友の会から(1) 観光、労働、コミュニティを再生する──嵐渓荘、大竹啓五さんインタビュー(後篇)

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webゲンロン 2024年1月5日配信
後篇
 ゲンロンの活動は支援組織「ゲンロン友の会」のみなさまによって支えられています。「友の会から」は、会員の方が普段どのような活動やお仕事をされているのかを紹介するインタビュー企画です。
 今回は2020年にミシュランガイド新潟で二つ星+を獲得し、JR東日本の「地・温泉」キャンペーンにも選出される新潟県三条市の名旅館「嵐渓荘」を経営する、大竹啓五さんにお話をうかがいました。
 嵐渓荘は本館が国の有形文化財に登録され、食事が新潟ガストロノミーアワード2023の旅館・ホテル部門を受賞するなど、各方面で高い評価を得る一軒宿です。2022 年にはゲンロン一同も社員旅行でお世話になり、その際の写真は昨年(2023年)の年賀状にも使わせていただきました。
 約1世紀の歴史をほこる名湯の主は、どのようにゲンロンと出会い、なぜ会員として支援を続けてくださるのか。徹底的に伺ったインタビューの後篇をお届けします。(編集部) 

中小企業経営と労働の価値

──嵐渓荘を経営するうえで、ゲンロンに中小企業としてのシンパシーを感じることはあるのでしょうか。
 

大竹 それはあります。じつはわたしが家業を継ぐ時期には親世代による負債があり、うちではこれを「平成の大借金」と呼んでいます(笑)。家業を継いだのは、それをなんとかしなければならないという理由もあったんです。だから、負債を背負い、会社を経営しながら責任を取る苦労が語られる『ゲンロン戦記』は、身につまされる思いで読みました。独立して、どこからも援助されず、負債を抱え、それでも社員を雇い、前に進んでいくしかない。わたしは東さんと同じ1971年生まれで、同世代だということもあり、そのシンパシーは大きいですね。

 中小企業は大変ですよね。ゲンロンがどういうふうに資金繰りをしているのかはわかりませんが、放っておけばお金が入るタイプの事業でもないでしょうから、決して楽ではないと思います。社員さんもいまは若くて元気がいいですが、みなさん歳を取っていくし、それぞれの人生がある。そうすると、誰が残り誰がそうではないのか、いまの「院生チーム」のような新たな人材を引っ張り上げていくのか否か、つねに考え続けていかないといけない。そういうシビアな仕事だからこそ、働いていることを「楽しい」、あるいは「悪くない」と思わないとやっていけない。
 

──大竹さんはその大変さを引き受けて嵐渓荘を経営されているのですね。
 

大竹 逃げたいと思う時期もありました。接客業や地元が好きな気持ちに嘘はありません。しかし一方で「自分はこの地元から逃げられない」とも思いながらやってきました。借金のことで両親をなじったこともあります。

 じつは最近になって、親父が遺したノートを見つけました。そこにはなんと、銀行に事業計画書を持っていきなんとか事業をさせてほしいと借金のお願いをするさまが、克明に書かれていたんです。銀行のひとに「絶対やめた方がいい」と1時間半ほど説教されて、親父も家族もいったんはあきらめようとしていたのですが、そのあとに仕事が欲しいだけのゼネコンの人間が現れて、「銀行にコネがあるおれがいっちょまとめてきますから」とか調子いいことを言われたらしい。その人物に「融資が降りたからOKです!」と乗せられ、よせばいいのに大工事を始めてしまった。平成の大借金で苦労した身からすると「OKじゃねぇよバカ野郎」と当時の彼らに言ってやりたい(笑)。
 

 しかしいまとなっては、親の借金も悪いものではなかったと思います。しっかりとお金をかけて建物を基礎からつくり直してくれたので、いまもちゃんと使えています。あとになって親父に「どういう宿がつくりたかったのか」と聞いたことがあるんですが、「暖かくて過ごしやすくて快適に寝れる場所」だという返事で、なにもこだわりはなかったようです。そしてたしかにそれは実現しているな、と。
 

──ちなみに大竹さんならどのようなコンセプトを掲げるでしょうか。
 

大竹 「暖かくて過ごしやすくて快適に寝れる場所」ですね。
 

──先代と同じじゃないですか!
 

