【10周年企画番外編】新海誠をめぐる対話──「彼女の言うことはすべて正しい」の余白に|土居伸彰+東浩紀

シェア
webゲンロン 2023年9月20日配信
 ゲンロンカフェ10周年を記念して今年3月に行われた、アニメーション研究者の土居伸彰さんとゲンロンカフェの元フロアマネージャー・麻衣さん夫妻へのインタビュー。本編では幸せいっぱいなおふたりからお話をうかがいましたが、じつはそのインタビューのあいまに土居さんと東浩紀によるアニメ対談が勃発。新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』評にはじまり、宮﨑駿、庵野秀明といった巨匠たちからつながる日本アニメ史にまで議論は及びました。本日9月20日の『すずめの戸締まり』Blu-ray&DVD発売と「おかえり上映」開催(10月5日まで)にあわせて、その対話の模様をお届けします。(編集部)

『すずめの戸締まり』は名作か



東浩紀 すでに別の記事になっているとおり、ここまで土居伸彰さんの幸せな生活ぶりをうかがってきたわけですが……★1。せっかくお越しいただいたので、最新作『すずめの戸締まり』(以下『すずめ』)が話題の新海誠監督についても尋ねてみたいと思います。 

 土居さんは『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社新書、2022年)で国民的作家としての新海監督を論じ、『すずめ』についても高く評価されていますよね★2。けれどもぼくは複雑な印象を抱いています。国民的作家であろうと意識しすぎるあまり、新海さんが得意とする「セカイ系」的な良さが出ていないのではないか。映像表現としても、『秒速5センチメートル』や『君の名は。』で際立っていたMV的な演出が抑制されてしまっている。次のステージに進むために、長所を切り捨ててしまったようにもみえるのですが。

土居伸彰 ぼくも、過去の作風からの意識的な断絶には驚きました。ただ──先ほどのインタビューの表現を繰り返せば──新海さんがそれまで大事にしていたモチーフや演出は、じつは彼にとって本質的なものではなかったのだろうと思うようになりました。彼はこれまでの自分を捨て、地に足のついた作品を作ることを選んだのだと思います。自分が国民的作家になったことを意識したうえで、その責任を果たそうとした。ぼくはそこが素晴らしいと感じました。 

『すずめ』はまさに日本という国をテーマにしています。新海さんはもともと国文学に関心があり、初期の作品から日本神話を扱っていましたが、今回はその手さばきに舌を巻きました。東日本大震災をめぐる現代の話と、古代から続く神話的ロジックを非常にうまくレイヤーとして重ねています。いわば、根を張っている。これまでのMV的な──ある意味では「軽い」──リズムは不要だったのだと思います。 

 
 

 なるほど。けれども、震災と神話のモチーフの強調にも問題がありませんか。今作はいっけん骨太の物語を描いているようで、じつは非常に記号的な映画になっているのではないでしょうか。『すずめ』の旅は、主人公の住む宮崎市から始まり、愛媛から神戸、東京に渡って最後は石巻にたどり着きます。日本的な文脈を知っているひとであれば、宮崎が神話の舞台であることや、神戸が阪神・淡路大震災を経験したことをすぐに思い浮かべるでしょう。石巻はむろん東日本大震災の被災地です。 

 しかしそういう事前情報を知らないひとは、これらの地名からほとんど意味を読み取れないはずです。クライマックスで演出される、黒く塗りつぶされた絵日記の「3月11日」という日付についても同じことが言えます。あの日付に反応できるのはかなり現代日本に詳しい人だけなのではないか。つまり『すずめ』の物語は、重要なポイントで日本人だけが知っている記号に頼ってしまっているように見えるのですよね。 

土居 たしかに現代日本に生きているぼくたちはそれらの記号に反応してしまいますが、じっさいの海外の反応を見ると、普遍的な物語として受け止められている印象です。ベルリン国際映画祭でもメインのコンペティションに選ばれました。アニメーションではなかなかないことです。ウクライナのひとが自分たちの今の状況に重ね合わせるような反応もありました。『国民的アニメ作家の誕生』でも書きましたが、新海さんはもともとアニメーションを記号として使うことがとてもうまい作家です★3。空虚な記号をきちんと使えるからこそ、文脈を共有していない人にも開かれた作品になる。その点でも『すずめ』は成功していると思います。

