歴史的モーメントとしてのコロナ禍──新フーコー講義|石田英敬+東浩紀

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初出:2021年3月25日刊行『ゲンロンβ59』
 本対談のもととなったゲンロンカフェのトークイベント「フーコーで読むコロナ危機──生権力と統治性をめぐって」のアーカイブ動画が、Vimeoにで購入いただけます。記事とあわせてぜひご覧ください。(編集部)
 

コロナ禍は思想の転機か


東浩紀 今日は「フーコーで読むコロナ危機──生権力と統治性をめぐって」と題し、『新記号論』でおなじみの石田英敬先生をお迎えしてミシェル・フーコーについて講義をしていただきます★1。石田さん、今日はよろしくお願いします。

石田英敬 よろしくお願いします。

 講義のテーマのひとつは「生権力」です。新型コロナウイルスの大流行で、フーコーが「生権力」という名のもとで指摘した、公衆衛生や医学を用いて市民の生活様式を管理する権力が世界的にたいへん強くなっています。ちょうど今日(2020年6月19日)、日本では接触確認アプリ「COCOA」の配信が開始されました。情報技術と結合した新たなタイプの生権力が世界的に広がっていますが、驚くべきことに知識人からほとんど反対の声が出ていません。

 まずはこの状況をどうご覧になっていますか。

石田 コロナ禍にはいろいろなレベルの問題が混ざり非常に複雑なので、知識人のあいだでも論争が起こっていますよね。たとえばかつて心臓移植を受けているジャン゠リュック・ナンシーのように、自身の感染リスクが非常に高いひとは、いままでの言説とは異なることを述べています。コロナ禍の科学的評価について知識人も根本的な不確かさのなかに置かれたことが困惑を引き起こしたのだと思いますね。知識人って「なんでもわかるひと」って顔したがるものなんだけど、この案件についてなんでもわかるひとはいないってことになったので、どの思想的・政治的文脈に結びつこうとするかによってちがいが出た、ということなのではないかな。

 ナンシーはコロナ禍下での生権力を肯定する立場、というより今回の現象を権力の拡大とみなすべきではないという立場ですね。ジョルジョ・アガンベンと論争も行なっています★2

 コロナ禍下でリベラル知識人が生権力の拡大をきちんと批判できなかったことは、いまでこそ止むをえないとみなされていますが、のちに禍根になるのではないかと考えています。ひとつ思い出すのは1990年代のコソボ空爆です。ユルゲン・ハーバーマスが空爆を批判できなかったことは、思想史的な事件として受け止められました。

石田 そうした思想家の姿だけではなく、ITと統治性がどうリンクするのかなど、フーコーが生権力という言葉で述べたことが現実にどう作用するかを見ることができました。その意味でコロナ禍は、いわばフーコーという天体を観測する絶好の機会、つまり「フーコー・モーメント」だと言えるでしょう。

 たとえばフーコーに『狂気の歴史』(1961年)という本があります。この本は1656年の「大いなる閉じ込め」という出来事の記述から始まります。この年に一般施療院という施設が設立され、浮浪者や犯罪者や狂人を閉じ込めるようになりました。ひるがえって現在、人類の半数に及ぶ人口が外出禁止状態に置かれています。日本では「巣ごもり」や「自粛」という間接的な言葉で言い換えていますが……。

 フーコーに言わせればそれは「閉じ込め」であると。

石田 そうです。つまりいま、人類の多くが「大いなる閉じ込め」を経験している。コロナ罹患者が増えた都市はロックダウンされ、住民が外出禁止になります。それだけではなく、家族のだれかが罹患すれば、家族全員がそれぞれの個室に閉じ込められてしまう。かつては狂人を閉じ込めていた病院が、いまでは都市全体に、そして個人の部屋にまで拡張されたわけです。あるいはテレワークも、実世界からオンライン上への閉じ込めだと捉えられるでしょう。

 「オンラインへの閉じ込め」という表現自体がおもしろいですね。オンラインへ「閉じ込める」とはなにを意味するのか。いまはむしろ、オンラインが「開放」されたという見方もできそうです。

 ジル・ドゥルーズが有名なフーコー論「追伸──管理社会について」(1990年)で指摘したように、そもそも権力は空間を区切ることと結びついていました★3。ドゥルーズは、新たな管理社会の権力を、空間へのアクセス権として捉えました。ところがコロナ禍では、実世界の閉鎖がオンラインの開放と表裏になっていて、逆にオンラインではさまざまなイベントや場所へのアクセス権が拡張している。

石田 このように考えるとコロナ禍は歴史的におもしろい事態です。生権力・生政治というフーコーの概念、それに関連する医学や統計学などの問題を観測することで、わたしたちの時代をエポケーする(立ち止まって考える)ことができるのではないでしょうか。

未完のフーコー


石田 それでは講義に入っていきましょう。今日はおもに、生権力を扱ったフーコーの晩年の講義録、1976年から1979年の『社会は防衛しなければならない』『安全・領土・人口』『生政治の誕生』を取り上げます。いまは絶版で価格が高騰しているようですが、それぞれ『ミシェル・フーコー講義集成』の一冊として、どれも邦訳されています★4。コロナ禍では人口を管理し、それを統計的に処理する風景が日常的に見られています。これは非常にフーコー的な問題です。

 視聴者のためにすこし補足すると、フーコーは「生権力」や「生政治」といった概念について非常に魅力的なことを語っているのですが、残念ながら十分に展開できないまま亡くなっています。生権力と統計学の関係についても、それが重要だとあちこちで匂わせているものの、どのように重要なのかまでは書いていない。権力とはべつに「統治性」という新しいキーワードも提示しているのですが、これも明確な定義をしていません。今回扱う3冊の講義録を読みなおし、たいへんもどかしい気持ちになりました。

石田 フーコーは「権力とはなにか」という問題をずっと考えていて、統治性はその延長にある概念です。だから統治性を知るためには、まず権力について知らなければいけない。国家権力に限らず、権力はいたるところで働いていると考えるのがフーコーの前提です。そうした権力をどのように差配し、治めるのか。その技術として統治性という概念が登場しました。

 とはいえフーコー自身がどれぐらいその概念をまとめていたかというと、おっしゃるとおり限界がありました。そこで残された問題を考えてきたのが、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートや、アガンベンです。いまではビッグネームとなった彼らも、フーコーの議論をかなり援用して自身の理論をつくっています。

