友の会から(2) 惣菜もシラスもインフラだ──やきとりキング、竹田克也さんインタビュー

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webゲンロン 2024年3月29日配信
 ゲンロンの活動は支援組織「ゲンロン友の会」のみなさまによって支えられています。「友の会から」は、会員の方が普段どのような活動やお仕事をされているのかを紹介するインタビュー企画です。
 第2回は、豊島区東長崎の惣菜店「やきとりキング」の竹田克也さん。地域の日常を支える惣菜屋さんの二代目は、地元社会にも積極的にコミットしているのだとか。そこにゲンロンの活動がどう関わっているのかを伺いました。焼き鳥、哲学、そして竹田さんのベースにある音楽や横浜ベイスターズまで、等身大で語っていただいたインタビューをお届けします。
 やきとりキングの美味しい焼き鳥は、3月30日(土)に開催される第14期友の会総会「人間拡張」でも振る舞われますので、ぜひお楽しみに。(編集部)

「普通にうまい」ことの矜持

──「やきとりキング」は西武池袋線の東長崎駅にある惣菜屋さんです。昨年の「ゲンロン友の会総会」では焼き鳥をご提供いただき、大変好評でした。まずはお店についてうかがえますでしょうか。
 

竹田克也 店を始めたのはうちの父親です。もともと「やきとりキング」という屋号はフランチャイズで、加盟店募集のときに、付き合いのあったひとに誘われたのが開店のきっかけだったらしいです。でも最初の数年でフランチャイズの大元がなくなって、以降は独立した店舗としてうちだけが残りました。いまでは両親とぼく、スタッフ1名の4人で店を回しています。
 

──お父様から続くこだわりはあるのでしょうか。
 

竹田 お客さんの暮らしに根差した「普通にうまい」お惣菜をつくることです。どうしても、毎日のご飯を自分でつくるのって面倒くさいじゃないですか。だから地域のひとたちが、1週間のうちの数日だけでも手を抜けるよう、メインのおかずをかわりに用意し、ご飯を炊けばいいだけにしておく。それがうちのような惣菜屋の役割だと思うんです。「特別な美味しさ」はべつの高級なお店に任せればいい。うちは安全で美味しいものを提供するために、日々食材を仕込んで、焼いて、店頭に並べています。
 

──「普通にうまい」こそこだわりなんですね。味以外ではどうでしょう。
 

竹田 お客さんとのコミュニケーションは取るようにしています。惣菜屋はほかの飲食店とちがって、「滞在型」ではなく「通過型」の業態です。だからこそ、焼き鳥とお金の交換をしているだけじゃつまらない。たとえばお客さんがバンドTシャツを着ていたら「そのバンド知ってますよ!」とか、些細なことでいいので、なにかもうひとつの体験をしてもらえればいいと思っています。焼き鳥を買った感想が、「美味しかった」じゃなくて「楽しかった」になると面白いじゃないですか。
 

──やきとりキングの店頭には、ゲンロン刊行物のチラシを貼っていただいています。あれも会話のきっかけのためなのでしょうか。
 

竹田 そもそもうちがゲンロンとつながったのも、チラシの店頭掲示がきっかけでした。ゲンロンが大変そうだった2019年頃に、「なにか応援をしたい」と思い立って連絡し、チラシを取り寄せたんです。するとプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』に反応するお客さんがいて、話を聞いてみると「私、プラープダーの通訳をやっていました!」と言う。そのかたが写真をプラープダーに送って、本人が英語で「この右下を見てくれ、俺の顔がある!」とツイートしてくれた。そのことがきっかけで、ゲンロンのひとがやきとりキングを認知して、会員のひとたちも来てくれるようになったんです。
 

──あれはゲンロンとしても嬉しい驚きでした。やきとりキングさんには友の会会員証で割引になるキャンペーンもしていただきました。
 

竹田 あのキャンペーンのきっかけは2021年の友の会総会です。コロナ禍でオンライン開催だったので、登壇者と会員が入り混じってZoomで話すコーナーがあったんです。そこで弓指寛治さんと話すなかで、ふと「友の会の会員証をあまり使う機会がないな」と気がついた。それで友の会割引を始めました。