 そうですか。海外のその反応は意外ですね。だとすればぼくが口を挟むのもおかしいけれど……。 

 老害な発言になりますが(笑)、新海さんは本来、それほど大きな市場で受け入れられる作風ではなかったと思います。近年の作品では『天気の子』はまさに新海さんの本領が発揮されたセカイ系映画でしたが、にもかかわらず140億円という驚異的な興行収入を叩き出した。それで十分だったわけで、それ以上に国民的作家になる必要があったのかなと思ったりします。 

 女性描写も「政治的に正しく」なってますよね。2016年の『君の名は。』をいまの視点で見ると、女性が走るときの胸の揺れの強調など、いかにもアニメ風です。それがこの6年で大きく変わった。『すずめ』の女性はみな自立した存在として描かれ、変なデフォルメもされない。記号的になったのはむしろ男性で、なぜか女性に人気の高い芹澤というピアスをした男性キャラクターがいたりする。 

土居 おっしゃることは分かります。ただぼくは世界のアニメーションの動向を見る仕事をしているので、日本でこういう作品が生まれたことを喜びたい気持ちでいます。これまでの日本のアニメは、とりわけ女性キャラクターの描き方について、あまりにも歪んだ表現に特化しすぎていた。『すずめ』はその歪みを是正し、日本アニメを国際的なスタンダードにつなぐことができた作品だと考えています。 

 とはいえ政治的な正しさに限らず、新海さんがある種の不自由を被っていることもたしかです。本当はハードなSFがやりたいらしいのですが、それでは売れないとプロデューサーから釘を差されていることを、twitter のスペースで話していたりもしました。『すずめの戸締まり』についても最初は女性2人のロードムービーにしたかったそうですが、「日本でヒットするにはまだ早い」とやはりプロデューサーから指摘があり、男女のペアに変えたようです。なので、我を貫くのではなく、責任を果たすために我慢している部分もある。 

 ぼくは新海さんと同世代で、若いころの彼を少し知ってもいるので、いまの彼が過度に不自由に見えてしまうのかもしれませんね。考えてみれば、そういった不自由さはぼく自身にも跳ね返っている問題で、歳を重ねるとさまざまなことに責任が生じ、自由にやることは難しくなる。それでも責任をとりながら大作に挑んでいるすがたは尊敬しています。

新海/庵野とアニメーション史



土居 責任といえば、東さんは『シン・エヴァンゲリオン』(以下『シン・エヴァ』)を、庵野秀明監督がこれまでの「エヴァ」シリーズの責任を取った作品として評価されていました。『シン・エヴァ』と『すずめ』の評価の差はどこからくるのでしょうか。 

 むずかしいですね。まあ第一には「エヴァ」がぼくにとって特別な存在だからなんだけど……。 

 ちょっとずらした視点で答えると、『シン・エヴァ』と『すずめ』で監督の立場が違うことは気に掛かりますね。庵野さんは株式会社カラーという独立した組織を作り、自分たちで作品の内容だけでなくビジネスの方向性全体をコントロールできている。だからこそ、戦後日本の特撮・アニメ文化が持つ異形性をそのままに、スケールを大きくして展開することが可能なわけです。 

 いわばカラーは「オタクがつくったジブリ」ですよね。スタジオジブリも宮﨑駿のやりたいことを大きなスケールで実現する組織ですが、宮﨑さんは少し前の世代なので作風も国際的に受け入れられやすい。それに対して1960年生まれの庵野さんは第一世代のオタクばりばりであって、すごく変わったことをやろうとしている。にもかかわらずそれを巨大産業に育てあげたというのは、これはもうほとんど奇跡に近い。ぼくとしてはそこにまず感動してしまう。 