 つまり、フーコーが生権力や統治性といった明確な概念を提示していて、それを「応用」してコロナ禍を明確に分析できる、という状態ではない。むしろコロナ禍の経験に照らして、フーコーが残した概念をいかに継承し、発展させることができるのかを考えなければならない。

石田 そうです、この講義でそこまで行けるかはわかりませんが(笑)。

 まずはおもな著作を確認しつつ、フーコーの経歴を振り返りましょう。フーコーは1926年に生まれて、1984年にエイズで亡くなっています。死後40年近く経っているにもかかわらず、思想界ではまだ現役と言えます。Nグラムビューワーという、グーグルがデジタル化した図書全体に、ある単語がどれくらいの割合で含まれているかを調べられるサービスがあります。そこで哲学者の名前の含有率をグラフにしてみると、「フーコー Foucault」の含有率は大陸哲学のなかで最も多かった。1990年ごろにハイデガーを抜いています【図1】。
 
【図1】英語書籍におけるフーコー、ハイデガー、サルトルの登場頻度を示したグラフ
 

 そのタイミングはわかる気がします。すぐあとの1991年に、フーコーの講義とインタビューをまとめた『フーコー・エフェクト』がアメリカで出版されていますね★5。そこらへんからフーコーが、文学理論や芸術理論のひととしてではなく、権力分析の思想家として注目され始める。

 ぼくは1993年に大学院に進むのですが、日本でも90年代半ばにフーコーの受容が大きく変わったことを覚えています。

石田 著書としてはまず1961年に、彼の博士論文である『狂気の歴史』が出版されています。フーコーの先生はヘーゲル学者のジャン・イポリットで、博士論文の審査教授には、科学哲学で有名なジョルジュ・カンギレムや、精神分析学者のダニエル・ラガーシュ、歴史学者のフィリップ・アリエスとフェルナン・ブローデルがいました。なかでもカンギレムは非常に重要で、フーコーは彼から「規範」や「正常」というテーマを受け継いでいます。

 そのあとに『臨床医学の誕生』(1963年)など何冊かの本を書きます。有名なのは1966年に発表された『言葉と物』です。今日扱う講義録とは10年以上離れているのですが、この時点で主題は大きく変わっていないことがわかります。1969年には『知の考古学』が出版されます。

 『知の考古学』はいまの日本ではあまり読まれていないようですが、重要な本だと思います。文系/理系という分け方が粗雑なのを承知で言えば、この本でフーコーは文系の学問がなにをするのか、つまり人文科学の基礎づけを考えたと思うんです。大学のグローバル化のなか「文系的な知」への信頼が急速に衰えているいまだからこそ、こうした議論は注目されていい。

 この本では「考古学」という言葉が使われています。いっけん神秘的ですが、フーコーが言っていることはシンプルです。たとえば昔の「狂気」と現在の「狂気」では指し示しているものがちがう。言葉そのものには実体がない。だから「狂気」について考えるためには、それが現在の意味を持つようになった知の環境(エピステーメー)、それ全体の誕生をあわせて考えなくてはいけない。このように、ある概念や言説を成立させる空間自体の歴史を記述することが「考古学」なのだと、フーコーは言います。

 現代はこの考古学がない時代です。20年前の発言を現代の基準で問いただし、それが正義だといった単純な告発に溢れている。歴史がすべて「現在の基準」に回収されてしまういまの状況への疑いとして、フーコーの言う考古学の視点は不可欠です。

石田 そうですね。「考古学」、フランス語の「アルケオロジー archéologie」の語は「アルケー ἀρχή」(始まり、原理)というギリシャ語に由来していて、アーカイヴを意味するフランス語「アルシーヴ archives」も同じ語源につらなる言葉です。フーコーはこのふたつの意味を完全に意識してこの語を使っていて、アルケオロジーは考古学だけではなく、アーカイヴ学の意味でもあるのですね。インターネットのように日々刻々と万有アーカイヴが更新されつづけているいまの世界で、そうした「普遍的アーカイヴ」(これもフーコーの用語ですが)に依拠するような批判的思考が逆に見えなくなってきていることは大きな問題です。

 これは単純化した言い方かもしれないけれど、いまのフランス哲学がフーコーのようなポスト構造主義の考え方を受け継がずに、分析哲学に歩調をあわせたのは残念ですね。言表の問題を命題の真理値の問題に切り詰めて考える態度にはフーコーは終始批判的でしたからね。チョムスキーによって言語学の数理化が起こったのと同じで、哲学の人文科学からの切り離しと論理学化が起こったのです。

 石田さんは『知の考古学』の草稿を研究し、フーコーの構想のメディア論的な解釈を提示する論文も書かれていますね★6。あれは刺激的でした。

石田 ありがとうございます。ちょうどサバティカルに行ったとき『知の考古学』草稿が図書館に収められたとフーコーの伴侶だったダニエル・ドフェール氏に聞き、一番に見ることができました。フーコーは推敲のひとで、ひとつの本を書くときに、まずはなにも参照せずに書き、つぎにそれに対して自分で反駁をし、そして文献にあたるという書き方をしているんです。5年くらいのスパンで大きな仕事をして、草稿は大体捨ててしまう。『知の考古学』のつぎの大きな本は6年後、1975年に刊行された『監獄の誕生』(仏語原著では『監視と処罰 Surveiller et punir』がタイトルで、「監獄の誕生 Naissance de la prison」は副題)です。

 そこから見ると、翌年の1976年に『性の歴史』の第1巻が出版されたのは異例のスピードでした。しかし『性の歴史』の第2巻は、1984年の、彼が亡くなる2週間前に出版されることになる。結果的に8年のブランクが空いてしまったわけです。

主権権力と生権力



石田 フーコーがコレージュ・ド・フランスで講義を始めたのは1970年で、そこから14年にわたって講義を続けます。コレージュ・ド・フランスはフランスで最も権威ある学校で、歴史的にはルネッサンスの時代から続いています。その一方で、だれでも講義を聞きに行ってよいというカルチャーセンターのような不思議な場所でもある。そこで行われた生政治や統治性についての彼の講義について、これからお話ししていきます。
 講義に実際に参加なさっていたとか。