 そうしたら──日付まで覚えているんだけど──2021年11月3日にとつぜん「よっ」って感じで東さんがうちの店の前にあらわれた。そしてその日の夜の突発配信で、うちのことを紹介してくれたんです。逆にぼくがお客さんに友の会の話をすることもあり、実際に入会してくれたひともいます。

やきとりキングの店頭

ゲンロンとのふたつの出会い

──竹田さん自身はいつごろ友の会に入ったのでしょうか。
 

竹田 メールを遡ってみると「8期駆け込み&9期更新セット」で入会していたので、2018年から、会員になってもう6年になります。もともと東さんの読者だったので、普通に「お得だな」と思って購入したのではないかと思います。そこからはずっと更新をしています。
 

──当時だとちょうど「ゲンロン叢書」が始まったタイミングですね。
 

竹田 そうそう、「選べる単行本」が始まって『新記号論』を選んだんじゃないかな。友の会の特典だと「ゲンロンβ」も好きでした。全部の連載を読めていたわけではないけれど、月一回配信で、ちょうど良い分量で。なかでもさやわかさんの「愛について」の連載が好きでしたね。
 

──ゲンロンや東浩紀はいつ知ったのでしょう。
 

竹田 じつはぼくは東さんには2度めぐりあっているんです。
 

──というと……?
 

竹田 最初の出会いは2010年前後でした。仕事がらもあり、ぼくはもともと、地域の自治とかに関心があったんです。地域通貨をやっているひとたちのグループに顔を出したり、宮台真司さんや内田樹さん、山崎元さんや飯田泰之さんの本を読んだりして勉強していました。mixiに書いた日記がきっかけで、NHKの「日本の、これから」という視聴者討論型の番組に出演したこともあります。コメンテーターに宮台さんや勝間和代さんがいたのを覚えています。

 その頃はちょうど、「新党日本」の代表だった田中康夫さんが国会でベーシック・インカム(BI)について質疑をしたりと、BIの議論が盛り上がった時期でもあります。「ニコ論壇」でもBIについての特集番組が組まれて、その番組に出演していたのが、東さんを観た最初でした。番組での発言が面白くて、出版されたばかりの『クォンタム・ファミリーズ』を手に取った。あの小説にもBIが出てきますね。けれど、物語の構造が複雑すぎて途中で挫折しちゃった(笑)。それに当時ぼくはかなり「左翼的」な考え方をしていたので、そのうち「東の言っていることは俺とはちがうな」と感じるようになって、あまり読まなくなっていきました。

 もういちど読み始めたのは、2017年の衆院選のときです。当時、東さんは「積極的棄権を呼びかけた」と見なされ、ネットで大炎上していました。けどぼく自身「無駄な解散総選挙をしやがって」と思っていたし、そういうひとを可視化することに東さんの主眼があると思ったんです。実際にそういう趣旨のツイートをしたら、東さん本人からリプライがきてテンションが上がりました(笑)。そんなときに、たまたま古書店で『弱いつながり』を見つけて買ったら、この本がぼくにハマった。読みやすいし、「観光客」や「誤配」といった東さんの哲学のエッセンスがぎゅっと詰まっている。いまでもちょっと遠くに出かけるときはポケットに入れておきたくなる本です。
 

──二度の出会いのあいだに時間が空いたんですね。
 

竹田 逆にそれが良かったんだと思います。ぼくのなかで凝り固まっていた考え方がほぐれ始めた時期に、雑誌やイベントに登場するさまざまな立場のひとを知ることができた。友の会に入会してからはずっと更新しています。
 

──かなり社会的な方面からゲンロンを知っていただいたようで、少し意外でした。
 

竹田 いまでも社会には関心があります。シラスでは「ゲンロン完全中継チャンネル」のほかに、石戸諭さんの「<ニュース>の未来」もよく観ています。だいたい21時に番組が始まるので、店の営業が終わって、翌日の仕込みをしながら観るのにちょうどいい。真面目な話をしつつ、飲み会感もある、楽しいチャンネルです。コメント欄も顔見知り同士で会話している感じがあるし、配信者の石戸さんも「コメントの意見が参考になって意見が変わった」と口にされることがあって、とても素敵な相互交流があるなと思います。

