「自分が見てきたものがなくなるのはありえない」──ゲンロンカフェ10周年記念第2弾! 放送スタッフ宇治川が語るカフェの歴史とスイッチングの極意

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webゲンロン 2023年6月9日配信
 ゲンロンカフェ10周年を記念して、長年カフェの放送を取り仕切ってきたベテランスタッフ・宇治川満へのインタビューが行われました。聞き手を務めてくださったのはシラスチャンネル「大シラス演芸場! 玉山・玉木の修羅場☆ラ☆バンバ☆出世魚」にて、企画・制作を担当する玉木青たまきせいさんと、講談師の玉田玉山たまだぎょくざんさん。インタビューの動画は、おふたりのシラスチャンネルからご覧いただけます。
 
ゲンロンカフェのブースに初潜入!機材の神「宇治川さん」に生配信の極意と「ブースから見たゲンロンの歴史」を聞く特別番組。
URL= https://shirasu.io/t/shirasuengeijo/c/shirasuengeijo/p/20230316145
玉木青 今日はゲンロンカフェの放送ブースにお邪魔して、イベントの放送と機材管理を一手に担う「U氏」こと宇治川さんにお話を聞きます。宇治川さんとゲンロンの出会いと歴史、そして配信のこだわりについてうかがいたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

宇治川満 よろしくお願いします。

この日はカフェの放送ブースから放送。右が宇治川、黄色い服を着ているのが玉田玉山さん、左が玉木青さん

U氏以前の宇治川


玉田玉山(以下、玉山) 宇治川さんは入社されて何年ですか。

宇治川 今年で5年になります。2018年の秋に入社して、しばらくして放送担当になりました。

玉木 入社前からゲンロンの番組はご覧になってたんですよね。

宇治川 もともとニコニコ生放送が好きで、サービスが始まった2007年ごろからよく見ていました。ゲンロンとの出会いは、2012年にニコ生思想地図★1の東さんと國分功一郎さんの対談を見つけたときですね。番組がとてもおもしろかったので、國分さんの『暇と退屈の倫理学』と東さんの『一般意志2.0』を読んでみたらこれもいい。じゃあほかの番組も見てみよう、といったかんじではまっていきました。ニコ生の「ゲンロン完全中継チャンネル」がちょうどそのころに始まったのもタイミングが良かったです。

玉木 チャンネルのヘビーユーザーだったと聞いています。

宇治川 チャンネルが始まったその月から会員になり、番組はほぼぜんぶ見ていました。

玉木 ほぼぜんぶですか!

宇治川 当然です。もちろん内容はおもしろいんですが、自分は当時からマイクなど機材周りのことも気になっていました。印象に残っているのが、東さんが福岡で出張配信をされたときに★2、ゲンロンカフェとはちがうマイクを使っていたことです。それがすごく東さんの声に合っていた。

玉木 声とマイクの相性ですか。

宇治川 どこのスタジオにも置いてあるような定番マイクなんですけど、「このひとの声はこのマイクがいちばんいいな」と感じたのを覚えています。いまゲンロンカフェで使っているのはそのマイクです。

玉山 映像ではなく音なんですね。当時から機材には詳しかったんですか?

宇治川 元々バンドをやっていたんです。その延長線上で録音のほうに興味がひろがり、楽器にマイクをあてたりしていろいろと実験していました。

昔から機材に興味があった宇治川が整備した現在の放送ブース
玉山 どのパートだったんですか?

宇治川 最初はギターボーカルでした。でも、歌うのが嫌でインストバンドになり、気づくと変拍子の曲ばっかりやるスリーピースになっていました(笑)。

玉木 (笑)

宇治川 その活動のなかでアルバイトをしながら自分で機材を集めて、知りあいのバンドの曲を録音したりもしていました。そこから2018年にゲンロンの求人を見つけて、いまにいたります。よく覚えているのが、ゲンロンカフェに勤務した初日に、会場のスピーカーが片方鳴っていなかったことです。

玉山 それは驚きますね。1個でも聞こえてるしいいかと。

宇治川 たぶんなにかを動かしたときに線が抜けたんだと思いますが、それに違和感を持つひともいなかった。ただ逆に、映像についてはゲンロンに入ったときにはなにも知らない状態でした。