石田 ぼくは1976年の『社会は防衛しなければならない』の講義に毎週出ていました。講義の教室がどんな場所だったか、どんなひとが出席していたかはよく覚えています。出席者が多くて、教室に入りきらないくらいでした。いまはネットで配信もできるけど、当時は行かないと聞けませんでしたから。

 石田さんを講義に駆り立てていた力はなんだったのでしょう。

石田 当時、ぼくは22、23歳で、『言葉と物』や『知の考古学』は読んでいました。『狂気の歴史』も読んでいたかな。そこでぶち当たったのがこの『社会は防衛しなければならない』という講義でした。当時のぼくがそれを聞いてなにかがわかるはずはないと思うんですが(笑)、どうして参加していたのか、不思議だよね。

 ぼくはドゥルーズの講義にも出ていましたが、そちらはなにを言っているかがわかった。でもフーコーの講義は、彼にしか読めない文献がどんどん出てくるんです。弟子のピエール・ロザンヴァロンやフランソワ・エヴァルドなどの何人かを除いて、同時代では講義の内容は理解できていなかったと思います。それでもみんなが講義に行っていたのは、やはりなんとかしてフーコーを知りたかったからかもしれません。

 フーコーがなにを言っていたのかよくわからなかったという話が出ましたが、『安全・領土・人口』の訳者の高桑和巳さんが、あとがきで興味深いことを書いています。フーコーの講義録はフランスでも1990年代末まで出版されませんでした。しかしそれはフーコーの沈黙ではなくて、読者の側の沈黙なのではないかと問題提起をしているんです。読者が2000年代まで、1970年代後半のフーコーの問題意識を受け止めることができなかった。ぼくはこの指摘は正しいと思います。とはいえ読者が悪いわけではなく、端的にフーコーが早すぎた。

 フーコーが生権力の話をしていたころ、英語圏でも「バイオエシックス」(生命倫理)の議論が始まっていました。生権力は英語では「バイオパワー」ですから、似ていると言えば似ている。けれどもそこで交わされたのは具体的な生命や身体をめぐるおもに科学哲学的な議論で、バイオという接頭辞を使って権力論や社会論にまで広がる議論を展開するひとはいなかった。もしフーコーが現在まで生きていたら、生殖技術の倫理や遺伝情報の管理、さらには今回のコロナ禍でGPSやスマホのような情報技術と身体管理が融合しているケースなど、生権力に関連する問題系がたくさんあった。彼はきっとそれらの問題に興味を引かれたと思います。

石田 そう思います。ではようやくですが(笑)、今日の本題であるフーコーの講義に入っていきましょう。時系列から確認すれば、まず1976年の1月から3月まで行われたのが『社会は防衛しなければならない』の講義です。その後はサバティカルで1年空いて、1978年の講義が『安全・領土・人口』、翌1979年に行われたのが『生政治の誕生』です。これらの講義で生権力や統治性について語られました。この辺りの議論はかなりむずかしいので、いくつかのトピックに分けて説明しましょう。

『監獄の誕生』を1975年に出版したことで、フーコーによる権力の考察は一段落します。この本では、フーコーは、「規律訓練」により作用する権力という問題に照準していました。「規律訓練」と訳されているもとの言葉は「ディシプリン discipline」(フランス語だが英語でも同じ語)で、人々の身体を一定の規則にあてはめて律していくことが「規律」、そのような規則的な身体の使い方を習得するのが「訓練」です。「規律訓練社会」では、人々の身体が、この政治技術のマシナリー(機械仕掛け)に組み込まれて、社会的身体が組織されていく。軍隊や工場のような近代的制度、学校による人材の育成の基礎的なテクノロジーとして、いたるところに同じような知と権力の図式が実装されて張り巡らされていく。それは個人の一挙手一投足を監視して、「正常化」の枠のなかに収めていく「監視社会」でもある。

 その規律訓練権力を集約的に図式化して見せたのが、ベンサムが考案した監獄「パノプチコン」というものでした。中央の監視塔を中心に、その周囲を取り巻いて、犯罪者や狂人を収容する建物が円環状に建てられている。収容棟の各々には仕切りが施されて収監者はお互いに隔離されている。中央の監視塔に対して内側の面と外側の面は光が透過する建築になっていて、外側から光がつねに差し込んでくる。監視塔の内側は、収監者からは見えないように設計されている建築です。この装置によって、収監者の身体は、隔離され、個別化され、監視者から一方的に視られ観察される位置に置かれている【図2】。この権力の配置によって、収監者は、社会的視線を自分自身で内面化して、教育・矯正していく。ベンサムは身体に働きかける政治テクノロジーが、囚人の身体に働きかけることによって精神に働きかけ、どのように個人を「従属化=主体化」させるかを理論化したわけです。
 
【図2】ベンサムが考案したパノプチコンの平面図。外周の釘型の壁に仕切られた空間が収容棟 Public Domain URL= https://en.wikipedia.org/wiki/File:Panopticon_Willey_Reveley_1791_elevated_view.png
 

石田 そのような規律訓練権力についての仕事に一定の見通しをつけたので、フーコーは、別の生権力のあり方の考察へと向かうようになった。

 まず解き明かされるのは、近代においては、権力というものがどのように変遷して生権力が生まれたのかについてです。簡単に言うと、「主権権力から生権力へ」の移行が起こりました。ルネッサンス期の権力のあり方から近代の権力体制への変容だとざっくり理解すればいいでしょう。フーコーの『監獄の誕生』が、ルイ15世の暗殺を企てた、王殺しダミアンの八つ裂き刑の記述から始まることはつとに有名です。「死なしめる権力」のスペクタクルの派手な描写ですが、絶対王政の終焉とともにそのような権力のあり方は影を潜めたということを示すために、本の始まりで語っているのです。

 主権権力とは王権のような、ひとを処刑しうる生殺与奪の権を持った「死なしめる権力」でした。その特権的な瞬間が八つ裂きのような死刑です。それに対してフーコーは、彼が古典主義の時代と呼ぶ17世紀以降の、啓蒙思想が終わるぐらいまでの時期に、新しい権力が登場したと言います。それは人々を死なしめる権力ではなく、むしろ人々を「生かす」ことに重点を移した生産的な権力、つまり「生権力」です。これは人々の生活を扶助して出生率を高めたり、福祉政策によって死亡率を下げたりする権力です。