 ちなみに営業中は、スマホをそばに置いて、首にかけるタイプのスピーカーをつけて、小さな音で再生しながらシラスを聴いています。お客さんが来たらぴっと止めて、接客して、また観始める。ほかにも家にご飯を食べに戻る往復の時間とか、本当にちょっとした時間を使って観られるのもシラスのいいところですね。
 

──竹田さんはよくコメントもされていますが、あれもお仕事中にされているのでしょうか。
 

竹田 そうです。「これはコメントしないと」と思ったら、シュシュっとフリック入力で(笑)。

焼き鳥をつくる竹田さん

「長崎村」の地方自治

──竹田さんご自身も地域社会にコミットメントされているのでしょうか。
 

竹田 割としていますよ。たとえば「ながさきむら村議会」という地域の集まりを主催していて、これはもう10年以上続いています。東長崎から千川、要町、椎名町、落合南長崎のあたりまでは昔「長崎村」と呼ばれていた地域で、そこに住むひとたちで集会をする企画です。ちょうど昨日も会合があって、床屋さんから不動産屋さん、デザイナーから区議会議員、「トキワ荘協働プロジェクト協議会」の事務局のかたまで、いろいろなひとが参加してくれました。
 

──そうか、このあたりはトキワ荘のあった地域なんですね!
 

竹田 手塚治虫とか藤子不二雄とかが自分たちの町で描いていたっていうのはやっぱり誇りらしいですね。ぼく自身『ドラえもん』が大好きで、絵も得意だったので小さいときはマンガ家になりたいと思っていました。
 

──「村議会」では具体的にはどんな活動をされているのでしょう。
 

竹田 最初にやったのは、ラジオ体操でした。東長崎駅には駅前広場があるんですが、そこがぜんぜん使われていなかったので、ひとびとが集まる場所として有効活用しよう、と。そこから派生して、駅前広場でイベントを開催したこともあります。ちゃんと然るべきひとに話をとおして、区役所で手続きもして……と、いろんな意味でいい経験になりました(笑)。

 とはいえメインの活動は、月に一回、集まって話すことですね。みんなで集まって、雑談から真面目な話題まで、街について話し合う。それは大事なことだし、なにより面白いんです。面白いからこそ10年以上も続いているのだと思います。
 

──10年以上前というと、BIに興味を持たれていた時期と重なりますね。
 

竹田 厳密にはそれより少しあとで、最初の会合は2012年です。東日本大震災が起きて、日本社会全体に、自分の住む地域について考えようという機運が高まった。「村議会」が始まったのもその流れがあったからです。当時は平田オリザさんが「対話」の重要性について発信していて、それが面白かったので、実際にやってみようと。
 

──なるほど。震災以降の地域を考えるうえで、東京の郊外という「地方」は意外と盲点になっているかもしれませんね。
 

竹田 ぼくは今年で45歳だけど、30代の頃は「東長崎は豊島区から独立すべきだ!」くらいに思っていて(笑)、けっこう地域にコミットしていました。「村議会」以外にも、区長選挙で応援していた候補が落選してしまったあと、一緒に「としま人」というミニコミ誌を作ったりしていて、いま振り返ると面白いひとが登場しています。40代になって少し落ち着きましたが、いまでもお客さんと政治の話はします。ビジネスに「政治、宗教、野球」の話はご法度だという格言がありますが、ぼくはどれも割とするタイプです。
 

──野球といえば、やきとりキングの店先にはゲンロンの刊行物だけでなく、横浜ベイスターズのポスターも貼られています。あれはなぜでしょうか。
 

竹田 ぼくがファンだから!(笑) ぼくはゲンロンのファンである以前にベイスターズファンで、友の会会員証の割引サービスよりさきに「ベイスターズグッズを見せてくれたら5%引き、勝った翌日は10%引き!」というキャンペーンをやっているんです。お客さんと野球の話で盛り上がることも多いし、そこから仲良くなった10人くらいで連れ立って神宮球場に試合を観に行ったりもしています。
 