スイッチングとはなにか


玉木 いまや宇治川さんといえば放送中のスイッチング(複数あるカメラの映像のうちどれを放送に乗せるかの切り替え)が印象的ですが、その経験はなかったんですね。

宇治川 まったくの素人で、なにをきっかけにスイッチを押していいかわからないという状況でした。それでも経験を積んでいくうちに、自分のなかで「こういうときに切り替える」というルールがいくつかできてきたんです。

玉木 具体的にはどんなルールでしょうか。

宇治川 ひとつに、「接続詞に注目する」というやり方があります。たとえば、東さんはよく「一方」や「他方」といった言葉を使うので、そのタイミングで話題の重心が切り替わることを予測してスイッチングする。英文のパラグラフ・リーディングみたいに、話題をいくつかのかたまりに分けて考えるやり方とも言えるかもしれません。接続詞はその目印のうちのひとつです。

玉山 いわば、話し言葉を文章のように捉えている。

玉木 たしかに、東さんは英文のようなしゃべり方をすると思います。「一方」や「他方」といった言葉で、「さっきとちがうことを言うよ」というキューを入れている。宇治川さんは、その構造を映像に移し替えているわけですね。

宇治川 やっぱり東さんがいちばん多く登壇されているので、東さんのリズムが体に入っているのかもしれません。でも東さんに限らず、登壇者はきれいにお話しされる方が多いので、同じようにきっかけはつかめます。

 余談ですが、このあいだ格闘家の朝倉未来さんが監修している「Breaking Down」の記者会見動画を見ていたんです。ときに相手に掴みかかったりしながら対戦相手を決めるはちゃめちゃな格闘技番組ですね。見ながら頭のなかでスイッチングしてみようとしたんですけど、すぐにこれは無理だと思いました。

一同 (笑)
玉山 そこでそんなに叫ぶか、みたいな。

宇治川 そう、脈絡がないんです。それに比べるとゲンロンカフェはまだ楽です。

 ほかのルールとしては、なるべく話を聞いている相手のリアクションを入れるというものもあります。これがとくに効果を発揮するのは、話がむずかしくて理解が追いつかないときです。そういうときに相手がうなずくリアクションが入ると、「ほんとうは追いついていないけど、ひとまず続きを聴こう」というノリをつくれる。

玉木 つまり、退屈になっちゃいけないということですね。講談でいうと「」を起こさない。

宇治川 そこで大事なのは目線です。ひとはしゃべっていると、どこかのタイミングで相手のほうを向きます。見られた相手は頷くので、それを狙う。なので、話し手の目線はつねに見ていますね。

玉木 なるほど。そうやって理解を促進するリアクションを挟んでいる。それはいわばリアルタイムの動画編集ですよね。

宇治川 そうですね。いま挙げたいくつかのルールは、要は映像の編集点はどこかということなのだと思います。

玉木 ゲンロンカフェはほかのイベントスペースよりも話題が複雑な瞬間もあるので、映像そのものに補助線が引かれているのは一視聴者としてすごく助かります。とくに5時間とか8時間ある長丁場の放送は、スイッチングがなかったらつらい。生放送の配信だと早送りもできないし。

玉山 会場ならまだもつんですけどね。

玉木 会場は単純に情報量が多いですからね。退屈だと思っても、聞き手の表情やほかのお客さんの反応を見ていられる。でも配信の8時間はスイッチングがないとむずかしい。

宇治川 ライブ感を出してわかりやすく補助線を引くのがスイッチングの大きな役割だと思います。もちろん、いくら対話の展開を予測しても外れることはあります。予測の6割から8割ぐらい当たればいいかな、と思いながらやっています。

玉山 「つぎは絶対にこっちがしゃべるやろ」というときにちがうひとがしゃべることもあると。

宇治川 はい。でも、勇気をもってポンと押すしかないです。どうせ100点は取れないんだから、まちがってもしかたない。

玉木 ぼくも放送をやっているのでわかりますが、生で映像を切り替える瞬間ってめちゃくちゃ怖いんですよね。話が一区切りついたと思ってもまだ同じひとがしゃべるかもしれないし、相手が振られてもしゃべらないかもしれない。そのなかで決断をしつづけなきゃいけない。

