イスラームななめ読み(4) アッラーのほか、仏なし|松山洋平

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初出:2021年7月26日刊行『ゲンロンβ63』
 イエズス会のフランシスコ・ザビエルは、日本でキリスト教の宣教を開始した当初、真言密教の大日如来をデウスと同一視し、ひとびとに「大日を拝みあれ」と説いたといわれる。しかしその後、「大日」が不適切な訳語であると気づいたザビエルは、一転して「大日な拝みあっそ」(大日を拝むな)と呼びかけたという★1

 一方で、デウスと大日を同一視したのはザビエルではなく、真言宗の僧侶たちであったとの記録も存在する★2

 どちらが史実であるかは、ここでは問題ではない。いずれにしろ、最終的にザビエルらは、「デウス」を日本語に翻訳することを諦め、ラテン語のまま「でうす」と呼び、日本での布教を進めた。

 はたして、ザビエルらは「デウス」を日本語に翻訳することをさほど重要視していなかったのだろうか。決してそうではない。カトリックの宣教師たちは、翻訳の如何が、新しい土地における宣教の成否に大きく関わることを理解し、宣教先で話される言語の研究に力を注いでいた。日本でもそれは変わらなかった。にもかかわらず、来日した宣教師たちは、「デウス」を日本語に翻訳することを諦めたのである。

 この事実は、天地の創造主を名指し得る言葉が、日本語──少なくとも当時のそれ──の中には見出せなかったことを示している★3。ジョアン・ロドリーゲスは、「日本人は今日までその御方のことを知らなかったために、日本語で、その御方をお呼びする名前を持たなかったのである」とのザビエルの言葉を書き残している★4

「デウス」の翻訳問題は、中国でも起こった。

 17・18世紀の中国では、「デウス」の訳語をめぐり、清朝で布教に携わったカトリックの司祭たちの間に大きな論争が生じた。

 19世紀には、イギリスとアメリカのプロテスタントの宣教師たちが、今度は英語の「ゴッド」の訳語をめぐり、「神」と訳すべきだとする陣営と、「上帝」と訳すべきだとする陣営とに分かれ、意見を対立させている★5。結局この対立は解消されず、「ゴッド」を「神」と訳した中国語訳聖書と、「上帝」と訳した中国語訳聖書の両方が印刷された。

 この論争は、日本語における「ゴッド」の訳語を方向付けることになる、一大事件でもあった。

 19世紀末の日本でキリスト教の布教に携わった者の中には、「ゴッド」の中国語訳として「神」を支持した宣教師たちの流れをくむアメリカ人が多かった。その結果、特にヘボン訳聖書(1872年)の出版以降、中国語訳聖書から──さほどの学術的検証もないままに──転用された「神」という言葉が、英語(キリスト教)の「ゴッド」の日本語訳として採用され、そのまま定着するに至る★6

 今でこそ私たちは、ゴッドの訳語としての「かみ」を、何の違和感もなく受け入れている。しかし、そもそも中国語の「神」(shén)は、日本語の「カミ」とは異なる意味を持っていた。近代日本語においては更に、この中国語の「神」が、キリスト教の「ゴッド」の意味が付与された上で、「カミ」という日本語と結合しているのである。

 柳父章が指摘するように、近代日本語の「かみ」という言葉はこのような経緯で二重に意味がねじれてしまっている★7。近現代の日本人は、このようなねじれを持つ「かみ」という言葉を用いて、日本古来のカミや、天皇、キリスト教その他の宗教の「神」をも、理解してきたことになる。津田左右吉がその可能性を示唆するように、「ゴッド」を「かみ」と訳したことに付随する言語干渉が、日本における戦中・戦後の国家づくりにも影響を与えたのだとすれば、「カミ」=「神」=「ゴッド」との認識を形成した一連の翻訳は、近代日本にとっての世紀の大翻訳(世紀の大誤訳?)だったと言うこともできる★8

イスラーム教(アラビア語)における「神」


 さて、この「神」の翻訳の問題は、キリスト教の専売特許というわけではない。同じ問題は、イスラーム教についても当然考えることができる。

「デウス」や「ゴッド」に相当するイスラーム教の言葉は、日本語でどのように翻訳することができるだろうか。あるいは、これまで実際に、どのような言葉があてがわれてきたのだろうか。

 論点を簡単に整理しておきたい。

 イスラーム教(アラビア語)において、「神」と訳され得る言葉は主に二つ存在する。一つは、創造主のである「アッラー」(الله)、もう一つは、「崇拝されるもの」を意味する一般名詞「イラーフ」(إله)である。

「アッラー」という言葉は、創造主の固有名とされ、複数形や女性形を持たない。一方の「イラーフ」は一般名詞であり、アッラーに対して用いられることもあれば、他宗教における崇拝対象に用いられることもある。なお、一説によれば、「アッラー」という単語は、「イラーフ」の頭に定冠詞「アル」をつけたものが縮まったものだとも言われる。この説に依拠すれば、「アッラー」は「The イラーフ」との意になる。

