当事者から共事者へ(8) 再生と復興のナラティブ|小松理虔

初出:2020年11月20日刊行『ゲンロンβ55』
 小松理虔さんの大好評連載「当事者から共事者へ」、11月20日配信予定の『ゲンロンβ55』より第8回を先行公開します。
 福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」で感じた違和感とはいったい何か? その土地の傷と向き合い、トラウマを統合して未来を目指す「復興のナラティブ」を立ち上げるための思索の結晶です。どうぞお読みください。(編集部)

 

 これが今の、双葉郡の「等身大」なのかもしれない。それが、ぼくの感想だった。展示されたもの、展示されなかったもの。それらすべてが、今の精一杯の現実なのだと。

 

 先日、ふと思い立ち、福島県双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」を見てきた。グーグルで検索すると、自宅からおおよそ80分と出る。常磐自動車道に新しく「大熊インターチェンジ」が完成したこともあり、意外なほど近い。天気のいい朝だった。小名浜を出発し、豊間や薄磯といった津波被災地域を通る県道を抜け、国道6号線(ロッコク)を北にひた走る。そして、四倉インターチェンジから常磐道へと入り、大熊インターを目指した。

 常磐道では、とにかくトラックを目にした。特に、大熊・双葉両町に広がる中間貯蔵施設へと持ち込まれる除染土を運ぶダンプが目立つ。いわき中央インターチェンジ以北の常磐道は、まだ片側1車線の箇所が長い。前にノロノロ運転のトラックがいると数珠つなぎで車列ができる。これならロッコク(国道6号線)を北上したほうがマシだったかな、と思うことも多いのだが、常磐道はロッコクよりも内陸にあり、しかも高い位置を走っている。ロッコクとは異なる視線になるのだ。それを確認したくて、ぼくはロッコクと常磐道をよく使い分ける。この日は常磐道だ。内陸は内陸で、また異なる現実が見て取れる。

 真新しい大熊インターから下道に降り、周囲の風景を見て、少し暗い気持ちになった。インター「だけが」新しいからだ。あたりを見渡せば、あらゆる住宅の前に、人の侵入を拒絶するゲートが置かれている。ふと目をやると、家の前の雑草は10年分の成長を見せていた。10年。そこに落ちていた松ぼっくりが、すっかり松の若木になる、それほどの月日。ロッコク沿いの風景ばかりを見ていたぼくは、改めて、その風景がロッコク以外の部分にも広がっていたことを知った。

 この地域では「新しい地域づくり」が始まっている。地域を除染し、市街地エリアを新たに整備し、人が住める地域を区画し直す。またあるいは、「イノベーションコースト構想」のように、研究機関や企業を誘致して、新しい産業を興そうとしている。こうして「新しい地域づくり」と言葉にすると、何かこの地域に新しい未知のフィールドが広がっているかのように感じるかもしれない。

 けれど、「新しい地域」なんて本当はなくて、どの地域にもぼくらが生きてきた数十年の人生より圧倒的に太く長い歴史があったんだな、ということを考えずにいられなかった。

 そもそも「新しい地域づくり」などほとんど不可能だ。ぼくたちはいつだって膨大な死の上に立っている。だからこそ地域は難しい。

 ここには、まぎれもなく暮らしがあったのだ。その事実を、車道の両側の風景が伝えていた。

【図1】新しい大熊インターチェンジ
 

【図2】道路ですれ違う車の多くは除染土を運ぶトラックだった
 

【図3】10年分の成長を見せていた松の木
 

 帰還困難区域内を10分ほど走るとロッコクに合流する。ちょっと前は震災当時の姿をとどめていた建物でも、一部は解体され、敷地ごと整地されているところがあった。それだけ復興が進んだわけだ。この夏にあるはずだった東京オリンピックを当然意識したのだろう。特定復興再生拠点区域(帰還困難区域内で、新たに居住可能と定めることができるようになった地域)であるJR大野駅周辺や大野駅西側の下野上しものがみ地区、町役場のある大川原おおがわら地区などでは新しいまちをつくる工事も始まっている。しかし、この地域全体がかつての風景を取り戻すことはない。大熊町のロッコク以東の地域のほとんどが中間貯蔵施設の用地に指定されているからだ。町の復興再生計画によると、中間貯蔵施設の用地は、東京ドーム234個分の1100ヘクタール。特定復興再生拠点区域の860ヘクタールよりも広い。それでも、未曾有の原子力災害の被災地に新たな暮らしを取り戻そうという取り組みに尽力してきた人たちの苦労を思うと、よくぞここまで、と頭を下げるほかない。計画によれば、一部先行エリアの避難指示が解除された2019年度から5年で、特定復興再生拠点区域の生活・社会インフラを整備し、2600人の居住人口を目指すとしている。

 震災時、およそ21000人の人口があった浪江町では、2019年3月に町民のおよそ8割が住んでいた市街地エリアの避難指示が解除された。それから1年半が経った今年9月時点での人口は1467人だそうだ。まだ1割も戻っていない。震災時、15000人の人口があった富岡町では、福島第一原発に近い町北部以外のすべてのエリアで避難指示が解除となった。現在の人口は1500人で、こちらは1割を回復したところだ。これから復興が進めば、じわじわと人口は回復していくはずだが、それでも震災前の人口を完全に回復することはないだろう。大熊町は、どの程度再生していくのだろう。