宇治川 そうなんです。言ってしまえば、放送中というのは毎瞬間なにかしらの決断を迫られている状況です。

玉木 放送スタッフの側が「いまどこがおもしろいと思うか」を常に問われているようなものですよね。だから怖いし疲れる。でも宇治川さんみたいに条件に従ってルールを組み立てると、反射的に動けるようになってすこし楽になるのかもしれない。

玉山 いまや、われわれも宇治川さんの配信のリズムに慣れちゃってますからね。

宇治川 ありがとうございます。

登壇者との大縄跳び


玉木 宇治川さんからスイッチングの極意を聞けただけでも、今日は来た甲斐がありました。ところで、宇治川さんはそうした真面目な仕事の一方で、遊び心のある配信をされるときもありますよね。登壇者がなにかのフレーズを叫ぶ瞬間を狙って声にエコーがかかったりするのを覚えている視聴者は多いと思います。ほかにもぼくの印象に残っているのは、あるとき無観客の配信イベントが盛り上がりすぎて、深夜には5人いる登壇者が上手と下手に分かれて別々の会話を始めてしまったシーンです。そのときに音声を右と左に振り分けましたよね。

宇治川 ありました。あれはぼくも視聴者も困っているんです。2つの会話を同時に聴き取ることはできませんから。だから振り分けました。イヤホンやヘッドホンで聴いているひとは片方を外せばどちらかの話題を選んで聞けるので、もちろん実益を考えた判断ではあったのですが、ある意味で壇上への「ツッコミ」も兼ねていたかもしれません。

玉木 「現場が異常な状況だ」ということを技術的に教えてくれますよね。ただ、さきほどおっしゃったルールの範疇には収まらない。さっと実行に移せるのはどうしてでしょうか。

宇治川 自分としては、つねに壇上と大縄跳びをしているような感覚があります。ゲンロンカフェにはディレクターはいませんし、台本もない。そのなかでなにが最善かを瞬間ごとに判断していかなければならない。

この日の収録にも台本はなかった。WBC優勝の当日ということで、番組終盤では玉山さんが出来たてほやほやの「WBC決勝講談」を披露する。講談の模様は動画本編でぜひご覧ください


予定外で始まった講談にも迅速にカメラをあわせる宇治川
玉木 大縄跳びというのは、宇治川さんが登壇者と同じひとつの縄を飛んでいる感覚ですか。

宇治川 どちらかというと、縄を回すほうでしょうか。登壇者たちの動きを見極めて、さっと縄をくぐらせるというか。

玉山 生放送なのになぜいいタイミングでエコーをかけられるのか、毎回不思議に思っていました。大縄跳びのたとえは腑に落ちます。

宇治川 ただ、自分が壇上をコントロールすることにならないようには気をつけています。とくにスライドを切り替えたりするときはそうですね。

玉木 「早く次に行け」って意味ではないですもんね。

宇治川 そうそう。そうならないように自然なタイミングでえい、と。だから大縄跳びみたいだと思うんです。

玉山 なるほどなあ。

宇治川 ただ、副作用もあるんですよ。ゲンロンカフェではイベントが終わったあと、登壇者や会場に残ったひとが歓談する「アフター」が行われることがありますが、そこでソファーで話している東さんの声が聞こえると、放送は終わっているのに手が勝手にピクっと反応したり……。

玉木 それはたいへんなことですよ(笑)。脳ではなくて脊髄でスイッチングをしている可能性がありますね。聞いたことのない職業病です(笑)。

放送ブースから見てきたゲンロン


玉木 ここからは宇治川さんが見てきたゲンロンの歴史についてもうかがいたいと思います。入社されたときのゲンロンはどのような体制でしたか。

宇治川 入社した2018年の10月にはまだ代表が東さんだったのですが、年末には上田さんが代表になりました。

玉木 『ゲンロン戦記』にもある、会社がいちばんたいへんだった時期ですね★3。外から見ているファンとしても、大丈夫なのだろうかと思っていました。

ゲンロンを外から見守ってきた玉木さんと玉山さん
宇治川 当時はとにかく必死だったことしか覚えていません。自分はゲンロンのファンだった時期が長かったいっぽうで、入社してすぐにたいへんな状況に放り込まれたわけです。前任者はもう退職が決まっていて、引き継ぎ期間は1ヶ月もない。だけど、これは続けないといけないと考えていました。「ゲンロンの未来が云々」みたいな大きなこと以前に、まず放送そのものができなくなりかねない状態でしたから。

