小松左京から美少女へ──『日本沈没』と、日本とSFの未来(前篇)|新城カズマ+東浩紀 司会=森川嘉一郎

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初出:2013年11月15日刊行『福島第一原発観光地化計画通信 vol.1』
 かつて日本中に衝撃を与えたベストセラー小説『日本沈没』から40年が経った2013年9月21日、東京・明治大学で小松左京と日本のSFを語るトークイベントが行われた。小松作品に新たな光をあてるのは、新城カズマ(作家)と東浩紀(作家・批評家)。筋金入りの小松ファンである二人が、作品の新解釈から美少女アニメまで、縦横無尽に語り尽くす。小松左京が見ていた未来と二人の作家が描く未来は、どのように交錯するのだろうか。(編集部)

小松左京との出会い


森川嘉一郎 『日本沈没』は1973年に刊行され、400万部の大ベストセラーとなった小説です。実は今年は日本SF作家クラブの50周年であると同時に、『日本沈没』刊行40周年にも当たります。『日本沈没』は、地殻変動で日本列島が文字通り沈没するという状況に直面する中で、日本の社会や国内政治、国際関係がどうなるのかを、多角的な群像劇として描いたもので、スケール感と緻密さを併せ持ったフィクションです。この小説はSFであると同時に、日本論あるいは日本人論として読むこともできると評価されてきました。また、1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災を経た現在の視点で、『日本沈没』を一つのシミュレーションとして読み直すと、戦慄するほど予言的だったことがわかります。他方、そのようなシミュレーションを小説として切り取る手つきや、日本人論としての側面に着目すると、この小説が書かれた1960年代、あるいは刊行された1973年頃の時代性と、良くも悪くも分かちがたく結びついている。さらにこの作品は、1973年と2006年にそれぞれ映画化され、ともに大ヒットしています。いずれもスペクタクル巨編なのですが、唖然とするほど異なる映画になっているという点でも、興味深いです。このように『日本沈没』は過去・現在・未来という複数の角度から日本を照らしだしているといえるでしょう。本日は東さんと新城さんに存分に語っていただきたいと思います。まず最初に、お二人がこの小説とどのような形で出会い、どのような印象をもったのか、おうかがいしたいと思います。

この対談は米沢嘉博記念図書館の「小松左京『日本沈没』展」の開催にあわせて行われた。


新城カズマ 『日本沈没』との出会いですが、最初に出会ったのは、たしか小学生の頃だったと思います。親父の本棚に、最初のカッパノベルス版があったんです。おそらく当時のサラリーマンの家庭には、かなりの確率であれが転がっていたと思いますが。読んだ印象としては……下巻はすごいスペクタクルだけど、上巻はおっさんたちが話をしたり浜辺でいちゃいちゃしている変な小説だなって。真面目に読み返したのは高校生、大学生の頃でしょうか。当時は小松左京は偉大だけど、『日本沈没』がベストだとは思っていなかった。むしろ『果しなき流れの果に』なんかの方が好きだった。ただ最近改めて読み直すと、ものすごくたくさんのレイヤーがある作品だなと。そして大震災を経て、今また読み直さなくてはと思っているところです。

東浩紀 ぼくは小学校の頃から小松左京の熱狂的なファンでした。『日本沈没』は小学校か中学1年の時に文春文庫で読みました。新城さんと同じく、その時点で『日本沈没』が小松左京の最高傑作だと思ったわけではありません。ただ森川さんの言うように、当時の日本観と現在の日本観を比較するための、リトマス試験紙のような小説で、そこに現代的な意味があると思います。小松左京は原子力に関する情報紙『アトム』の記者からキャリアをスタートさせています。彼は1931年に生まれて、大阪万博の政府館サブプロデューサーも務めているんですね。原子力関係からキャリアをスタートし、大阪万博に関与し、東日本大震災があった2011年に亡くなっているという点で、小松左京は高度経済成長を体現した作家といえます。そんな彼の作品のなかで、「明るい未来」と「暗い未来」の屈曲点に位置するのが『日本沈没』です。その点で今読み直す意義も大きいと思います。

新城 (聴衆にむかって)ちなみに皆さん、今日は真面目な話と面白い話のどちらが聞きたいですか?