──それは熱心ですね……! 地域としては西武線沿線なので、ライオンズが強いのではと思いますが、ベイスターズファンになったきっかけはあるのでしょうか。
 

竹田 もともと父親が、大洋ホエールズ時代からのファンなんです。ぼく自身は小さい頃はライオンズのファンだったけれど、なんとなく父親の影響で、高3のときからベイスターズを応援するようになります。そして翌年の98年にはベイスターズが38年ぶりに日本一になるという事件が起きた。そこからもう四半世紀以上、ずっとベイスターズを応援しています。

音楽、焼き鳥、哲学

──竹田さんは音楽活動をされていて、地元のバーや老人ホームで演奏されているとうかがいました。それも地域活動の一環なのでしょうか。
 

竹田 いや、ぼくはそもそも音楽の道に進もうと思っていたんです。だから高校を卒業したあとは、音楽の専門学校に通っていました。いろいろな経緯があって結局は店を継ぐことになったけれど、いまでも定期的に地元でライブをやっています。

 音楽好きなのも父親の影響ですね。父がクラシック音楽を聞くひとで、家にレコードがたくさんあった。それがぼくの音楽の原体験になっています。少し大きくなると『ドラゴンクエスト』とかのゲーム音楽が好きになって、そのあとには小室哲哉に大きな影響を受けました。もちろん坂本龍一のような偉大なアーティストもいるけれど、小室は彼らに比べて、どこか大衆的というか、庶民的な感覚があった。彼は府中の出身だから、東京郊外の地域性がぼくにフィットしたのかもしれません。
 

──その「庶民感」は最初に語られた「普通にうまい」惣菜屋の矜持と共通しそうです。
 

竹田 たしかに! ある種の「ものづくり」感は共通しているのかもしれません。小室が大衆に向けて曲を作っているように、お客さんの需要はつねに考えています。商品によって売れかたに差があるので、Aメロ、Bメロ、サビのように、売れ筋を考えながら焼いていく。サビにネギマをドーンと焼く、みたいな(笑)。

 これはぼくのnoteにも書いたことなのだけど、店頭にいるとき、ぼくは自分の立っている場所はステージだと思っているんです。店に来てくれるお客さんはまさに「観客」です。だからいろいろサービスしたくなる。

店頭に並んだ美味しそうな惣菜

──音楽が竹田さんの思考のベースにあるんですね。
 

竹田 そうです。だからぼくはもっと音楽活動をするために、店を週休一日から週休二日にしました。
 

──ええ!
 

竹田 まあそれは半分は冗談で、直接のきっかけは母が入院したことです。週休一日だと、休み明けの日は仕込みができていないので、朝にシャッターを開けると同時に仕込みと販売を同時にやることになります。母がいるとなんとか回っていたのですが、これがぜんぜん追いつかなくなってしまった。それで「これは戦略的週休二日制なんだ」と称して父を説得し、月曜はしっかり休み、火曜は午前中に仕込みだけして、水曜の朝からバンバン売っていくことにしたんです。

 もちろん店にとって大きな変化ですから、父はずっと反対していました。実際に当初はお客さんが減った印象があって、父は不安そうに「本当に大丈夫なの?」と言っていましたね。でも母が復帰して、あるときふと「おかしいな」と気がついたんです。週6日営業していたときと週5日営業との売上が変わらなくなっている。つまり、週休二日制のほうが一日の単価が上がったんです。もちろん音楽活動に割ける時間も増えたので、一石二鳥でした。今後もライブ活動には邁進していくつもりです。
 

──それにしても、「やきとりキング」開業、ホエールズ、音楽と、お父様からの影響がいまの竹田さんを作っているのですね。
 

竹田 そうかもしれません。父は東洋大学の哲学科を中退したひとなので、小さいときから家にキルケゴールが置いてあったりもしました。もちろんぼくは読んでいませんでしたが、のちに『エヴァンゲリオン』の「死に至る病」を見て、「これうちにあるやつじゃん!」と思ったのを覚えてます(笑)。『ソフィーの世界』という哲学入門になっている児童文学がはやったときには、それを買ってくれたり。いまゲンロンを追っていることと、父の哲学好きはどこかでつながっているのかもしれないなあ。