「アッラー」と「イラーフ」という二つの単語は、イスラーム教の根本信条を表す信仰告白(シャハーダ)の言葉「アッラーのほか、イラーフは無い」(لا إله إلا الله)の中にも含まれている。なお、今日この言葉は、「アッラーのほかに神はない」と訳されることが多い。つまり、「アッラー」は「アッラー」とカタカナ転写され、「イラーフ」は「神」と翻訳されている。

 アッラーのみを「イラーフ」とみなし、それ以外の存在を「イラーフ」とみなさないことが、イスラーム教の根本信条である。アッラーは「真のイラーフ」(إله حق)、アッラー以外の崇拝される存在は「虚偽のイラーフ」(إله باطل)とされる。「イラーフ」は、アッラーという固有名の性質を直接説明する言葉である。「アッラー」の訳語の問題の背面には、「イラーフ」という言葉の訳語の問題も、同様の重要性をもってぶらさがっている。

「アッラー=天之御中主神」論

 日本では、明治以降にイスラーム教徒との接触が増え、イスラーム教に入信する日本人も出てくるようになる。とはいえ、「アッラー」や「イラーフ」の翻訳について問題提起を行う人物は少なく、大多数の論者は、極めて安直な議論──議論と呼んでもよいのであれば──に甘んじていた。

 田中逸平(1882年生まれ、1934年没)は、この問題において最も楽観的な立場をとった日本人イスラーム教徒の一人である。「アッラー」の訳語について特段の問題意識を持っていなかった田中は、アッラーを「神」(あるいはときに「真主」)と呼んだ上で、特に保留もなく、日本の「神」と比較している。

 そして田中は、アッラーが99の「正名」──今日では「99の美名」と言われることが多い──を持つとするイスラーム教の教説と、天之御中主神あめのみなかぬしのかみの下に八百万の神を有する日本の神々の階層構造とのメンタリティ的な類似性を指摘するなど、やや強引な意見を示しながら、イスラーム教と「かみながらの道」(日本主義)の理想が、一致するものであることを説いた★9

 田中のように、アッラーを「神」と呼び、日本で「神」と呼ばれる存在をその比較対象とするのは、今日に至るまでの日本における一般的な態度と言えるだろう。たとえば、「イスラム教はアッラーを唯一の神と考える。この点は、あまたの神を信じる日本の宗教観とは異なる」という説明を、私たちは極めてひんぱんに目にすることができる。アッラーという存在が、イスラーム教徒にとっての「」であるとの認識は、極めて自然なものとして受け入れられている。

 他方、ザビエルが一時期「デウス」を「大日」と呼んだのと同じように、アッラーを、日本における特定の神的存在と結びつける見方もあった。
 たとえば、日本人イスラーム教徒の山岡光太郎(1880年生まれ、1959年没)は、「アッローハ、アクバル」(الله أكبر:「アッラーは偉大なり」)の意味を「天照大御神あまてらすおおみかみの意にして、唯一真神アルラアの敬語的代名詞なり」と説明している★10。また、嶋野三郎(1893年生まれ、1982年没)によれば、山岡はアッラーを「阿弥陀仏」にもなぞらえていたという★11

 同じく日本人イスラーム教徒で、日本での宣教に熱心に取り組んだことで知られる有賀あるが文八郎(1868年生まれ、1946年没)は、アッラーを、「唯一神」(と有賀が考える)天之御中主神と同一の存在とみなした★12

 有賀は、やはり田中と同じように、日本精神とイスラーム教の関係について極めて楽観的な見通しを持っており、イスラーム教こそは、「最も日本国民に合致する宗教」、「我が国、建国以来の精神に合致する」宗教であると説いた★13

 彼はまた、アッラーを天之御中主神と同定するのみならず、天皇・皇室への態度について積極的に言及し、イスラーム教を奉じることと、日本の国体を奉じることの矛盾しないことを論じている。有賀は、日本の皇祖たる天照大神・天皇・皇族一同に対する「尊敬」と、「唯一真主」(=アッラー)に対する「崇敬」とを区別した上で、イスラーム教徒であっても、天照大神・天皇・皇族一同を「尊敬」するのは当然のことである、と説いたのである★14

 ところで、「日本精神(神道)=多神教」との通俗的理解が広まっている現代日本の感覚からは、神道の神(天之御中主神)をイスラーム教の神(アッラー)と同一視する発想は、極めてアクロバティックに感じられるかもしれない。しかし、平田篤胤以来の復古神道においては、天之御中主神に対して、一神教的・創造神的な性格が付与されていたと言われている。戦前・戦中には、日本人キリスト教徒の間でも、天之御中主神をキリスト教の神と同一視する議論が展開されていた★15。イスラーム教徒である有賀らがアッラーを天之御中主神と同定したのも、オリジナルな思想ではなかった。