 フーコーが生権力の分析をするうえで重要視したのが疫病でした。放置すれば死んでしまう人々を生かそうとするときに、生権力は作動します。コロナ禍のいまこの問題は非常に具体的です。人工呼吸器をつけるかつけないかは、まさに「生かす」権力の作動だと言えます。

石田 こうした大きな見取り図から、具体的な問題を考えてみます。話が複雑になるのはここからです。じつは生権力には、規律訓練型権力と呼ばれるものと、そのあとに登場する生権力のふたつがあるんです。

 あれ? その説明だと、主権権力と生権力が分かれ、後者の生権力のなかにさらに規律訓練型権力と生権力があることになりますが……。

石田 しかしフーコーを忠実に読むとこの整理になると思います。だからしょうがないんです(笑)。

 なるほど。フーコーには用語を整理してほしかったですね(笑)。

石田 規律訓練型権力と生権力では、働きかける部門がちがいます。18世紀の後半にかけて登場した規律権力は具体的な個人に働きかける。つまりひとを教育・矯正をして枠にはめていく権力です。それに対して生権力は、種としての人間に働きかける。ここで誕生したのが人口という概念です。

 すこし整理させてください。まず大前提として主権権力が生権力に移行した。その広い意味での生権力のなかに、規律訓練型権力と、ポスト規律訓練型権力とも言うべき狭義の生権力がある。前者は個人を対象としていて、後者は人口を対象としている。こういう理解でいいでしょうか。

石田 そう捉えるのがいいと思います。ただしこういう言い方をすると、フーコーはノンと言うでしょう。主権権力はけっしてなくなりはしないし、それらの権力はすべて折り重なっていると彼は考えますから。しかしまずはぼくがいま提示したツリー構造の見取り図で考えるのがいい【図3】。悪い教師としての石田が単純化したと思ってください。
 
【図3】フーコーが論じた権力の見取り図。17世紀末から18世紀後半にかけて規律訓練型権力が形成され、ややのちに(狭義の)生権力が誕生した。「生権力」は両者の総称でもある 作成=編集部
 

「人口」とはなにか



石田 それでは人口について詳しく説明しましょう。人口とは、一人ひとりの主体の集まりではないとフーコーは言います。たとえば言語学について考えれば、その学問が成立するためには、ある地域の集団における発音やアクセントを考えないといけません。つまり言語学が対象とするのは、具体的な個人ではなくて、集団としての人間が話す言語です。その地域にひとりだけへんな発音をするひとがいても、その特異性は取り除かれ、平均的な「人口としての言葉」が誕生するわけです。

 ひとはみな厳密にはちがった言葉を話している。それなのに、あるひとは訛りが強くあるひとは訛りが弱いと言われるのは、その背後に標準的な「言語」(ラング)が想定されるからである。裏返せば、そもそもラングの想定がなければ、訛りもなければ文法もない。

 同じように、人間を人間として見ることは自明に感じられるけれども、じつは個人はばらばらである。その背後に「人口」という標準的な群れが想定されないと、そもそも個人の偏差も記述できない。そしてその標準的な群れが設定されたのが18世紀で、それがヒトという種なのだと。そのような要約でよいでしょうか。

石田 そういうことです。そして人口の内部には、統計的な技術で測れる規則性がある。それは言い方を変えれば、自然法則に則っているということです。つまり生権力とは、人口という自然を統計学的に管理し、働きかけるテクノロジーのことであるわけです。統計学は英語ではstatisticsですね。これは国家(state)の学という意味で「国家学」です。国家学が統計学を意味するようになる歴史プロセスと統治の技術の変化は関係していて、人口はどれぐらいで住民の平均寿命はどのぐらいであるとか、土地の生産能力はどのぐらいか、ということが統治の重要課題となっていくことが生政治への権力変容です。

 さらに重要なのは、人口とは一方ではヒトという種のことであり、他方では公衆(パブリック)と呼ばれるもののことだとフーコーが述べていることです。統治は住民に対する王権の恣意的な権力行使ではなくて、人々のオピニオンに働きかけることである。オピニオンは個人の意見のことではなくて、人々がオピニオンとして形成しているものでそれをコントロールしていくことが統治である。人口に働きかけることは、同時にオピニオンに働きかけることである、そのように統治の技術は変化していくわけです。この変化から考えると、現在のように世論に働きかける統治がどのように成立してきたかがわかりますね。これらは1977‐78年の『安全・領土・人口』講義で集中的に論じられているおもしろい論点です。

 彼は当然ハーバーマスを知っているので、公衆は18世紀の最重要概念だと言います。しかしそれはあくまで、オピニオンやふるまい、習慣などの観点から人間の集団を捉えたもので、教育や啓蒙によって働きかけることのできる個人の集積です。フーコーによれば、ハーバーマスの公衆は人口の一側面にしか過ぎません。公衆には生権力と結びついた異なる側面があるわけです。

 公共性(パブリック)の概念が、じつは人口=ヒトという種の一側面として生まれたものにすぎないというのは、とても刺激的な仮説ですね。ハーバーマスのような市民社会論を、さらに上位の概念で再定義しようという野心を感じさせます。

 フーコーのこのような企てに比べると、現在の人文科学研究者は、公共性についてじつに狭い観点でしか捉えていないように感じます。言い換えると、ハーバーマスの話しかしてない。逆に現在の情報テクノロジーは、ユーザーを「教育」や「啓蒙」で働きかけうる個人の集まりだとは思っておらず、生物学的な群れ=人口としてしか扱っていない。それがビックデータ分析です。そしてそこから抽出された「群れの傾向」が、いまや公共的な意見だと誤解されて、政治にまで影響を与えている。ハーバーマス的な公共とビッグデータ的な公共はまったく違うものですよね。

 そういう現在だからこそ、「公共的なもの」と「人口的なもの」を分ける視点は重要だと思います。

石田 現在の人文科学研究者は、学問の射程を自己規制している感じがします。われわれは統計や世論調査という言葉をよく目にしますが、それがなにを意味するのかはまったく意識しなくなっている。フーコーはこうした言葉について考えるヒントを与えてくれています。彼の講義を読むと、われわれが生きている現実がつながって、ひとつの知識になるのです。ハーバーマスの名前を出しましたが、対極のハイデガーの概念を援用すれば、いかにして20世紀は「だれでもないひと(ダス・マン)の独裁」に至ったのかを、フーコーの人口と統治の問題系はよく説明するのです。