 (聴衆の反応を見て)面白い話をききたい人が圧倒的多数じゃないですか。つまり今ぼくが言ったような話は聞きたくないと(笑)。

新城 ちなみに今手元にある年譜はSF大会で使ったものなんですが、日本の電力、科学、あるいは近代化の流れと小松先生がどのような関係にあるかを整理したものです。年表を作ってみると、大変な時代だったことがビリビリ伝わってくる。『日本沈没』が書かれた当時の未来は「現在からみると過去である」点に、レイヤー感があると思うんです。ぼくはまだ小松さんを作家として丸ごと捉え切れていません。長編、短編、ショートショートではそれぞれやっていることが違うし、日本論といった切り口でつなげることはできるとしても、全体として何に突き動かされていたのかわからない。文明論では捉え切れない何かがある気がします。

 小松作品の中では何が一番好きですか?

新城 以前アンケートで『歴史と文明の旅』が最高と答えたことがあります。これは1971年に刊行されたルポルタージュですが…ただ数年経つとまた変わったりするので。東さんのベストは何ですか?

 基本的には『果しなき流れの果に』なんですが。『神への長い道』は素晴らしいし、『ゴルディアスの結び目』や『結晶星団』も好きですね。

小松左京とジェンダー問題



新城 東さんから送っていただいた資料の中に、『日本沈没』も含め小松作品をセカイ系と比較したものがありましたよね?

 これは今度、12月20日に東京創元社から出版される評論集の一部です。本のタイトルは『セカイからもっと近くに』。第1章が新井素子、第2章が法月綸太郎、第3章が押井守、そして第4章で小松左京を扱っているという、かなり変わった評論集です。
 とはいえ、雑文集ではなく一貫した意図で書かれた評論集です。この順番にも必然性があります。新城さんにお送りしたのはその小松左京の章ですが、そこでぼくは、小松左京とジェンダーの問題を扱いました。小松左京の小説家としての最大の欠点は、女性を描けていないことです。主人公がほとんど男性で、女性は母親の代わりとしてしか出てこない。例えば象徴的なことに、読者のあいだでは有名な話なんですが、小松左京は「マリア」という名前が好きなんですね。『エスパイ』も『さよならジュピター』もそうです。

新城 具体的に思い浮かべた人物がいたんでしょうかね?

 単に聖母マリアのイメージが好きだったのではないかと思います。「マリア」じゃなければ、ダンテから引用して「ベアトリス」ですかね。
 いずれにせよ、小松のジェンダー問題はけっこう根深くて、傑作と言われる『果しなき流れの果に』でもジェンダー観の偏りはとてもはっきりと表れている。男性が未来に向かって旅をして、宇宙の真実に向かう。父と子の確執もある。これに対し、妻=母は変えるべき故郷としてのみ存在しています。妻=母は日本列島の豊かな自然の象徴でもあり、主人公は最後に老婆となった恋人の元に帰還する。帰るべき場所としてしての母=女性と未来を掴む男という対立がはっきりしている。これは小松作品に一貫して見て取ることのできる構図です。ただこの構図がズレている作品があって、そのズレを辿っていくと面白いものがみえる、というのがぼくの小松論の骨格なんです。

新城 今おっしゃったことに、ぼくもほぼ賛成なんですが、それでは話が盛り上がらないので…その上で、この評論を拝読していくつか東さんに聞いてみたいことがあります。一つ目は、小松左京と同時代の他の作家はどれくらい女性を描けていたのだろうという点です。

 例えば筒井康隆の作品には、初期からある種のジェンダーパニック的な要素が入っています。その一方、小松は性の問題にほとんど関心がないように見える。同時代の30代、40代のジェンダー観がそのまま持ち込まれ、物語が構築されている。今の時代でも、そこらへんのサラリーマンにきけば、女性は主婦になるべきだと言うかもしれませんが、小説というのは、そういう時代の常識からズレる感性をもつ人が書くものでもある。小説は必ずしも、各時代のジェンダー観をそのままストレートに反映するわけではありません。むしろ一般的に、文学は各時代の支配的な価値観に対する異議申し立てとしての側面をもっています。ある時代において男性中心主義的な価値観が支配的だったとしても、その時代の作品が全てその価値観に覆われているわけではない。
 そういう点で考えると、小松作品はとても保守的です。小松の作品は、時代の価値観を、素朴に、かつストレートに反映してしまっている。特に初期の作品、『日本アパッチ族』や『復活の日』はそうです。『日本アパッチ族』はほとんど男しか出てこない。クライマックスのあたりで、古き良き日本を幼い女郎に喩える部分があるのですが、ここなど今だったら政治的にアウトです。『復活の日』にも、南極大陸に残った10人くらいの女性が不特定の男性とセックスして、産んだ子どもをみんなで共有するという設定がある。これもまずい。まさに「産む機械」としての女性ですからね。当時の支配的なジェンダー観をここまではっきり反映している作家というのは、逆に珍しいかもしれない。

新城 他のSF作家と比べても珍しいということですか?