玉木 「なんでこれを自分が引き継がなきゃいけないんだ」とは思わなかったんですか。

宇治川 なによりも、自分がこれまでファンとして見てきたものがなくなるのはありえないと思っていました。そのときはアルバイトだったんですけど、だれに頼まれたわけでもないのに方針書を書いて、みなで話しあった記憶があります。放送はしないといけない。そして放送ができる人間は現実的に自分しかいない。

宇治川「これまでファンとして見てきたものがなくなるのはありえない」


玉木 いまとはちがう失敗もあったりしたんでしょうか。

宇治川 単純にクオリティが低かったです。映像は微妙に水平が取れてなかったり、ピントが甘かったり。一眼カメラとビデオカメラが混ざっていたので、色味も統一できていませんでした。

玉木 そんなドタバタのなかで映像を学んでいったわけですね。その後、だんだん体制も安定してきて宇治川さんも経験を積んだころに、こんどはコロナが来る。

宇治川 良くも悪くもコロナは大きかったですね。お客さんを入れられない状況が1年半ほど続いて、放送のやり方も大きな変更を迫られました。

玉木 有観客と無観客で、たとえば登壇者の方の話し方って変わるものですか。

宇治川 ぜんぜんちがいます。基本的に配信のみのほうが登壇者はリラックスするんです。お客さんの終電も気にしなくていいですし。そうすると時間は長くなりますし、場合によってはさっき言ったみたいに、左右でちがう話を始めたりします。ただ、そういうカオスな状態でも放送は続いているわけで、これを見るに耐えるものにするにはどうするかという点はすごく鍛えられました。

玉木 ルールと遊び心の両方を効かせた壇上の魅力的な見せ方は、むしろ無観客の大リラックス時代に鍛えられた。

宇治川 要するに、無観客の長時間イベントでは途中からアフターに入ってるような状況です。でも視聴者はいるので、どこかでネジを締めないといけない。そのときに、壇上と視聴者のあいだにいる自分になにができるのかと考えていました。

持続可能な放送へ


玉木 最後に、5年前といまを比べて、いちばん変わったと感じることをお聞きしてもいいですか。

宇治川 とにかく、世の中全体が動画配信の時代になったということですね。有料配信の文化自体が変わって、いまはトークもライブも2時間で3000円とったりするのがふつうになりました。結果的にゲンロンの放送は割安になっています。

玉山 時代のいたずらですね。それまではネット配信に数千円払うなんてまずなかった。それをとおして宇治川さん自身にも変化はありましたか。

宇治川 やはり会社が大きくなりましたし、1人では無理だなという感覚が出てきました。あるていどひとに振らないと回らない。新しくひとも増えたので、すこしずつ自分の仕事を任せるようにしています。まずは放送を担当できるひとを育てていきたいですね。

玉木 ご自身も映像はゼロから学ばれたから、ひとを育てるのは向いているかもしれないですね。放送スタッフにはどういう能力が求められるんでしょう。

宇治川 なにかあったときにとりあえず体が動くとことと、その場の異変にすぐ気づくこと。あと、体力も必要です。

玉山 芸事の弟子修行に必要なことと同じですね(笑)。

カフェのブースはとにかく体力勝負
玉木 新しいひとが入ることで、逆に宇治川さんが気づかされることはあったりしますか。

宇治川 あります。たとえば、いま座っているこの放送ブースの椅子です。これを買うまではもっと硬い椅子に座っていて、自分は「まあこういうものだろう」と思っていたんですけど、新しく入ってきたスタッフが「この椅子は地獄だ」と。

玉山 (笑)

宇治川 「これは買い替えるべきだ」と言われて、たしかにそうかもしれないと思って新調しました。いまは非常に快適です。

玉木 宇治川さんの体力だと硬い椅子でもいけてしまっていたと(笑)。ゲンロンの放送でもたびたび話題になっていますが、ラガーマンだったんですよね?