 ロッコクを北上すると双葉町に入る。双葉町は、JR双葉駅の西側を先行的に再生するほか、町の東側の中野地区で「復興産業拠点整備事業」を行う計画になっている。「東日本大震災・原子力災害伝承館」も、その中野地区にある。双葉駅と中野地区とを結ぶ道路は「復興拠点アクセス道路」として整備される予定だ。道路そのものは開通していて、ぼくもその道路を通った。真新しいアスファルトが眩しいほどだ。しかし、それとは裏腹に、伝承館のあるエリア以外は、区画は整理されているのにススキとセイタカアワダチソウが伸び放題に生い茂っている。まだ「新しい地域づくり」は見えてこない。東京湾岸の埋立地のような場所なら「イノベーションコースト構想」のような言葉もしっくりくる。ここは、そうではない。どうしたって「ここにあったもの」を思い描いてしまうのだ。いくらここに「新しい地域を」「ここはまっさらな土地だ」と華々しいコピーを作っても、そこにあった歴史をまとう空気までは刷新できない。

【図4】ロッコクから双葉駅方面を望む。まだ手つかずの建物も多い
 

【図5】農協の建物の時計は14時46分を示していた
 

【図6】双葉の若者たちが描いたというグラフィティ

前史なき展示

 伝承館は、その真新しさをまとった土地に建っていた。立派な建物だった。

 チケットを購入して中に入ると、まず最初に、横幅8メートル近いスクリーンのある部屋に入る。オープニングのムービーを見るそうだ。福島県を代表する俳優、西田敏行さんの「福島訛り」のナレーションで、それは始まった。だれもが発展を求めた高度経済成長の時代、この地域に原子力発電所が誘致された。ここで作られるエネルギーは、この地ばかりでなく、首都圏の発展を、そして日本を支えた。しかし、その数十年後、地震と津波に襲われた原発で事故が起き、多くの人が避難を余儀なくされた。地域は大きな苦境に立たされるが、それでも、県民の強い思いに支えられ、今まさに復興の途上にある。そこには光も影もある。だから、これからの未来のことを、皆さんと一緒に考えたい。そんなことが語られていた。

 こういう映像は、これまでなんども見てきた気がする。なんとなく、復興系の大型イベントで再生されそうな映像だな。そんな気がした。

 ムービーが終わり、スクリーンを取り囲むように設計されたスロープを登ると、その壁には、「東日本大位震災・原子力災害関連年表」とあり、これまでの地域の歴史が白黒写真で記載されていた。最初に書かれているのは「1884 常磐炭鉱創業」だった。目を右側に移すと、そこから石炭火力ができ、原発ができたという流れになっている。意外だった。というか、少し唐突だった。双葉町や大熊町のそもそもの歴史に触れることなく、いきなり炭鉱から始まる歴史。つまり、この伝承館の伝えたい歴史は、エネルギー産業を受け入れた「後」なのだ。

 年表は、原発事故、住民の避難と帰還、各自治体の避難指示の解除や、常磐線の復旧などポジティブなニュースにも触れながら、現在に至る。観覧者は、最初のムービーとスロープの年表で、原発が誘致された背景や、事故後の混乱、復興への歩みをざっくりと知ることができるというわけだ。とてもわかりやすいと感じたし、初めてこの地を訪れる人にとっては、ここで何が起きたのかを知る入口になると思った。

 スロープを登り切ると、資料展示ブースだ。ブースは5つに分かれている。震災前の暮らしを紹介する「災害の始まり」、事故直後の対応や記録を伝えようという「原子力発電所事故直後の対応」、証言や思い出を語る「県民の想い」、長期化する災害の影響を科学的に分析した「長期化する原子力災害の影響」、今後の将来像などを紹介する「復興への挑戦」の5つだ。実際の展示がどうだったか、個別の展示については、皆さんに見てもらいたいので詳細には語らない。いくつかの印象的な展示に言及しながら、全体としてどのようなイメージを受け取ったかを書いていく。

【図7】中野地区の新しい復興拠点となる敷地。遠くに防潮堤も見える
 

【図8】真新しい伝承館
 

 すべての展示室を見てまず率直に思ったのは、意外なほど、何も印象に残らなかったということだった。子どもたちの学校に展示されていた壁新聞や、学校に残された文房具などは、幼い子を持つ親としては心に強く訴えかけるものがあったし、住民の避難について紹介するブースでは、住民がいかに辛い思いをしていたのか、よく伝わってきた。廃炉の現状を伝えるブースも非常にわかりやすい。大きな図が展開されていて、的確に情報を伝えているとは思う。ところが、なぜか心にほとんど残らなかった。特に後半、震災後の復興を伝える展示は、対外的に発せられた情報パネルのような展示が多く、これまでに資料やメディアなどを通じて知っていたからだろう。「伝承」というからには、原発事故の教訓を伝える展示や、双葉町や双葉郡のこれまでの暮らしぶりを伝えるような展示があると思っていた。が、実際には、どちらかというと資料館、情報館といったほうがふさわしい展示かもしれない。

 なぜだろう。なぜ強く印象に残らなかったのだろうと振り返ると、1つの結論にたどり着く。この伝承館には、この地にどのような歴史や文化があったのか、そして、原発事故がなぜ起きたのかということを語る展示がないということだった。

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1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、いわき海洋調べ隊「うみラボ」では、有志とともに定期的に福島第一原発沖の海洋調査を開催。そのほか、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。『ゲンロンβ』に、『新復興論』の下敷きとなった「浜通り通信」を50回にわたって連載。共著に『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)ほか。初の単著である『新復興論』(ゲンロン)が第18回大佛次郎論壇賞を受賞。 撮影:鈴木禎司

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