東浩紀『テーマパーク化する地球』を読む|江渡浩一郎

初出:2019年07月19日刊行『ゲンロンβ39』

 六月の刊行以降、多くの反響を集める東浩紀『テーマパーク化する地球』。本書に収められた四七のテクストは、震災以降の東が辿った思索と実践の軌跡を示しており、読み手に応じた多様な解釈の可能性が開けている。そこで今号では、近現代史研究者の辻田真佐憲氏と、メディアアーティストの江渡浩一郎氏のおふたりに、それぞれの『テーマパーク化する地球』評の寄稿を依頼した。まったく違ったバックボーンと関心を持つ二人は、本書をどう読んだのか。新たな読解の可能性のヒントに満ちた二つの評をお楽しみいただきたい。(編集部)※辻田真佐憲さんによる書評「自由な議論とはこうやるのだ」はこちらから

 

「組織運営と『書く』こと」江渡浩一郎


『テーマパーク化する地球』の感想を書いてみようと思う。
 あちこちに公開した文章をまとめた本である。そのため、一冊の本の感想として書くのはやや難しい。本を貫く一つのテーマというものがあるにせよ、もともとは多様な媒体で多様な文体で発表された原稿である。それをテーマに添うように並べ変えたという本になる。本書のテーマは、強いて言うなら「東浩紀の変遷」ということになるだろう。コンピューターっぽく言えば、「東浩紀のバージョンアップ記録」である。新しくなったOSの使い方だけ知りたいのであれば読みとばしていいところだが、どんな経緯でバージョンアップされたのか詳しく知りたいタイプの人(つまり、私だ)には、おすすめする。

 表題の「テーマパーク化する地球」は、資本主義の発展によって世界中のさまざまな場所へのアクセスが容易になり、そのため世界が平準化されたということだろう。ショッピングモールという言葉も、同じ文脈で使われている。都市を文化という側面で考える立場にとっては、あまりポジティブには語られていなかったことだ。そこにある種のポジティブな評価を見出すところに、まずは面白さがあるだろう。

 その次に、慰霊・廃墟・ダークツーリズムへと接続している。これは、二〇一一年の東日本大震災以降に出てきた発想だろう。その中でも特に、「福島第一原発観光地化計画」について、大変力を入れて取り組んでいたことを覚えている。二〇一二年の第三回ニコニコ学会βに、東氏に登壇していただいたのを覚えている。この計画については、シンプルに失敗と総括している。なぜ失敗したのかの理由も考察している。私の観点からは、なぜこれがイケそうだと判断していたのか、むしろそちらの方が疑問なのだが。

 一番の収穫は、東氏がデリダを選んだ理由がわかったことだろう。「デッドレターとしての哲学」では、宮崎裕助氏との対談の形でそれを明らかにしている。私のデリダへの印象は、『絵葉書』の感想そのものだった。つまり、衒学的で脈絡がなく、ポエムのような言葉が飛び交っている思想、というものだ。しかし、その理解は違うのだと言う。デリダは、限られた語彙で、哲学者の先行する業績を押さえつつ議論を展開している。つまり、デリダは哲学史の流れを継承し、その文脈を押さえることで思想を組み立てているとのこと。これは私の理解からはまったく離れていた。なるほど、私はデリダを理解できていなかったわけだ。

 もう一つ、新津保建秀『\風景』の序文。これは初出である。幻の序文と言っていいだろう。その中で、東と新津保の二人が、ある小学校を訪問した場面が描かれている。これは、とある事件に関係のある場所である。主たる現場となったのは、赤坂のとあるウィークリーマンションだ。事件が起こってしばらくしたら、まったくニュースに取り上げられなくなってしまったという曰く付きの事件である。その事件のもう一つの現場となった小学校について描写されているが、伝統的な小学校というよりモダンで工夫された建築である。この、モダンに脱臭された建築や都市空間の薄気味悪さについて書いている。私はこれと同種の奇妙さを日々感じている。それは、つくばという土地が人工都市として作られたからだ。さまざまな人為的な計画の集積で出来上がった都市は、自然に発展した都市(自然都市)が持つ生命感に欠けている。

 クリストファー・アレグザンダーは「都市はツリーではない」において、自然都市と人工都市を区別し、人工都市はどこかよそよそしく、なにか本質的なものが欠けていると延べている。それに対して、自然都市は落ち着いていて、ある種の美しさ、無名の質を備えている。私の本『パターン、Wiki、XP』で、この議論を紹介している。本書を書いてから、この「無名の質」についてずっと考えている。約一〇年が経過したが、今も考えている。人工都市やニュータウンの人工的な風景が人の気持ちに与える(悪)影響について、私たちは過小評価しすぎているかもしれない。

 本書の中でも特に重要なのが、第五章「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について」であることは間違いないだろう。東氏が体調の不調をもらし、代表を辞任することになった時には、本当に心配した。同時代を生きる思想家として、自身の組織を持ち運営を続けてきた東氏が、それを続けられなくなったことは、大きな損失に思えたのである。

 私の場合は、ニコニコ学会βという組織を運営していた。それは法人ではなく、任意団体だった。このような、比較的難易度が低いはずの組織運営であっても、やはり運営の苦しみというものは存在する。私の場合は、ニコニコ学会βを5年間の時限付きにしたことは、最良の判断だったと思う。そのお陰で、またチャレンジする機会が与えられた。といっても、誰にでもこの手法をおすすめするつもりはない。5年間で終わりにするという判断にも、やはり決断の苦しみはあった。

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