 他方で新海作品では、内容こそ新海さんのものでしょうし、コミックス・ウェーブと新海さんの関係は特別なものがありますが、ビジネスとして主導権を握っているのはほかの人やスポンサーに見える。『すずめ』にマクドナルドのシーンが長々と入っているのは、けっして新海さんがビッグマックが好きだからではないでしょう。好きなのかもしれないけど。 

土居 (笑)。ただこれまでの巨匠たちと違って、新海さんはスポンサーや観客もふくめた、作品を取り巻くいろいろなひとと対話しながら作っている。そういうコミュニケーション好きなところも彼の良さだと感じます。 

 ぼく自身もゲンロンという会社で、いろんなひととコミュニケーションを取ることが求められる仕事をしている。その意味では、スケールこそ違いますが新海さんに近いこともやっています。でもそれだけに、庵野さんのやり方のほうが格好いいと思ってしまう。 

 

土居 時代の変化も大きく関わっていると思います。クリエイターの意志こそがすべて、という考え方が強権的だとも解釈されうる時代です。 

 そもそも日本のアニメーション史における立ち位置が、庵野さんと新海さんではかなり異なりますよね。宮﨑さんと庵野さんには歴史というか伝統の継承の関係がある。庵野さんは若いころにジブリに出入りしていたし、『シン・エヴァ』にもジブリのチームが関わっています。 

 他方で新海さんは個人制作アニメから出てきたひとで、商業ゲームのオープニングを作っていたとはいえ、アニメ産業の歴史との接続は薄いように思います。ぼくはかつてはその独立性こそが彼の強みだと思っていたのですが、それは彼を孤独にしているのかもしれませんね。 

土居 新海さんが国民的作家でありつづけるなかで、ジブリからカラーに続く「アニメ」史をどう引き継ぐのか、そもそも引き継ぐべきか否かというのは大きな問題ですね。その点で、『シン・エヴァ』のラストで成長したシンジの声を神木隆之介が担当したのは象徴的です。あれは神木隆之介を多く起用している新海さんへの、庵野さんからのメッセージだと思えました。 

 ああ、なるほど。それはそうかもしれない。 

土居 庵野さんたちが作ってきた歴史にピリオドが打たれて、新海さんがまた新しいアニメ史を始める、そういうエールが込められていたと思います。 

 いい読解ですね。ぼくはてっきり、「俺だって神木隆之介を使えるぜ」というメッセージかと……(笑)。 

 

集団制作から「独裁者の時代」へ



 新海さんと日本アニメ史の関係はむずかしいですね。たしかに『すずめ』にはジブリ作品やカラー作品へのオマージュがちりばめられている。でもあくまでも散発的なもののように見えます。一方で庵野さんは「特撮博物館」展を開催したり「アニメ特撮アーカイブ機構」の理事長を務めたりと★4、日本のアニメ史と特撮史を受け継ぐことにはっきり使命感を持っている。 

土居 逆に新海さんはアニメ史の文脈を引き継いでいないからこそ、万人に開かれていると言えるのかも。新海作品が大ヒットしているのは、これまでのアニメに親しみのない人にも届いているからだと感じます。 

 そういうスタンスが新しい歴史の起点になるかもしれませんしね。新海さんのスタイルを次世代に引き継ぐ動きはあるのでしょうか。

土居 新海さんと長年タッグを組むコミックス・ウェーブ・フィルムの川口プロデューサーは、「新海誠はワン・アンド・オンリー」だと言っていました。確かに、突然変異的な存在であって、歴史として引き継げるような存在ではないかもしれません。ただ、個人制作をアニメの歴史につなげるという意味では、ぼくは自分の会社ニューディアーでそういうプロジェクトを行なっています。いま東映アニメーションと組んで作っている『いきものさん』も、個人作家とメジャーをつなげるプロジェクトのひとつです。 

 宮﨑から庵野へという流れは、集団によって作られていた戦後アニメーション史の本流です。ぼくは個人作家をアニメ史に組み込む亜流の流れを作ることで、歴史をより豊かにしていきたい。アニメーション史を学んできた人間として、それがいますべき仕事だと考えています。 
  
