ゲンロンの未来――創業八周年に寄せて|東浩紀

初出:2018年04月20日刊行『ゲンロンβ24』

 年度はじめはさまざまな業務が集中し、なかなか落ち着いた時間がとれない。申し訳ないが今回もまた「観光客の哲学の余白に」は休載として、かわりのエッセイでお許しいただきたい。

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 とりたてて告知しなかったが、ゲンロンはこの四月で創業八周年を迎えた。八年前、ゲンロンがこれほど長く続くと考えていたかといえば、否だ。当時の思いは正確に思い出せないが、ぼくは当初、この会社をあくまでも時限つきのプロジェクトとして捉えていたように思う。

 その考えが変わったのは、二〇一一年春、『思想地図β1』を出版した直後に起きた東日本大震災がきっかけである。それまでのゲンロンは、大人が集まって好きなときに好きなことをするためのサークルのような組織で、またぼく自身それでいいと思っていた。ゼロ年代の日本では、思想や言論の役割なんて、もはやそれぐらいしか残されてないように感じていたからである。

 けれども震災に出会い、ぼくのような哲学者、つまり抽象的なことしか思考できない人間が、このタイミングで具体的に資金を集めひとを動かすことのできる組織をもっているという事実には、なんらかの「意味」があるのではないかと思い始めた。そこで運営の方針を変え、世に送り出したのが、震災特集の『思想地図β2』から『福島第一原発観光地化計画』までの四冊である。

 ぼくのデビューは早い。批評家になって四半世紀になる。けれどもぼくはずっと抽象的で記号的な世界ばかり扱ってきた。

 だからぼくは、そのときはじめて自分の言葉が現実と直接に触れる経験をした。むろん、それまでのぼくもぼくなりに現実に触れようとはしていた。現実に触れていると言い張ってもいた。けれども、それが無理な主張であることはぼく自身だれよりもわかっていた。二〇一一年以降は、そのような無理を主張する気がなくなった。自己申告なので信用ならないかもしれないが、二〇一一年から二〇一三年にかけての二年間で、ぼくはけっこう本質的なところで変わったように思う。

 けれども、あらゆる変化は痛みを伴う。震災を機にした方針転換の代償は、金銭的な危機だった。当時のぼくは言葉と現実の距離感がよくわからず、原発事故についても不用意な発言を行ってしまった。結果として『福島第一原発観光地化計画』は読者の支持を得られず、多額の借金を抱えることになった。

 加えてぼく自身の活動の変化が、支持者を離反させることになった。ゼロアカだ、朝生だ、ネット論壇だ、若手論客だと騒いで集まり、ぼくに有名人との交流やサブカル批評を期待していた人々が、この時期潮が引くように去っていった。カネが去りひとが去ると社内もおかしくなるもので、二〇一三年秋から二〇一五年春にかけての一年半は、毎週のように経営上の問題が勃発し、まったく落ち着くことができなかった。個人の貯金もぐいぐい目減りし、なんども社をたたむことを考えた。この時期、驚くほどの薄給でゲンロンを支えてくれたのが、現副代表の上田洋子と現事業統括の徳久倫康である。彼らがいなければゲンロンは潰れていたし、裏返せば、彼らしか結局は残ってくれなかった。この点において、二人にはいくら感謝してもしすぎることはない。原稿で社員に感謝を捧げるのは異例かもしれないが、むしろここでなければ書けない話なので、あえて記しておく。

 いずれにせよ、『福島第一原発観光地化計画』の失敗により、二〇一三年度にゲンロンの経営は深刻な危機に陥った。二〇一四年度はなんとかカフェの収入で食いつなぎ、二〇一五年度にスクールを立ちあげて息を継いだ。二〇一五年の年末には『ゲンロン』が創刊され、離れた客も戻り始める。二〇一六年度、二〇一七年度と売上はV字回復し、いまにいたっている。

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 さて、二〇一八年四月のいま、ゲンロンはそれなりの規模の会社に成長している。安月給に変わりはないが、役員二人、社員九人がこの会社の売上で生計を立て、ほかアルバイトも二〇人近く抱えている。中小企業の経営者としての責任が、ぼくの肩には重くのしかかっている。

 加えて、それと同じか、それ以上に重いのが、この八年のあいだにゲンロンが築きあげてきた人間関係と、多くの人々がゲンロンに寄せてくれている期待である。『ゲン ロン0 観光客の哲学』は毎日出版文化賞をいただいた。贈賞式で選考委員の鷲田清一氏は、著書の内容に加え、ゲンロンの活動への注目を授賞理由に挙げていた。カフェは開業して五年になる。そのあいだ、専門、職業、年齢、有名無名を問わず、じつにさまざまなひとにご登壇いただき、いまやゲンロンカフェは論壇ジャーナリズムで無視できない位置を占めている。登壇者累計が何人になるか数えていないが、サインはカフェの壁を埋め尽くしている。スクールも毎年実績を重ね、去る四月八日に行った懇親会には一〇〇名近い受講生と卒業生が集まった。

 ぼくはもともと、孤独に本を読んだり、文章を書いたりするのが好きな人間である。人間もあまり好きではない。だからこそ会社に勤めず、物書きになった。金儲けにも関心がない。それゆえ、八年前にはこのような責任を負うことになるとはまったく想定していなかった。

 けれども、その場その場で目のまえの問題を解決しているあいだに、ゲンロンはいつのまにか成長してしまっていた。『ゲンロン』にしろカフェにしろスクールにしろ、もはや簡単には潰すことができない。もしいまゲンロンをたたむことになったら、多くのひとが失望するだろう。そしてその失敗は、数十年後にいたるまで、日本の批評に浅くない傷を残すことになるだろう。このように考えるのは、かつて似た失敗をした批評家がいて、実際にぼくの世代は傷ついたからである。ゲンロンをやめ大学教師や作家に逃げ戻ることは、もはや道義的に許されそうもない。

 だからぼくは最近、ゲンロンはこれからなにをすべきなのか、この会社の「意味」はなにか、あらためて考えなおしている。

 ゲンロンはこれからなにをすべきか。それを語るためには、まずはゲンロンがここまでなにをなしとげたのかを明らかにしなければならない。ぼくはゲンロンの代表で、成果について語ればどうしても自画自賛になってしまうのでたいへん書きにくいのだが、自画自賛だからこそここでしか書けないとも言えるので、あえて記させてもらおう。

 ゲンロンはこの八年でなにをなしとげたか。多くの読者は、『ゲンロン』のあの号がすごかったとかカフェイベントのあの回がすごかったとか、あるいはスクールのような新しい教育の場を立ちあげたことがすごいとか、個別のプロジェクトの名を挙げるのではないかと思う。それは書き手あるいは企画者としては嬉しいことだが、経営者の立場からすれば、みなもっと重要な成果の副産物にすぎない。では、ゲンロンのいちばん重要な成果とはなにか。

 それは、そのようなさまざまなプロジェクトを可能にする、経済的に持続可能なプラットフォームの構築にほかならない。