 そこはわかりませんが。

新城 男性が宇宙の果てまで行った後、母なる存在に再び抱かれるというイメージは、当時の性別に関する考え方を反映しているというのもあるかもしれませんが、精子が卵子に向っていく様子を組み込んだという解釈はできないでしょうか。

 小松の場合、女性は待つ存在であり、帰るべき場所であるというのは全作品に織り込まれている。特定のイメージを反映したものではないと思います。

新城 そうなっているのは、卵子がそういう存在であるという科学的知見に基づいているのかもしれない。

 どうでしょう。たとえその発想が科学的な知見に基づいていたとしても、そのこと自体が倫理的に正しいかという話は成立する。いずれにせよ、小松左京は今日的なフェミニズムの観点からみるとかなり「ダメ」な作家であり、SF界のなかではあまりそういうことは議論されないけど、その事実は前提にしたほうがいい。にもかかわらず、同時にぼくは小松さんの大ファンでもあるので、むしろ小松作品を現代的な環境のなかでどのように「擁護」するか、そう考えて論理を構築したのがこの評論です。
 小松さんのファンはあまりフェミニズム的な観点を意識しないかもしれないけれど、普通に読むと彼の作品にはジェンダー的に耐え難いところがあるということは意識したほうがいいと思います。実際のところ、小松氏が亡くなった後の2013年現在、小松作品はそれほど売れていない。現代の読者の感性からずれている。ぼくは河出文庫で小松左京アンソロジーを編んだので、それなりに実情がわかってしまうのですが。

新城 逆に今、小松作品が何百万部も売れたら、それはそれで怖い、ということかもしれません。

【図1】対談中の東(左)と新城(右)


2006年版『日本沈没』と「残念」な日本



 『日本沈没』は震災を予言していたとみることもできますが、他方で、刊行当時の国家観、社会観、人間観は現在のものと大きく異なります。40年でこれだけ見え方が変わる作品というのも珍しくて、その点でも小松左京は高度経済成長期のイデオロギーを極端な形で体現している人だといえます。例えば、1973年の『日本沈没』と、2006年に樋口真嗣監督が製作した映画版を比較すると、その違いが明確になる。
 1973年版では、国難に対し政治家や官僚が延々と国家論を繰り広げ大活躍するけれど、2006年版では官僚や政治家の存在感がない。2006年の映画では、総理大臣が飛行機の爆発で死んでしまいます。じゃあ代わりに誰が活躍するかといえば、原作では少ししか登場しない阿部玲子。原作では金持ちの娘で留学経験もあるインテリという設定だったのですが、2006年の映画では下町育ちのレスキュー隊員の設定になっています。草彅剛演じる小野寺が柴咲コウ演じる玲子と恋に落ち、結局、「君を救うために俺はがんばる」と言って小野寺は日本海溝に突っ込みます。そしてなんと、この行為で奇跡が起きて、日本の沈没は途中で止まる。1973年版は、国難に対して選良たちが合理的かつ理性的に闘う話です。ですからそこでは、日本とはいったい何なのかがテーマだった。これに対し2006年の映画は、どこかからなんだか大きな災難がやってきた、俺は君が好きだから命をかけて自爆する、そして奇跡が起きる、という作品になっている。いわば「セカイ系」ですね。そしてこの対比に日本の30年間の変化がはっきりと現れている。

新城 樋口さんは元々『さよならジュピター』を映画化したかったとか。

 なるほど。確かに、彼の『日本沈没』はむしろ『さよならジュピター』に似ているかもしれない。

新城 樋口さんとしては『さよならジュピター』に気持ちが向いていたが、なぜだか『日本沈没』になったと、どこかで聞きました。

 そう言われても(笑)。

新城 そこはまったく同意見なんですが(笑)。阪神大震災を経て、誰かを救うお話を描きたかったんだろうな、とは推測しますが。

 とはいえ、「N2爆弾」で自爆では……。そもそもそれはヱヴァの超兵器だし。

新城 水爆はダメだって配給会社からストップかかったという噂も。

 だから「N2爆弾」?