統治性と司牧権力



石田 フーコーは講義のなかで、「人口について語るうちに、頭に浮かんで離れなくなった言葉がある」と述べます。それが今日のもうひとつのテーマである「統治性」です。

 学校で「君臨すれども統治せず」という言葉を習いますよね。18世紀前半の歴史家アドルフ・ティエールはこの言葉で、立憲君主制、つまり主権権力が退いて、統治権力に変わるプロセスを表現しています。フーコーはこれと似たようなことを考えていました。主権や王権という言葉だけで政治を語るのをやめて、統治性の系譜学を考えようとしたわけです。その結果彼は、キリスト教の司牧権力の話に迷い込むことになります。つまり羊の群れを統治する技法が統治性の起源にあると考え、そこまでさかのぼったのです。

 さきほど、主権権力が生権力に移行したという話がありました。統治性は主権権力と生権力の両方を貫く概念なのでしょうか。それとも生権力の側にのみ適用できる新しい権力系概念なのでしょうか。

石田 それがフーコーにとって非常に悩ましい問題だったのかなと思います。だからこそ司牧権力の話に遡行したのかもしれない。

 なるほど。いま石田さんはフーコーが司牧権力の話に「迷い込んだ」と表現されましたが、ぼくも同じ印象を感じています。それまでフーコーは、統計学、疫病、医学的言説の問題など、現代にまでつながるような科学や技術と権力の関係をかなり具体的に扱おうとしていた。ところが『安全・領土・人口』の2月の講義辺りから、急速にキリスト教文明全体の話になってしまう。それはそれでおもしろいのだけど、近代的な科学や技術の話は後退してしまう。

石田 フーコーはもともと古典主義の時代を専門にしていましたが、ここで彼は珍しく、大きく時代をさかのぼったわけです。このような古い問題を扱ったのは、ある種のブレイクスルーを狙っていたのかなという気がしています。

 それにフーコーは『狂気の歴史』にしても『監獄の誕生』にしても、マージナルなもの、社会の周縁のところを扱ってきました。つまりミクロな権力からマクロな権力へと考えを進める、ボトムアップのアプローチなんです。しかし統治性の話で彼が挑戦したのは、より一般的な問題を説明しようということでした。司牧権力はミクロな分析から国家の問題まで扱えるのだと彼が明確に言ったのは、その広がりを示そうという野心があったからでしょう。

 講義録を読むと、その展開の背景にはフーコーが国家についてあまり議論していないのではないか、という批判があったようですね。「統治性」というキーワードはその批判に答えるかたちで持ち出されている。

 自分は国家を理論化していないのではなくて、国家の出現──より正確に言えば、国家がつねに思考の焦点になるエピステーメーそのものの出現を議論したいんだ、と。そこで出てくるのが「統治性」で、彼は統治性のある種の変化の結果として近代の国家が生まれたと考えようとしている。

石田 そうです。この時点では明確にそういう戦略を持っています。

リベラリズムと統治の問題



石田 つまりミクロな権力論では一挙手一投足を監視するミクロ・ファシズムや『1984年』的な全体主義は批判できても、「自由」な社会や「世論」に働きかけて誘導する統治の体制を説明できない。その統治性の系譜のうえに、今日扱ってきた現代の生政治があるわけです。そしてその中心的な仕掛け、最もソフィスティケートされた統治術として、リベラリズム(自由主義)が、とりわけネオリベラリズム(新自由主義)が登場します。統治術というときは統治の個々の技術のことで、統治性というときは統治の技術の総体と効果全体のことを指します。

 それは『安全・領土・人口』のつぎの講義『生政治の誕生』で主題的に語られるものですね。

 フーコーは19世紀以降の統治術には、真理にもとづく統治術、主権国家の合理性にもとづく統治術、そして経済主体の合理性にもとづく統治術という3つがあると述べます。真理にもとづく統治は、マルクスのような歴史的運命論というか、突き詰めれば革命の道へと向かう統治です。主権国家の合理性にもとづく統治は古い主権の統治です。そして3つめの経済主体の合理性にもとづく統治術がリベラリズムのことです。統治されるものの合理性にもとづく統治術だとも説明されています。 

 一般にリベラリズムは個人の自由を大切にする思想だと考えられていますが、フーコーの考えではそれはそもそも権力の形態の歴史的な変化と結びついている。社会をうまく統治するために、ある時期に個人の自由なるものが生み出された、その思想的な表現がリベラリズムだと考えているわけです。

石田 そして彼は、20世紀以降において、リベラリズムはたんなるイデオロギーのひとつではなく、最も中心的な問題になったとつけ加えます。たとえば犯罪について考えてみましょう。かつては犯罪が起きないような監視や教育を行なったり、起こった場合は懲罰を与えたりしていました。しかしやがて、そうした対策そのものにコストがかかりすぎるという統計的なレベルでの判断が加わり、法律もそのような発想に立つようになる。

 法がリベラリズムの論理に取り込まれていくということですよね。ある種の放置をしていたほうが、全体的に統治コストが低くなる、ならば放置したほうがよいという発想になる。

石田 これは実際に世界で起こっていることです。たとえば麻薬犯罪は、西洋ではすでにコストの面から考え始められている。すべてを取り締まるとコストが高いので、重大さに応じて調整をするわけです。

 たとえ麻薬によって破滅する人間がいたとしても、全体としてはそっちのほうが功利的であり公正だと。興味深いことに、フーコーがこの講義を進めていた70年代は、アメリカでシカゴ大学のポズナーらを中心に「法と経済学」と呼ばれるスクールが勃興する時期にあたります。フーコーはそういった動きに対応するかのように、リベラリズムと法や権力の関係の本質を明確に指摘している。

石田 しかも彼は、「統治せざる統治」を行う点で、リベラリズムが最も洗練された統治だとも言っています。リベラリズムはこのパラドックスにより、最小限の統治で最も強い立場に立つことができる統治方法だと明確に言っている。

 ところでひとつ質問があります。一般にフーコーはリベラリズムの批判者だと考えられています。しかしこの3つの講義を読むと、むしろ彼は、リベラリズムの統治術が出てくるのは歴史的な必然であり、むしろ統治性のなかでもかなり洗練されていると議論しているように見える。これを批判と受け取るのはむずかしいと思うのですが、いかがですか。