 ちなみに父はもともと、「哲学」から取って「哲也」という名前をぼくにつけるつもりだったようです。危うく「たけだてつや」になるところだった(笑)。結局は、おじいちゃんが「きこと」から克の字を取ってくれて、「克也」に落ち着きました。

惣菜もシラスも生活を支える

──最後に、これからのゲンロンへの期待や要望をお聞かせください。
 

竹田 店のテレビに映したいので、シラスはChromecast対応にしてほしいです。そういう技術的な部分しか要望はないかな。いまのゲンロンに満足しているので。

 逆に言うと、これから「訂正」はいろいろあると思うけど、根本的なところはブレずに続けていってほしい、というのが要望です。べつに勉強しているわけじゃなくて、本当に楽しんでいるだけなのに、結果的に自分の糧になっていく。そこがゲンロンの魅力です。よく有名人が「大人になってから大学で学び直す」とかやっていますが、ぼくみたいな仕事をしていると、そんなことはできない。だからなにか学びたいなと思ったら、送られてくる本を読んだり、隙間の時間にイベントを観たりするのがちょうど良いんです。

 たとえばこの前YouTubeでやっていた、三牧聖子さんと西田亮介さんと東さんの「深堀りゲンロン」は父と一緒に観ました。東さんが「いまの野党には期待できない」みたいなことを言うと、父は「そんなこと言うなよ」なんてぶつぶつ呟いていましたが(笑)、でも最後は「面白いイベントだった」と言っていました。昔はテレビでああいう政治話をしていたけれど、いまはそれがなくなってしまった。「深堀りゲンロン」はいい企画なので、ぜひ今後も続けてほしいです。
 

──竹田さんのお話を聴いていると、本当にゲンロンが生活の一部になっているのだなという印象を受けます。
 

竹田 安心して生活の一部にすることができるという意味では、ゲンロンのやっていることは惣菜屋と重なるんでしょうね。もちろん実際には、内容や作り方もいろいろと変わるのだけど、いちばん根本の部分は変わらない。時間をかけてしっかり話を聴くとか、単純な党派性には寄らないとか、そういった心がゲンロンにはしっかりと根づいていると感じます。やきとりキングも、「戦略的週休二日制」などの改革はしながらも、やっぱり定番のものはちゃんとしていきたいと思っています。

 だからゲンロンにも、なにかちょっと知りたいなとか学びたいなと思ったときに気軽に手に取ることができ、そして手に取ると元気が出てくる、そんな「惣菜屋」的なものづくりを続けていってほしいです。
 

──ありがとうございます。やきとりキングさんの焼き鳥は、今年の友の会総会でも販売させていただく予定です。「普通にうまい」焼き鳥を、今年も楽しみにしています。

2024年1月30日
東京、東長崎
構成・撮影=編集部

1 コメント

  • tomonokai80432024/04/08 13:47

    総菜屋にも、ゲンロン・シラスにも、大変お世話になっている身として、竹田さんのお話に「うんうん」と頷きながら読みました。 竹田さんのお店(やきとりキング)に初めて訪問した時… お店の中には竹田さんとご両親がいて、温かく接客して頂いたのを覚えています。 どれもおいしそうだったんで、迷っていたら 竹田さんが「久田さんは〇〇がおすすめっていってましたよ~」と勧めてくれ、実際それがめっちゃ美味しかった。(その〇〇が思い出せません(笑) なんでしたっけ?) 竹田さんのお店を知らなかったら、東長崎まで足を運ぶことはなかったかもしれません。 いまインタビュー記事を読んで、あそこはたしか西武線…なぜベイスターズファンなんだろう?て疑問も解消されたし、お店がどういう経緯で今に至っているかも知れたし、他にもいろいろ知れたし、「じつは・・・だった」ということが盛りだくさんで楽しかったです。 それにしてもこのインタビュー企画、めっちゃいいですね!!

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