つながりロシア(14) コロナ・パニックと東方正教会(2)「われわれ」の中に潜む敵──「ウクライナ正教会」の断罪と救い|高橋沙奈美

初出:2020年09月23日刊行『ゲンロンβ53』

 欧州で都市封鎖と外出制限が始まったこの春、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは、続々と打ち出される防疫措置を受け入れる社会について「自分たちの生が純然たる生物学的な在り方へと縮減され、社会的・政治的な次元のみならず、人間的・情愛的な次元のすべてを失った、ということに彼らは気づいていない」と警告した。これは、彼の哲学を知るものにとっては、いかにもアガンベンらしい指摘であった★1。しかしこの時ばかりは、新型コロナウィルスを「通常のインフルエンザとそれほど違わない」と断定したこの老哲学者を、専門家や思想界は激しく非難した★2

 筆者は前号で、コロナ禍において自分たちの生が生物学的な次元に還元されてしまうことを拒否したロシアの正教徒たちについて紹介した。今回は隣国ウクライナの正教徒の状況を論じたい★3

 なお、本論では主に伝統的正教徒に言及する。伝統的正教徒とは、教会に定期的に通い、地域コミュニティでもある教区共同体を形成する人びとで、実際は正教徒を自認する信者の1割程度を占めるに過ぎない。しかし、教会が彼らによって支えられている以上、正教会について考える上で無視することのできない存在である。コロナ禍における伝統的正教徒の行動の中には、リスクを軽視したものがあり、また宗教的権威の維持や経済的利益の充足に動機付けられたものがあったことは否定しようもない。しかしその一方で、「距離を取ることが他者を守ることになる」というコロナ時代の命題を信じることができなかった人びとがいたこともまた確かである。

 新型コロナウィルスがもたらしたものは、防疫措置による経済的なダメージだけではない。アガンベンの警告に従えば、われわれはあまりに無防備に「純然たる生物学的」な生を守ることを至上命題としてしまいがちである。防疫措置を無視・軽視していると見られる言動は、自他の生命を脅かすものとして、徹底的に攻撃されている。こうした状況下で、われわれが「生きる」ことの意味が再び問い直されている。緊急事態を突きつけられた社会がいかに容易に「敵」を作り出すか、そして、そのような状況下で意味ある生を生きるとはどういうことなのかを、ウクライナの事例から考えてみたい。

ウクライナのナショナリズムと正教会


 ウクライナはロシアとポーランドに挟まれた多民族・多宗教国家である。首都キエフ★4は、東スラブ民族(ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人)揺籃の地であり、東方正教の信仰もここで東スラブ民族に受容された★5。こうして、正教はウクライナの最も伝統的で重要な宗教のひとつとなった。しかし、17世紀以降、政治の中心がモスクワに移ると、ウクライナの正教会はロシア正教会(モスクワ総主教庁)の管轄下に置かれることになる。

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九州大学人間環境学研究院。主な専門は、第二次世界大戦後のロシア・ウクライナの正教。宗教的景観の保護、宗教文化財と博物館、聖人崇敬、正教会の国際関係、最近ではウクライナの教会独立問題など、正教会に関わる文化的事象に広く関心を持つ。著書に『ソヴィエト・ロシアの聖なる景観 社会主義体制下の宗教文化財、ツーリズム、ナショナリズム』(北海道出版会)、共著に『ロシア正教古儀式派の歴史と文化』(明石書店)、『ユーラシア地域大国の文化表象』(ミネルヴァ書房)など。

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