石田 少なくともかなり肯定的な見方はしています。ただし、彼はすべてのリベラリズムを同じように見ていたわけではありません。彼が理想としたのは、「オルドリベラリズム Ordoliberalism」という西ドイツのリベラリズムの系譜です。こちらは自由競争のためには前提になるルールの公正さを大切にしようというベクトルがかなり強い立場です。他方、いわゆる弱肉強食型の傾向が強い、アメリカの自由主義経済学派であるシカゴ学派、その代表がミルトン・フリードマンですが、それについては、それほど肯定的ではない。シカゴ学派と比べると、オルドリベラリズムは市場を自由に機能させるために、かなりいろいろなルールを課していくタイプのリベラリズムです。フーコーはそちらの考え方に親近感を持っていたと思いますね。

 なるほど。いずれにせよ、フーコーのリベラリズム理解はいまの時代でもまったく通用するものです。

 ゲンロンの視聴者には、フランス現代思想には興味がないけどハイエクのような英米保守思想には興味があるというひとも多いと思います。けれど、そういう方にはぜひ『生政治の誕生』を読んでほしい。フーコーがハイエクをどう捉えていたのかがわかるし、リベラリズムが完全に世界を覆ってしまった現在から見ると、むしろ非常に正確な分析がされている。さきほども話題になったように、フーコーの分析はむしろ早すぎる。

石田 サッチャーもレーガンもまだ登場していない時代ですからね。

 そうなんです。そして歴史は、ある意味でフーコーの危惧どおりに動いた。

石田 フーコーはこの講義でわたしたちに、資本主義批判の深度を問うていると思います。リベラリズムが洗練された統治術であるという本質を捉えて、はじめて「資本主義とはなにか」という問いが立つと思うんです。みんな「ネオリベは駄目だ」と簡単に言うけれど、そういうひとたちにはネオリベラリズムのなにを理解しているのか聞いてみたくなる。その問いの深度をフーコーの議論から受け止めないと、オルタナティブは描けないはずです。
 
石田英敬(左)と東浩紀(右)
 

生権力とレイシズム



 フーコーは、政治的な危うさをはらんだ思想や思想家のこともきちんと理解できる思想家ですね。

石田 そうですね。フーコー自身も読み方によってはかなり危険です。

 いまリベラリズムの話をしていますが、もうひとつレイシズムについても議論できると思います。『社会は防衛しなければならない』を読んで、ぼくはフーコーが執拗に「カール・シュミットがなぜ出てこなければならなかったのか」を語っているように感じました。シュミット自身はこの講義では言及されません。けれども、近代の統治性がいかにシュミット的な「友敵理論」を生み出したのか、その話をしているように読めたんですね。

 この講義ではフーコーはレイシズムの話をしています。生権力とレイシズムは密接につながっている。そもそも人口の概念が民族を参照しているからです。近代の新しい統治性の発見とは民族の発見でもあり、抽象化された民族の概念こそが人口の概念だということになっている。だから人口を統治するテクノロジーである生権力の作動においては、民族や人種が非常に大きな働きをする。それを最も強く組織化したのがナチスです。この視点もまた現在に通じますね。

石田 近代の統治性という蓋を取ると、パンドラの箱が開いてしまう。統治の問題はたんに正統性では語れない、ということです。『社会は防衛しなければならない』はクラウゼヴィッツの『戦争論』の逆転から始まります。クラウゼヴィッツは「戦争は他の手段による政治の継続である」という定式を出しました。フーコーはそれを逆転させて「政治は他の手段による戦争の継続である」という定式を立てる。そもそもすべての政治が危険なものである、と。だからお行儀のよい理論からすると、フーコーの考えはレイシズムを正当化しているとも見えます。フーコーにはニーチェ直系の(というか、そのようなニーチェの読み直しをするのがフーコーやドゥルーズの世代ですが)力の思想家という側面が色濃いのです。すべては力への意志である、権力への意志である。その力をどのように働かせるのか、いかに力は政治となるのか、と考えるのがフーコーなのです。だから、民族闘争というテーマもその観点から解釈されます。

 そうなんですよね。フーコーは、レイシズムがなければ近代の統治性は成立しえなかったとすら言っている★7。近代以前の統治性は、王権に典型的なように、正統性を国家の外部から調達することができた。しかし近代では、統治されるものの内部でみずからの正統性を調達しなければならない。そこで現れた論理のひとつが経済合理性に根ざしたリベラリズムであり、もうひとつが統治対象の民族を発展させるというレイシズムの物語だという話になっている。

 いずれにせよ、「近代の統治性は、市民一人ひとりと同時に群れとしての人口を対象にしている」と喝破したフーコーはたいへん鋭いと思います。この前提がないと、権力批判もとてもぼやけたものになってしまう。

日本の統治はどうなっているか



 フーコーは講義で、西洋文明の人間は群れのなかの一匹の羊であることに慣らされつづけてきたと述べています。いままでよくわからなかったのですが、コロナ禍でヨーロッパの都市が続々とロックダウンし、そして知識人たちもそれを肯定する事態を目の当たりにして、ああそういうことかと思ったんですね。西欧社会には、いまでも根強い司牧権力の伝統がある。ヨーロッパの都市は群れであり、市民はみなそのなかの一匹だと自覚している。

 それに対して日本はどうか。日本人は、自分を群れのなかの一匹だとは思っていないように見えます。少なくとも司牧には従わない。その一方で相互監視や同調圧力はたいへん強い。そういう意味では群れなのだけど、西洋とはちがうタイプの群れであり、ちがう統治性が働いているように感じます。

石田 日本の場合は、統治機構が二重構造になっていますよね。政府はかたちだけ西洋的な顔をしている一方で、それ以前の文化的バックグラウンドも持っている。つねにその複雑な構造で出来事を受け止めているから、わが国は社会の実態が見えづらい。霞のようなものがかかっているわけです。国家権力の中枢は「霞ヶ関」なんて悪いだじゃれですね(笑)。

 それは官僚制の問題、あるいはセクショナリズムの問題ですね。統治があらゆるところに分散し、ばらばらのロジックで動く複数のシステムが重なりあっている。つまり日本は、ひとつの国の体裁をなしていない。

 よく指摘される問題ですが、ぼくは問題がコロナ禍でいっそう浮き彫りになったと考えています。たとえば特別定額給付金の振り込みで混乱が起きた原因は、日本政府が国民の個人情報のデータベースをまともに持っていないことにある。けれどもそれはそもそも国民が求めてきたわけです。