大竹 その気持ちは継いでいます(笑)。周りの自然環境が豊かなので、変な小細工をせずに、お客さんにありのままに過ごしてもらえるようにと思っています。
 

──とはいえ、そのうらには従業員の方のさまざまな気配りが必要だと思います。経営者として、従業員の気を引き締める指導をしたりされるのでしょうか。
 

大竹 わたしの場合はあまりないですね。掃除や接客の善し悪しはすべて形になって表れてくる。手を抜けばお客さんからクレームが寄せられますから、言わずとも自然に気を引き締めざるをえません。ただ、わたしの母親の大女将は、従業員の細かい動き、さぼり具合まで把握するスタイルで、彼女が仕切っていた時代には本当に宿のことをすべて一人で掌握するかんじで切り盛りしていました。そのスタイルがうまくいっていた時期もありましたが、従業員も人間なので毎日ベストコンディションを続けられるわけではありません。それにお客様に喜んでいただこうという気持ちではなくて、女将に怒られないように働くような面もありました。いまの時代、そういう戦場のような職場では、若いひとたちはついてこられないでしょう。
 

──その点も『ゲンロン戦記』と関係しそうなお話です。
 

大竹 これもまた「中小企業あるある」なのかもしれませんね。かつては、トップダウンで働かせるかわりに責任もメンツも上が背負う、というほうが、働く側も気が楽だったのでしょう。わたしの世代だと、そういう「昭和の匂い」というか、人間臭さに惹かれる部分もあります。ただ、それがいいことだとは限らない。
 

 ところで東さんは最近、『ゲンロン15』で労働について書かれていますよね★1。現代では奴隷のように働くひとはあまりおらず、多くの人間は単純労働もするけど、職場を離れれば客人にもなる。その考え方には、わたしたちのようなかたちでの労働従事者にとっての社会的価値を見出すヒントがあると思いました。観光業のような労働にも大事な価値がある──少なくともそう思いたい。
 

 いまは単純労働を悪いものと見なす風潮が強いですよね。先日、中学生の社会学習に協力したのですが、その打ち合わせの席で、新潟県の教育委員会としては中学生を対象に「起業家教育」をしたいという話を聞きました。それはそれで必要とおもいましたが、むかしの学校では、ひとのために汗水流して働くとか、嫌な仕事でもいとわないで頑張るとかが、「美徳」として教えられていました。それを擁護するわけではないですが、まったくなくしてしまうのは正しいのかと考えてしまいます。少なくとも、わたしは現場で働く人間ですし、テレビドラマなどで「美徳」を見て育ったので、コツコツ続けるしかない肉体労働にネガティブな気持ちはありません。子どものころから家業を眺めたり手伝ったりしていましたが、そこにはそれなりの喜びがありました。
 

 もちろん労働者は生活を維持していくためにどのぐらい給料をもらえるのかを考えるし、経営者はそのために付加価値をつけてのものを売らなければいけない。けれど、ちがう基準もあっていいと思います。単純労働を蔑んだり、「搾取」と批判する言説ばかりになると、携わるひとは当然つらいですよね。人間社会には、どこかで単純労働が必ずついてくるのだから、もっといろんな見方ができたほうがいい。人類全体が、昔はもっとおおらかに生きていたはずです。
 

 こう考えるのも農村で育った経験が大きいのかもしれません。農村は労働者だらけですが、みんな笑いながら仕事をしていました。辛いこともあるし、喧嘩もするけど、そうして社会は成り立っていました。
 

 とはいえ、形式的に労働の美徳を語ればいいとは思っていません。経営者の団体が発行するような小冊子を見ると、さまざまな現場の労働者の「喜びの声」が書いてある。それを朝のミーティングで読む会社もあるらしいですが、それはそれで労働を美化しすぎだと思います。
 

 いま、観光業界はとにかく人手不足です。コロナ禍によって最初に制限された職業のひとつだったので、不安定な仕事だというイメージがついてしまい、ブラック労働と言われることもありました。わたしはその評価は不当だと考えているので、それを払拭していきたい。わたしたちがやっていることは昔から変わらず、やりがいも喜びのある仕事のはずです。労働の蔑視と美化のどちらにも傾かないバランスで、それをどう伝えていくのか。いろいろなものを読んだり見たりしながら、試行錯誤をしています。
 

大竹啓五さん

友の会の今後と「亜インテリの逆襲」

──最後に大竹さんが今後の友の会に期待することをうかがえますでしょうか。
 

大竹 単純に会員の数が増えて、いま以上に多様なひとたちが集まる場所になってほしいです。運営側としては、集まる人々をどう楽しませるか苦労すると思いますが、人間は有意義な時間を過ごせるところにお金を払います。より濃い仲間と、あるいは登壇者たちとのコミュニケーションを取り、自分にとって意義あることにつなげたい、そう考えるひとは多いのではないでしょうか。

 わたし自身は経営者なので、とくに会員のみなさんの商売とうまくつながるような人脈が増えるといいなと考えています。鹿児島の「生うどんつちや」さんや東長崎の「やきとりキング」さんなど、自分で商売をされている会員の方たちがいますよね。そういうネットワークがさらに広がってほしいな、と。
 

