友の会から(1) 観光、労働、コミュニティを再生する──嵐渓荘、大竹啓五さんインタビュー(前篇)

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webゲンロン 2024年1月1日配信
前篇
 ゲンロンの活動は支援組織「ゲンロン友の会」のみなさまによって支えられています。「友の会から」は、会員の方が普段どのような活動やお仕事をされているのかを紹介するインタビュー企画です。
 今回は2020年にミシュランガイド新潟で二つ星+を獲得し、JR東日本の「地・温泉」キャンペーンにも選出される新潟県三条市の名旅館「嵐渓荘」を経営する、大竹啓五さんにお話をうかがいました。
 嵐渓荘は本館が国の有形文化財に登録され、食事が新潟ガストロノミーアワード2023の旅館・ホテル部門を受賞するなど、各方面で高い評価を得る一軒宿です。2022 年にはゲンロン一同も社員旅行でお世話になり、その際の写真は昨年(2023年)の年賀状にも使わせていただきました。
 約1世紀の歴史をほこる名湯の主は、どのようにゲンロンと出会い、なぜ会員として支援を続けてくださるのか。徹底的に伺ったインタビューの模様を、前後篇でお届けします。(編集部)

ゲンロンとの出会い

──まずは友の会に入られたきっかけを教えてください。
 

大竹啓五 会員になったのは2019年です。サービスのお得さに惹かれたというよりも、ゲンロンを応援しようと思い入会しました。いまでも継続しているのは、会員や登壇者にいろいろなひとがいて面白いからです。

 そもそもゲンロンを知ったきっかけは、子どもの大学受験の赤本で、東浩紀さんの『観光客の哲学』が出題されていたことでした。「これは面白いな」と思って書籍を買い、そこからゲンロンを知り、多様な人々がわちゃわちゃと集まっているから首を突っ込んでみよう、と。
 

──お子さんの赤本を読んでいたんですか?
 

大竹 試験問題が大好きで、子どもの受験期によく一緒に勉強をしていたんです。日本史なんかは子どもよりもわたしの方が詳しくなるほどでした。とはいえ、試験自体が好きなわけではなく、世の中や人間の仕組みを勉強するのが好きなんです。どうして社会はこうなったのか、そこにどんな人間が関わっていたのか、過去の争いにはどのような起源があったのか。そういう「なぜこうなったのか」の追求が楽しい。

 だから自分の大学受験のころにも、入試問題を面白がって読んできました。当時はインターネットがなかったので赤本が貴重な情報源で、予備校の寮の近くの紀伊國屋書店でずっと立ち読みをしていましたね。いろいろな評論家や物書きと出会えるので、一番の楽しみは評論文を読むことでした。
 

──赤本を論文のアンソロジーとして読んでいたんですね。
 

大竹 その点ではいま『ゲンロン』や「シラス」を楽しんでいるのと変わらないかもしれません。ゲンロンカフェのイベントでも、思いがけない登壇者が現れますよね。自分の興味関心のあるものではないけど、話を聞いてみたら世界が広がる。そういうのが一番楽しくて、友の会を続けています。
 

──観光業に携わる大竹さんから『観光客の哲学』はどう見えたのでしょうか。
 

大竹 最初のほうに「ビジネスや観光研究に役立つ話を期待した読者は、ここで本を閉じるのがよい」と書かれた箇所がありますよね。わたしが引き込まれたのは、むしろそこを読んだときでした。当事者からすると観光業は水商売で、社会的に高い価値があると考えていなかった。「ビジネスや観光研究に役立つ話」ではない観光の話があるとは思っていなかったわけです。他方で自分の商売に、宗教でも自己啓発でもない指針が欲しいとは以前から思っていました。だからわたしにとって『観光客の哲学』はものすごく響いた。初めて自分の商売を思想と結びつけて考えることができました。
 

大竹啓五さん

渋谷のバーから嵐渓荘へ

──大竹さんは早稲田大学の哲学科が出身だとうかがいました。当時から哲学書には親しんでいたでしょうか。
 

大竹 じつはほとんど読んでいませんでした。クラスメイトに言われた「哲学は歳を取ってからやればいい、いまは考えるより感じろでしょ」という言葉が妙に印象に残ってしまい、いま振り返るとそれが人生に大きな影響を与えています。

 要は「いろいろ体験したほうがいい」というただの一言なんですが、わたしの大学時代には学業より社会経験が大事という空気があったんです。その風潮に後押しされ、わたしも渋谷でバーテンダーのアルバイトにばかり精を出していたのですが、そこで出会うひとたちと酒を飲み交わしてしゃべることが、とにかく面白かった。「接客業はじつに楽しい、わたしはこれをやるべきだ」と思いました。だから大学2年生のときに親父と話して「家業を継ぐつもりだ」と伝えました。
 

──大学生活の早い段階で決めたのですね。ちがう進路は考えなかったのでしょうか。
 

大竹 もしも家が旅館業でなければ、ほかの道もあったのかもしれません。ただ、現実にはあまり考えませんでした。子どものころに旅館業を手伝っていた影響もあって、自分を育ててくれた地元に恩を感じていたし、なによりバーのアルバイトで自分の内なる可能性を開発されてしまった(笑)。だからいまでも「主のふるまい」と称して、嵐渓荘のバーカウンターでのお客さんへのサービスを続けています。そのお酒出しや雑談も、商売目的というより、いろいろなひとと話したいというのが第一です。