 それは統治性が複数重なっているとも言えるかもしれません。たとえば感染拡大防止で多くのネットカフェが休業した。そうするとネットカフェ難民をどうするかの議論が起きました。そのような議論が起きるのは、本来行政が提供するはずの貧困者向けのシェルターを、なぜかこの国では営利目的の民間企業が担っているからです。この例に限らず、この国では、民間がさまざまなサービスを提供することで、公共がその事業をせずに済んでいることがしばしばある。けれどもそれはあくまでも市場のなかで行われているので、コロナのような緊急事態がくると吹き飛んでしまう。ではそれをどう手当てするのか。いっけん些細な事例ですが、ぼくはこういうところに、日本における統治の本質が現れている気がします。

石田 それはおもしろい見方ですね。コロナ禍以外でも、たとえば学校システムを補強する塾が江戸時代から続いています。そういう近代的な統治よりもベースに位置する、民間の力が日本にはある。フーコー的に言えば、それが別種の統治になっている。

 言い換えれば、国家によってコントロールされない統治の領域がある。権力という言葉は国家と不可分に結びついていますが、統治性はより広い射程を持つ。もし日本で統治性という言葉を使うことにメリットがあるとすれば、民間による統治も含めて国のあり方を考えることができる点にあるのかもしれません。

運動、歴史、モーメント



 それにしても、日本の問題を考えるためにもフーコーには生権力や統治性についてもっと理論を展開してほしかった。でも、それはもしかしたら、フーコーの印象を大きく変えてしまったかもしれません。

 英語圏ではフーコーは「文化左翼」を代表する理論家ですね。けれども、あのまま統治性の理論を展開していたとしたら、フーコーは左翼には分類されなくなっていたのではないでしょうか。彼自身はそこをどう考えていたのでしょう。

石田 うーん、彼は左翼であることにこだわってはいないと思います。とはいえ、たしかにマルクス主義や社会主義の側は、フーコーを扱いにくいと思ったでしょう。フーコーは左翼や社会主義について、教科書はあっても統治性がないと言っています。

 社会主義はみずからの統治性の論理を持たなければいけないとも言っています。

石田 左翼運動とフーコーを結びつけた著作と言えば、ネグリとハートの『〈帝国〉』(2000年)です。この著作をフーコーが見たら、いろんな意味で疑問を呈したと思う。当時は湾岸戦争以降のいわばアメリカの時代で、同時にグローバル化が始まった時期でした。『〈帝国〉』はその状況に対して、フーコーを援用しながら主権と帝権の問題を立てています。しかしさきほど言ったとおり、フーコーは、統治性は主権や帝権だけでは語れないと述べているんです。あの本はけっこう図式的な本で、その図式化が斬新さを持ったと受け止められたと思うのですが、主権の変容を言うときに、国民国家的な主権からグローバル資本主義の帝権へのヘゲモニーの移行と言うわけでしょう? そして、住民のほうは、人口として「自由」に「管理社会」に管理されていく。あるいはマルチチュードとして「自律的」に自己組織化していく。うん、でもね、それって、かなりドゥルーズ的なフーコーなんじゃないかと思う。

 フーコー自身は社会運動にコミットした思想家です。けれども、彼の理論は本来は運動に向かないように思うんです。

 ドゥルーズとの比較で考えるとわかりやすいかもしれません。彼は「追伸──管理社会について」で、規律訓練から管理(生権力)への権力の変遷を、いい意味でも悪い意味でも図式的に描き出した。かつて規律訓練社会に対して戦わなければいけなかったが、これからは管理社会に対して戦わなければならない、と。ネグリとハートはそれを展開するかたちで『〈帝国〉』の議論をつくっている。ドゥルーズのある種乱暴な要約があったからこそ、彼らはフーコー晩年の議論を市民運動や左翼運動に接続することができた。けれども、講義録を読むとそう簡単には言えませんね。

石田 『〈帝国〉』で使われたフーコー像が、ほんとうにオーソドックスなのかは考える必要があるでしょう。当時フーコーの講義録はフランスでも出揃っていない時期でしたが、ネグリはパートナーがジュディット・ルヴェルというフーコー研究者なので、内容を詳細に知ることができた。そうした事情から、彼がフーコーの読み方をつくってしまった側面もあります。しかし、ネグリの読み方にはすこしバイアスがある。彼にしろアガンベンにしろ、評価すべき仕事だとは思いますが、必ずしもそれが正統な読みだと自明視する必要はないはずです。
 最後に、今日の議論をいまの運動の問題に開いていければと思います。最近はBLMが大きな話題になっていますが、これについて視聴者から質問が来ています。

 BLMでは建国の父などの彫像が破壊されていますが、当時の文脈を無視して現在の価値観から断罪するムーブメントに危機感を覚えます。このような動きをどうお考えですかというものです。フーコーが歴史家ということから来た質問かもしれません。いかがでしょうか。

石田 たしかにいま、各地で差別に加担していた人物の銅像が撤去されています。これは現在の価値観で過去を断罪していると思うかもしれませんが、その認識はすこしまちがっていると思います。

 これはむしろ、歴史の大きな切れ目、モーメントだと認識すべきです。その区切りによってさまざまなことが見えてきた。そもそも黒人たちはなんの理由もなく奴隷として連れてこられた。その事実をみなが認識するようになり、結果としてBLMでは、銅像を撤去するほうがいいという結論になったわけです。

 その結論にいたるまでには、さまざまな要素が関与しています。フーコー的に考えるならば、現在どうしてこれが問題になっているかという、その出来事の組みあわせ自体を問わなくてはならない。過去と現在がスパークするとでも言うか、そういう歴史性が出会う時点がある。フーコーは過去と現在の出来事の組みあわせで歴史がかたちづくられていくと考える。だから、BLMがいまの価値観で過去を断罪しているという認識は、フーコー的には荒すぎるということになるでしょう。つまり歴史を見る目とは、必ずしも過去は過去の価値観で捉えようということではないんです。

 なるほど。しかし、その答えを承けてあえて問いを進めるとすれば、いまの議論と歴史修正主義の関係はどのように考えればいいでしょう。いま石田さんがおっしゃったことは、具体的にはある時点において過去をもう一回捉えなおす、それは許されるということです。これは一歩まちがえれば、歴史修正主義者と同じ主張になってしまう。