──たしかに友の会にはさまざまな仕事をされている方がいます。それぞれの労働から離れてコンテンツを楽しむために、ゲンロンのようなサービスがあるのかもしれません。
 

大竹 まさにそれがわたしが言いたかったことです(笑)。単純に異業種交流会をつくればいいわけではないですが、わたしが入会した2019年ごろに比べて、ゲンロンもだいぶ変わってきていると思います。わたしは東さんがきっかけで友の会に入りましたが、最近だと「工藤拓真の『商売の哲学』」をはじめ★2、いくつかの社会系のチャンネルを月額購読しています。そういう意味でゲンロンは、きっと観客と一緒に成長しているのだと思うんです。

 もちろん観客も成長します。シラスが始まったタイミングに視聴者となったユーザーは、最初はカントの「定言命法」だとかアーレントの「労働、仕事、活動」だとか、ほとんどなじみがない言葉だったと思います。わたしもそうでした。それがいまでは、さも日常用語のように、ユーザー同士の会話に出てくるようになった。「ゲンロンスクール」やZEN大学(仮称)(設置認可申請中)との共同公開講座も、観客を育てる事業のひとつだと思うので、そちらの展開にも期待しています。

 ただ重要なことは、会員数が増え、運営と一丸になって楽しんでいても、その世代が面白がっているだけでは先細ってしまうことです。先ほどの宿の話と同じで、新しく入ってくるひとたちは新しいものを必要としている。だから事業には冒険が必要で、コミュニティは絶えず「再生」をしていかなければならない。これはもう、接客業の宿命のようなものです。
 

 じつはわたしも一ファンとして、次の世代の会員たちを観客へと育てなくては、という気持ちがあります。それで今度、ゲンロン・シラスのユーザーが運営する非公式総会を新潟で実施し、わたしもその運営メンバーを務めることになりました。会場は嵐渓荘です。メンバーのひとりが、2023年のゲンロン友の会第13期の総会の熱さに心打たれて、「なにかやりたい」と動き始めた企画です。詳細を詰めるのはこれからですが、運営メンバーで飲んでいるときに降りてきた「亜インテリの逆襲」というテーマと、2024年9月28日(土)に実施すること、それに前回の非公式総会「ぶんまる」★3から引き継いで「嵐渓荘」の「らん」にも掛けた、「らんまる」という通称は決まっています。今後の情報を楽しみにお待ちください。
 

──最後にとても楽しみな話を聞くことができました。本日はゲンロンの活動を広げるうえで、多くの示唆と激励を受けたような心持ちです。どうもありがとうございました。
 

嵐渓荘の中庭

2023年11月15日
新潟、三条市図書館等複合施設「まちやま」
構成・注・撮影=編集部


★1 東浩紀が『ゲンロン15』に寄せた「哲学とはなにか、あるいは客的−裏方的二重体について」を指す。リゾートでの滞在経験をもとに、その時々でサービスを享受する側にも提供する側にもなる現代の人間の在り方と、その時代における哲学の役割を考察する。
★2 ゲンロンが運営する放送プラットフォーム「シラス」にて、ブランディング・ディレクターの工藤拓真が開設しているチャンネル。大学教授や作家を招いてブランド論を解説する対談や、哲学書やマーケティング理論を扱う読書会など、人文知とビジネスを架橋する番組を放送している。URL= https://shirasu.io/c/shobai
★3 正式名称は「ゲンロン・シラス非公式ミニ総会『人文マルシェ』ぶんまる('ω')ノ」。ゲンロンが年に一度開催している「友の会総会」を東京以外の場所で、というコンセプトのもと、友の会会員・シラス視聴者の有志により主催された、初の「非公式総会」。2023年10月8日に福岡で開催され、大盛況のうちに幕を閉じた。
 

「越後長野温泉 嵐渓荘」の公式ウェブサイトは以下のリンクからアクセスできます。
URL= https://www.rankei.com
後篇

1 コメント

  • tomonokai80432024/01/09 13:21

    うぉぉぉ! 後編もすごい良い記事。もう嵐渓荘さん(大竹さん)のファンになっちゃいました。 本当にどうでもいいことですが、私の実家は、元は地方の旅館(すでに廃業)をしていて、3歳ころまではそこに住んでいました(記憶にないが、写真はある)。私の亡くなった祖母は超怖い女将だった(「血の小便出るまで働け」という名言があった…)とかで、商売は大変だなという感覚がインストールされています。 ゲンロンも商売という環境に身をさらし、紆余曲折ありながらも今に至っていて、そのストーリーに魅かれるものもあります。 嵐渓荘さん(大竹さん)の過去の話、ストーリーもゲンロンに近いものを感じました。 私は商売ではなく、医療・福祉系の仕事に従事しており、どちらかというと人の日常生活を支援するという意味では、単純労働に近い部分があります。労働という面で、嵐渓荘さん(大竹さん)の考えは、自分にすーっと入っていくお話で、めちゃくちゃ良かったです。インタビュー者の方も『ゲンロン15』と絡めたり、本当にうまく引き出していて、すばらしい。 いい記事読ませていただき、ありがとうございました。

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