多くの新宗教が存在しており、それらは時に政治などとも交わり、現代においても大きな存在感を放っている。
 この度ゲンロンカフェでは、島薗氏の新著『新宗教を問う』の刊行を記念し、島薗氏を招いて建築史家の五十嵐太郎氏との対談をしていただいた。司会にはゲンロンカフェではお馴染みの近現代史研究者の辻田真佐憲氏。五十嵐氏は、著書『新宗教と巨大建築』で新宗教が作り出した空間から新宗教を読み解いている。
 新宗教とはなにか。そもそも日本人にとって宗教とはなんなのか。白熱したイベントの模様の一部をお伝えする。(ゲンロン編集部)

 

居場所としての新宗教

 イベントは、日本における新宗教の歴史を大まかに説明するスライドから始まった。島薗の著作に沿って辻田が作ったもので、シラスの番組を購入すると特典としてPDFをダウンロードすることができる。

 

 

 新宗教は1920年台から60年代にかけて多様な形で流行した。霊友会や創価学会、生長の家のように、今なお大きな存在感を持つ組織が勃興したのがこの時期である。この時代、日本では農村から都市への人口の移動が激しくなっていた。農村では人々は地縁で結ばれていたが、都市では「つながり」が薄い。そのとき、新たなつながりを与えてくれたのが新宗教だった。島薗は、都市生活者の「居場所」の一つとして発展したのが、じつは新宗教だったのではないかと指摘する。とくに女性たちへ影響が強く、彼女たちは布教の大きな原動力になった。

 

新宗教の変容

 新宗教は、1970年代以降、社会が成熟すると居場所づくりという役割を引き受けることが難しくなっていった。そこで現れたのが、癒しやヒーリング、あるいは超越性を求める新たなニーズに応える新々宗教だ。1980年代後半から90年代に学生時代を過ごした五十嵐は、当時、大学のキャンパスで多くの新宗教関係者が布教活動を行なっていたことを振り返り、彼らを「隣にいる人」というイメージで捉えていたと語る。

 この流れの中で、世間の宗教に対するイメージを一変させる事件が発生した。オウム真理教による地下鉄サリン事件である。この事件をきっかけに、世間は一気に新宗教への抵抗感を強めることになった。人々はもはや、宗教に物語を求めることをやめてしまった。島薗は一部の宗教学者がオウム真理教を応援する立ち位置にいたことについても触れ、宗教学者という職業が持つ危うさも語る。

 著書に『新宗教と巨大建築』がある五十嵐は、新宗教に見られる壮麗な装飾に満ちた建築物は、カリスマ的な創始者が亡くなった後も、教団が拡大を続けた場合、「物語」そのものを提供することが難しくなったなかで、それを補填する役割を果たしきたのではないかと述べた。

 

“宗教的なるもの”の台頭

 では、現代人はもはや新しい宗教を必要としていないのだろうか。

 辻田は現代においても人々は宗教的な物語を求めているのではないかと述べる。「宗教的なるもの」を求める動きは、いまの日本でも多数みられる。たとえば、アメリカで急激に勢力を増したQアノンで注目される陰謀論(日本でも多数の信奉者がいる)や、若者を中心に多くの人々を集めているオンラインサロンは、ある意味で「宗教」といえないか。

 新宗教の勢力が衰えたかわりに、いまではそれら「宗教的なるもの」が新たな物語を人々に与えている。これを受けて島薗は、一般的に宗教とは見なされない「宗教的なるもの」を分析することも宗教学者の仕事なのだから、かつての学生運動や、スポーツの試合やアイドルのライブに熱狂する人々もまた研究対象にすべきだと答えた。そして、自身の研究経験から、「宗教的なるもの」に人々が惹かれることは一種の病かもしれないが、同時に人々を支えるものにもなりうるとも付け加えた。新宗教の現場にフィールドワークを重ねた島薗らしい分析である。

島薗進『新宗教を問う――近代日本人と救いの信仰』(ちくま新書)

適度な物語を求めて

 とはいえ、現代の「宗教的なるもの」は、陰謀論や過度な個人崇拝に傾きがちで、否定的な効果が大きい。

 島薗によれば、新宗教そのものも、政治との関わりを強めるなかで、いまではかつての「居場所づくり」という穏健な役割から変質してしまっている。新宗教はかつては多様な姿をしていた。辻田が指摘するような極端な物語のオルタナティブとして、新宗教が提供していた「適度な物語」はむしろいま必要となっているのではないか。

 人はどうしようもなく物語を求めてしまう。その現実を受け入れた上で、どのように適度な物語を作り出していくか。新宗教を学ぶことが一つのヒントになるのかもしれない。宗教学者が研究する範囲をなるべく広く考えて、包括的に「宗教的なるもの」について語りたいと島薗は述べた。


 3時間半にわたる議論では、登壇者と新宗教の関わりや、現代の日本における新宗教の意味合いまで幅広く話された。辻田からはゲンロンから出版されたばかりの新刊『新プロパガンダ論』に通じる質問もあり、普段のゲンロンのイベントに親しんでいる人にも考えるヒントになるところが大きいイベントだったと思う。敬遠されがちな新宗教に新しい視点で迫る白熱のイベントだったので、ぜひ動画で見てほしい(谷頭和希)。

 

 シラスでは、半年間アーカイブを公開中(税込990円)。ニコニコ生放送では、今後の再放送の機会をお待ちください。

島薗進×五十嵐太郎 司会=辻田真佐憲「日本人はなぜ新宗教をもとめるのか──『新宗教を問う』刊行記念」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210218/

 

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