石田 そうですね。ただ、良くも悪くも、歴史的な力というものがあるんです。力と言っても、もちろんそれは軍事力などではなく、出来事を取り巻くさまざまな要素のことです。その要素のいくつかが言説を支えることによって、歴史を変える力になる。だから個人が歴史修正主義的な意見を出しても、力に支えられなければ、必ずしも大きな動きになったりはしない。一方で、あるときにナチスのような思想が、なんらかの力に支えられて歴史を変えてしまうこともある。その危険性はいつだってあります。そのような具体的な力の作用こそ、歴史の真実だと思うわけです。

 歴史には力がある。しかしその力がよい方向に働くかどうかはわからない。その前提のうえで、BLMも歴史修正主義も同じことだという論理的な等価性の話をするのではなく、それぞれの運動と歴史の力がどう作用しているのかを見なければならない。こういうことでしょうか。

石田 フーコーから固有に読み取れるのは、そうした歴史の見方だと思います。フーコーは、歴史は抽象的な論理では立てられないと言っています。それは具体的な力の関係によってのみ成り立つ、と。したがって、ある出来事がどのような力に支えられて歴史になっていくのかを説明することが、彼の仕事の中心になるわけです。さきほど批判した分析哲学などは、論理を抽象化させて物事を考えてしまうので、この辺りの話ができない。

 力を理論的に構築するのは非常にむずかしいことですが、フーコーは一貫してその理論化の仕事をしていました。そうした視点を考えなければ、彼の問いを受け継ぐことはできないと思います。これからフーコーを読むひとには、ぜひそういう問いにチャレンジしてほしいですね。

 最後に「力」というたいへん重要なキーワードが出てきました。
といったところで、石田さんが用意してくださったスライドのごく一部しか消化しておらず、講義もまだ始まったばかりなのですが、すでに時間がきてしまいました。続きは次回ということでよろしいでしょうか。

石田 はい。そうしましょう。続きは『新記号論』の内容とつなげて、メディア論との関連であらためてフーコーを考えようという話をしたいと思います。すこしだけネタを明かすと、人口に働きかけるテクノロジーが生権力だとすれば、市民に働きかけるジャーナリズムは生政治だった、という議論ができるのではないか。

 なんと。それまたおもしろそうな話ですね。楽しみにしています。今日は長いあいだありがとうございました。
 

2020年6月19日
東京、ゲンロンカフェ
構成・注=編集部

本対談は2020年6月19日にゲンロンカフェで行われたトークイベント「フーコーで読むコロナ危機──生権力と統治性をめぐって」を編集・改稿したものです。
 


ゲンロン叢書|002
『新記号論 脳とメディアが出会うとき』
石田英敬+東浩紀 著

¥3,080(税込)|四六判・並製|本体256頁|2019/3/4刊行

 
★1 本対談のもととなったゲンロンカフェイベントの番組タイトルは「フーコーで読むコロナ危機──生権力と統治性をめぐって」だった。 ★2 ジャン゠リュック・ナンシー「ウイルス性の例外化」、伊藤潤一郎訳、『現代思想』2020年5月号、青土社。この文章でナンシーは、政府の移動制限政策を批判するアガンベンの声明(「エピデミックの発明」、高桑和巳訳、『現代思想』同号)に反論し、政府を擁護する立場を取っている。 ★3 ドゥルーズはこの文章で「規律社会」の特徴を、人々が家、学校、病院、監獄など「閉じられた環境から別の閉じられた環境へと移行をくりかえす」ことにあると指摘している。ジル・ドゥルーズ『記号と事件──1972 ‐ 1990年の対話』、宮林寛訳、河出文庫、2007年。引用箇所は電子版を参照した。 ★4 邦訳はそれぞれ以下。『社会は防衛しなければならない──コレージュ・ド・フランス講義1975‐1976年度 ミシェル・フーコー講義集成 6』、石田英敬、小野正嗣訳、筑摩書房、2007年。『安全・領土・人口――コレージュ・ド・フランス講義1977‐1978年度 ミシェル・フーコー講義集成 7』、高桑和巳訳、筑摩書房、2007年。『生政治の誕生──コレージュ・ド・フランス講義1978‐1979年度  ミシェル・フーコー講義集成 8』、慎改康之訳、筑摩書房、2008年。 ★5 Foucault, Michel. The Foucault Effect: Studies in Governmentality. Edited by Graham Burchell, Colin Gordon, and Peter Miller, University of Chicago Press, 1991. 未邦訳。 ★6 石田英敬「フーコー、もうひとつのディスクール理論」、山中桂一、石田英敬編『言語態の問い』、東京大学出版会、2001年。石田のウェブサイトでも公開されている。 URL= http://nulptyxcom.blogspot.com/2020/06/in114pp311-342-2001.html ★7 [東浩紀による注]この要約は乱暴に聞こえるので補足が必要かもしれない。フーコーは1976年2月11日の講義で、近代の統治性は「民族」「人種」「階級」といった「歴史の新しい主体」を発明し、それによって権力を根拠づけるようになったのだと指摘している(『社会は防衛しなければならない』、134‐135頁)。ではそれら新しい観念はどこからきたのか。フーコーは先立つ1月28日の講義で、人種の観念がどこからやってきたのかも検討している。それは近代以前は権力批判の対抗言説(人種間闘争の言説)のなかで使われていた。その時点で闘争の観念と結びついていた。それが統治性の変化のなか、今度は権力を支える戦争の根拠として再解釈されるようになった。ひらたくいえば、権力はつねになんらかの戦争と不可分だが、近代ではそれが人種間の戦争として再定義された、それゆえ近代の権力は人種主義と不可分だというのがフーコーの考えである。フーコーは『社会は防衛しなければならない』の最後の講義(3月17日)でつぎのように記している。「人種主義を国家のメカニズムに組み込むことになったのは、生権力の出現なのです。[……]その結果、なんらかの時期に、なんらかの範囲内で、そしてなんらかの条件下で、人種主義を経由しない国家の近代的機能などほとんど存在しないのです」(同書、253頁)。
 

石田英敬

1953年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(ちくま学芸文庫)、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)、『新記号論』(ゲンロン、東浩紀との共著)、『記号論講義』(ちくま学芸文庫)、編著書に『フーコー・コレクション』全6巻(ちくま学芸文庫)ほか多数。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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