 ゲンロンもまた、そういうひとが集まる場を提供してくれています。カフェのイベントやアフターは、渋谷のバーの空気を思い出しますね。ほかの会員の方も、そういうおしゃべりの場が好きなことは共通しているのでないでしょうか。いわゆる「ROM勢」のひとたちも、登壇者やユーザーが盛んに交流しているのを、ちょっと距離を取って微笑みながら眺めるのが好きなのだと思います。それは要は、ひととひととが出会う楽しさです。

 だからわたしは、大学時代のアルバイトから、ずっと似たようなことをしているのかもしれません。思えばいまは哲学書も読んでいるわけで、「哲学は歳を取ってからやればいい」も実践している。そういうふうに自分史を「訂正」している気もするけど、実感としては本当に、ずっと同じことをしているんです。
 

──ゲンロンの社員旅行でも「主のふるまい」をしていただきました。大竹さんはもちろん、ご家族や従業員のみなさまのホスピタリティにも感銘を受けました。
 

大竹 嵐渓荘は渓流沿いに佇む一軒宿で、わたしたち大竹家の家族経営の旅館です。家族経営というと、夫婦とおじいさん、おばあさん、それに子どもとパートさんが何人か……というイメージかもしれませんが、うちは株式会社化して正社員を20名ほど抱えています。本館が木造三階建てで掃除する手間がかかったり、お風呂の数も規模のわりに多かったり、また料理も板前を置いて個室で食事提供するようにするなど、宿をソフト面でレベルアップさせていくなかで、自然とそうなっていきました。昔はもっとたくさんのスタッフがいて、地元の高校生が週末や忙しい時期にアルバイトに来てくれたりもしたのですが、いまはうちだけではなく地域全体が働き手不足ですね。
 

──嵐渓荘の本館は国の有形文化財に登録されているんですよね。
 

大竹 はい、1955年に燕駅前にあった旅館の建物を移築したものです。創業自体はもっと昔で、曽祖父の大竹保吉が2年かけて井戸を掘ったら、1926年(大正15年)にしょっぱい塩湯が出たそうです。鉱泉と認定されたのが1927年(昭和2年)で、その年に旅館を創業しました。もうすぐ100周年になります。
 

──どのような宿泊客の方が多いのでしょうか。
 

大竹 以前は新潟県内のお客さんが中心でしたが、時代によって変わりつつあります。かつては団塊世代のサラリーマンの社員旅行があったり、農家の方たちが大勢でいらしたりと、とにかく団体客が多かった。対応するためにパートさんをたくさん雇って、人海戦術で経営していましたし、薄利多売の宿泊料金でいまの半額程度の料金設定でした。

 そういう団体旅行が廃れていったのが2000年代です。じつは近県の温泉地ではこの時期に多くの旅館が潰れてしまったのですが、新潟県の旅館はほとんど潰れなかった。その理由は、新潟県人が県内の旅館をよく利用していたからです。
 

──このインタビューの前に、三条市の名物ラーメン店に連れていっていただきました。地元のお客さんで活気づいていたのが印象的でしたが、集まるのが好きな県民性なのでしょうか。
 

大竹 農村文化で、町内会や老人会も盛んな地域ですから、それはあると思います。わたしは大学卒業後しばらく東京で働き、地元に帰ったのは1997年で、県内からのお客さんの全盛期でした。景気が悪かったとはいえ、宴会自体はお金がかかるものではありませんので、毎年同じ時期に、同じようなお客さんが、ぐるぐると県内の旅館に来ていたんです。

 けれどわたしは、バスの送迎をしながらお客さんを観察して「これは長くは続かないな」と思っていました。新しいひとが入ってこないからです。当時わたしは20代後半でしたが、同世代のひとがそうした地元のコミュニティに現れない。地域や年齢によって強制的にコミュニティに参加する文化は、早晩なくなるだろうと思っていました。

 この観測には、わたし自身の、そうなってほしいという希望もありました。集まり自体は嫌いではないですが、一度しかない人生ですから、毎年代わり映えしないメンバーで集まっていてもつまらない。わたしと同じような感覚を持つひとが増えれば、地域コミュニティや家族との距離感は変わっていくだろうと思いました。

 だから嵐渓荘も、量から質重視の経営に変えることにしました。山に囲まれ、渓流がそばで流れる自然が豊かな一軒宿なので、そこをアピールすれば県外からもお客さんが来るだろう、と。現にいまは県外のお客さんの割合も高くなり、ありがたいことに、海外からのお客さんも多くいらっしゃいます。

 それで思い出すのが、大学の卒業前に後輩と飲んだときのことですね。将来について尋ねられ「新潟の旅館に帰るかな」と返事したら、「都落ちですね」とからかわれた(笑)。こちらも「バカ、スカンジナビア半島からひとが来るような旅館にするんだよ」と冗談で返したんですが、実際にそうすることができました。(後篇に続く)

嵐渓荘

2023年11月15日
新潟、三条市図書館等複合施設「まちやま」
構成・注・撮影=編集部

「越後長野温泉 嵐渓荘」の公式ウェブサイトは以下のリンクからアクセスできます。
URL= https://www.rankei.com
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1 コメント

  • tomonokai80432024/01/04 14:55

    こういう企画待ってました! 嵐渓荘さん(大竹さん)のことを改めて知れてうれしい。 ゲンロンを知ったきっかけがお子さんの赤本っていうのがまたいいですね。誤配! インタビュー記事も写真も、いいなあ。 バーから旅館って、村上春樹っぽいとか思いました。お話を聞くのが好きっていうのも。 後編も楽しみです。

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