 ぼくは新海さんの魅力は、やはりあのMVのような演出にあると思うんですよね。音楽と映像をコンマ数秒以下でぴったり合わせてコントロールするあの技術は、本当にすばらしい。もともとゲームのオープニングビデオを作っていたという個人的な経歴に由来するものでしょう。職人芸に近いものなので、集団制作の文脈からは出てきづらいかもしれないけれど。 

土居 まさにそのとおりです。別の角度から言えば、かつてのアニメーションでは作画にクリエイターの個性がでていましたが、新海さんの場合、作画のリズムをいかに切り刻み、自身のリズムへと再構築していくかで勝負している。新海さんは、その編集の時代の申し子です。 

 ぼくは自著の中で、新海さんの近年の作品は「巨大な個人制作」だと表現しています★5。ひとりですべてを作っていた初期と比較すると膨大なスタッフを抱えていますが、最初の脚本とビデオコンテ、そして最後の編集だけは絶対にだれにも譲らない。積極的にスタッフに指示を出していく庵野さんや、工房で制作をしている宮﨑さんとは対照的です。 

 集団制作によって担われていた日本アニメの歴史が、いまや新海さんの登場で切断されつつあり、今後は個人制作的な作り方が主流になっていくかもしれないと。 

土居 そうです。ユーリー・ノルシュテインは『草上の雪』という未邦訳の本のなかで、「アニメーションを作ることは独裁者の仕事である」と言いました。監督のビジョンこそがすべてなのだと。新海さんの場合、四方八方としっかりとコミュニケーションを取りながら、ときには表向きの妥協をしながらも、つまり表面的にはものすごく柔らかくニコニコとしながらも、一方でそういった独裁性もしっかりと背後に隠し持っている。個人作家がこの時代にいかに振る舞うべきかについて、学ぶべきところは多いです。 

 なるほど。土居さんの新海さんへの期待がよくわかりました。今日は批判的に響く意見も言いましたが、ぼくはいまの時代を考える上で新海さんは非常に重要な作家だと考えています。突発的な対談でしたが、とても有意義な話ができました。ではふたたび、本体である幸せ対談企画に戻ることにしましょう(笑)。 

 

2023年3月8日 

東京、ゲンロンカフェ 

構成・注・撮影=編集部

 


★1 URL= https://webgenron.com/articles/article20230526_01/ 
★2 土居伸彰「返事のない場所を想像する──『すずめの戸締まり』を読み解く」、『集英社新書プラス』、2022年11月11日。URL= https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/21956 
★3 土居伸彰『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』、集英社新書、2022年、102-107頁。 
★4 「特撮博物館」展とは、2012年に東京都現代美術館で開催された企画展「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」のこと。幼少期から特撮をこよなく愛してきた庵野秀明が博物館を立ち上げた、というコンセプトのもと、映画・TVで活躍したミニチュアやデザイン画など約500点の資料が展示された。その後、庵野はじっさいにNPO法人「アニメ特撮アーカイブ機構」を2017年に設立し理事長に就任。アニメと特撮の文化を後世に遺すため、資料のアーカイブやそれを活用した普及啓発などさまざまな活動を行なっている。 
★5 前掲書、第1章。

土居伸彰

1981年東京生まれ。株式会社ニューディアー代表、ひろしまアニメーションシーズン(ひろしま国際平和文化祭 メディア芸術部門)プロデューサー。アニメーションに関する研究、執筆、配給、イベント企画運営、プロデュースおよび制作に携わる。国際アニメーション映画祭での日本アニメーション特集キュレーターや審査員経験多数。著書に『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』、『21世紀のアニメーションがわかる本』(いずれもフィルムアート社)、『私たちにはわかってる。アニメーションが世界で最も重要だって』(青土社)、『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社新書、2022年10月発売)。2023年7月より企画・プロデュースするTVシリーズ『いきものさん』(和田淳監督)が、MBS/TBS系 全国28局で放送。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
    コメントを残すにはログインしてください。