新城 これはむしろ日本の映画産業の問題かもしれませんが。我々は、一個の社会として、もはや『日本沈没』を受容できなくなっているのかも。

 映画そのものの出来がどうということではないのですが、この作品には、日本がずいぶん変わってしまったという事実が刻み込まれている。

玲子と摩耶子



新城 阿部玲子について、もう少しお伺いしてもいいでしょうか?

 ぼくが評論『セカイからもっと近くへ』で注目したのは、『日本沈没』に二人の女性が登場する点です。玲子とは別に摩耶子という女性が登場し、それぞれがいわば母と少女の役割を担っている。そして『日本沈没』が興味深いのは、ヒロインであるはずの玲子が死に、物語中ほとんど忘れられていた摩耶子が逆に最後でヒロインのポジションを奪うところです。

新城 なんだか連載小説みたいですよね。むかし書いたところを無理やり伏線にしたような。書き直す時間がなかったのかな、とも妄想してしまいます。

 それだけではなく、小松は執筆を進めるなかで、摩耶子のほうが未来を担うべきだと直観したのではないかと思います。これはかなり重要なことです。

新城 『日本沈没』は1964年に書き始められ、1973年に刊行されたんですが、小松さんも最初のほうは計算をしていたと思います。どの時点で摩耶子がクローズアップされたのか、草稿や著者校正などをきちんと比較すれば分かるかも知れませんが、最後は突貫工事だったのではと思うんですよ。

 玲子と摩耶子の対照性は、『日本沈没』では「子を産む女」と「産まない女」の対照性に重ね合わせれています。玲子は「セックスは楽しむけれど、子を産むなんて考えられない」というスタンスの女性。小野寺は、それを頼りがいがあると感じ惹かれていくけど、彼女は死んでしまう。小松は最終的に、八丈島の子孫で子どもをどんどん産む摩耶子に未来を託している。それは、『果しなき流れの果に』での佐代子のような女性像からズレた方向を、『日本沈没』では選択していることを意味している。

新城 最近のぼくが『日本沈没』で好きなのは、キャラクターを「案外ざっくりと造型している」ところです。例えば『日本沈没』には主人公・小野寺の友人として郷六郎という名前の人物が登場する。これ、どう考えても当時のアイドル・スターだった「郷ひろみ」と「野口五郎」をくっつけてちょっとひねってるだけとしか思えない(笑)。コミック版ではキャラ設定が大幅にふくらんで大活躍するんですが、原作では一介の新聞記者で、あっけなく死んでしまう。このへんの「ざっくり感」が実に興味深い。他にも、調査船に乗っている船乗りが即興でウクレレを奏でるシーンがあって、いま読むと「なぜウクレレ?」と不思議に思う方もおられると思いますが、このへんは当時大流行した加山雄三の「若大将」シリーズを背景に置くと納得しやすい。

 小松は通俗を意識していました。

新城 『日本沈没』をサラリーマン小説として読めないか、妄想しているところなんです。潜水調査会社内の政治的関係とか、お見合いのシーンとか、例えば梶山季之なんかに対抗して「俺もこういうのできるんだぜ」とアピールしているところが無いかどうか。司馬遼太郎を意識していた節もある。年表を細かく整理していくと、もっと色々なことが見えてくるかもしれません。1960年代、70年代の日本はいまと全然違う国で、『日本沈没』からはそのことがすごく伝わってくるんです。だから最近は構造よりも小ネタを楽しみながら読んでます。


2013年9月21日 東京、明治大学リバティタワー
構成=常森裕介
写真提供=ヤマダトモコ(米沢嘉博記念図書館)
後篇はこちら

新城カズマ

生年不詳。作家、架空言語設計家、古書蒐集家。1991年に『蓬莱学園の初恋!』(富士見ファンタジア文庫)で作家デビュー。『サマー/タイム/トラベラー』(ハヤカワ文庫JA)で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『15×24(イチゴー・ニイヨン)』(全6巻、集英社スーパーダッシュ文庫)、『物語工学論』(角川ソフィア文庫) 、『島津戦記』(新潮文庫nex)など。

森川嘉一郎

1971年生まれ。明治大学国際日本学部准教授。早稲田大学大学院課程修了(建築学)。秋葉原へのおたく文化の集中を調査し、その研究を下敷きに、2004年ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館コミッショナーとして「おたく:人格=空間=都市」展を制作(日本SF大会星雲賞受賞)。桑沢デザイン研究所特別任用教授などを経て、2008年より現職。著書に『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(幻冬舎、2003年)など。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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