宇治川 小学校4年から高校3年までずっとラグビーをやっていました。父親は指導者で、兄も選手のラグビー一家です。ふだんの生活でも鍛えているのがあたりまえでした。それが関係しているかはわかりませんが、とくに疑問に思わなかったんですよ。前任のスタッフもその椅子を使っていたし。なんなら昔はカウンターに立って放送していたという話も聞いていました。

玉木 でも、昔のイベントは長くても3時間だったんじゃないですか?

宇治川 そうですね。さすがに8時間立っているのは厳しいです。

玉木 座っているのも厳しいですよ……(笑)。

宇治川 もう一度コロナ禍に話を戻すと、当時ゲンロンが募ったカンパ★4のことも深く印象に残っています。とはいえ完全な寄付ではなく、本をつけるなど、それなりの価値の商品と交換するかたちでした。いま考えるとその判断は正しかったと思います。当時はイベントが中止になったりして、損害が出ていたのはほんとうです。でも、シラスのリリースもあって、結果的にカフェの売り上げはコロナ禍をとおして伸びたんです。お金を受け取るだけだったら、あとから「あれはなんだったんだ」と言われてもしかたなかった。

玉木 たしかに、それは事業を自由にやっていくうえでリスクになっていたかもしれませんね。

宇治川 あくまで「交換」にこだわったのには、もちろん東さんの哲学が関係していると思っています。自分が10年以上前からイベントで聴いて、本で読んできた哲学が体で理解できた。この体験はなににも代えがたいですね。

玉木 最後にいい話が聞けました。どうでしょう、今日の登壇者としての経験は、今後のスイッチングに生かせそうですか。

宇治川 どうだろう(笑)。いざ自分が話すとなると、やっぱりが開くのが怖いし、たいへんですね。自分は普段からあまりしゃべらないので。ブースでスイッチャーを手にしているほうが向いていると思いました。

玉木 そうですか(笑)。今日は放送やスイッチングの極意から宇治川さんとゲンロンカフェの歴史にいたるまで、貴重なお話をありがとうございました。

宇治川 こちらこそありがとうございました。

 


2023年3月22日
東京、ゲンロンカフェ
構成・注・撮影=編集部

 


★1 2011年から2012年にかけて放送されたニコニコ生放送の公式番組。東浩紀が司会となり、毎回ゲスト迎える形式のトークイベントが、全8回にわたって放送された。
★2 東浩紀「『ゲンロン0 観光客の哲学』刊行記念 東浩紀連続講演──【ゲンロンカフェ2017夏出張版 第1日福岡編】(主催:ジュンク堂書店福岡店+ゲンロン)」、2017年6月30日。URL= https://genron-cafe.jp/event/20170630/
★3 2018年の11月から12月にかけて、ゲンロンでは社員の退社が相次ぎ、ついには東がTwitter上で社の「解散」を宣言するまでにいたった。その経緯については以下に詳しい。東浩紀『ゲンロン戦記』、中公新書ラクレ、2020年、208頁以下。
★4 2020年3月、COVID-19の影響でイベントの中止、延期が相次いだゲンロンは、支援金に応じてお礼の品を送るかたちでカンパを募った。詳細は以下の商品ページ。URL= https://genron.co.jp/shop/products/detail/265

玉田玉山

1990年、兵庫県生まれ。京都で劇団を旗揚げしたのち、無職を経て講談師・玉田玉秀斎に入門。「玉田玉山」の名で講談師に。 私小説風の新作講談「玉田玉山物語」を500本製作、また、ゲンロン戦記やゲンロン沼講談、水曜どうでしょう講談、政治家スーパースター列伝など、講談と「熱量が高いがニッチな沼」とのかけ合わせも精力的に行う。また講談の世界では珍しく、「笑い」を肝とする講談に定評がある。 (ツイッター)https://twitter.com/maruyamazukan?s=21 (修行note)https://note.com/tamada_gyokuzan/

宇治川満

1981年、福岡県生まれ。ゲンロン放送担当。好きなマイクはC451B。

玉木青

1991年、京都府生まれ。京都で学生劇団を旗揚げしたのち、出版社を経てイベント・配信企画を行う会社の代表取締役に。テレビ番組『水曜どうでしょう』ディレクター陣との仕事では「T木」を名乗る。 大シラス演芸場では、玉田玉山に伴走する「芸人の編集者」のような立ち位置で、企画・製作・進行を行う。 (T木ツイッター)https://twitter.co
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