「アッラー」翻訳禁止論


「神」と呼ぶか「天之御中主神」と呼ぶかでは付随する文脈が異なってくるが、既存の日本語の単語をアッラーの訳語にあてがう点では、田中も有賀も、共通の戦略をとったと言うことが可能である。

 日本語での「アッラー」の呼称について、以上のようなある種の楽観論に立った論者とは対照的に、大日本回教協会の原正男(1882年生まれ、1972年没)は、「翻訳不可能」(あるいは、翻訳禁止)の立場を示した。なお、原はイスラーム教徒ではなく、(国家)神道を深く信仰した国粋主義者である。

 原の立場はこうだ。

 イスラーム教(アラビア語)における「アッラー」や「イラーフ」という言葉は、日本語の「神」とは全く異なる意味を有している。したがって、イスラーム教徒が真の「イラーフ」と信じる「アッラー」の訳語に、日本語の「神」をあてがうことはできない。

 アッラーは「アッラー」、イラーフは「イラーフ」、神は「神」と呼ぶしかない。

 イスラーム教の信仰告白の言葉は、「لا إله إلا الله」(ラー・イラーハ・イッラッラー)」とアラビア語で唱えなければならず、「アッラーのほかに神はない」などと日本語に翻訳すべきではない。なぜなら、日本語の「神」という言葉が意味する射程に、アッラーは含まれないからである。

 この立場は、さきほど見た田中や有賀の立場とは真逆のものと捉えることができる。しかしながら、日本精神とイスラーム教の信仰の両立可能性については、田中や有賀同様に、肯定的な見方を、原は示していく。

 つまり、「アッラー」と「神」が別物であるからこそ、アッラーを「絶対至上の存在として崇拝」するイスラーム教徒が、全く同時に、日本語で「神」と呼ばれる諸々の存在を認め、それを「尊崇」することもあり得る、と原は結論する★16。「アッラー」や「イラーフ」は「神」とは別の概念であり、したがって、日本語で「神」と呼ばれるものへの尊崇の念は、唯一のイラーフであるアッラーへの信仰を打ち消すものではないからである。
 こうした原の議論には、批判的な評価もある★17。しかし、彼の議論の背後には、ある種の時代的な要請があった。

 満州事変以降、大日本帝国は、イスラーム教徒を支配するという喫緊の問題に直面していた(回教徒問題)。イスラーム教徒が、同時に大日本帝国の住民、あるいは臣民となるとき、天地の創造主(アッラー)のみが唯一の崇拝対象であるという彼らの信仰と、天皇が現人神であるとの認識が両立し得ないという問題が、当然ながら生じてくる。

 竹内好は、大陸における日本の対回教徒政策の様子を記した回想録の中で、蒙疆(現在の内モンゴル自治区中央部)のイスラーム教徒の訓練にあたる一日本人青年の言葉を伝えている。この青年の任務には、イスラーム教徒に神社を参拝させる任務が含まれていたのだが、青年は、「回教の信仰が、彼らにとって正しいものであることを理解出来る」と言う一方で、回教の神よりも「われわれ日本人の神が、更に高くおはすことを[…]彼らにも納得させたい」と、極めて真剣に悩んでいたという★18

 この青年の「苦悩」は、天皇を「神」と仰ぐ日本の国体の中に、天地の創造主を唯一の「神」と考えるイスラーム教徒を住民・臣民として抱えることの困難さ──竹内の言葉を借りれば「微妙さ」──を象徴している。

 この困難さの一面は、イスラーム教の「アッラー」を、日本語の「神」と同じ土俵にのせてしまうことから生じている。翻訳禁止の立場をとった原の議論が、こうした問題をうまく潜り抜け、日本の国体下にイスラーム系諸民族を留め置くための方便であったとすれば、妥当な落としどころだったと言えなくもない★19

 実際原は、「而して日本精神は斯くして回教を包容し、これを善導すべきものである。回教を恐れ又は之を嫌う等の事は更に有ってはならぬ。我が国民は我が国の古来の高い精神に照らして、回教を容れ回教徒の指導者たらざるべからずと信ずる」★20と述べ、帝国がイスラーム教徒の信条に理解を示し、包摂・善導すべきことを主張していた。それはまた、原個人の主張に留まらず、時勢の要請するところでもあった。

 原の議論は、概念的な部分だけに目を向ければ暴論にも見えるが、限られた選択肢の中で、現実的な妥協点を求めた故のものだったかもしれない。

戦後の傾向


 戦後、「アッラー」の日本語訳の問題を学問的見地から再検討した人物に、社会人類学者の大塚和夫(1949年生まれ、2009年没)がいる。彼は、この問題についての自身の考察を、「アッラー、神、アラーの神」という論考にまとめた★21

 大塚はこの論考において、ソシュールや丸山眞男の議論を経由しながら、イスラーム教における唯一の崇拝対象である「アッラー」を、「神」あるいは「アラーの神」と訳してしまえば、アラビア語の「アッラー」という言葉に元来具わる意味的な排他性──この排他性は、「アッラー」という語の本質的な特性である──を打ち消してしまうことを指摘している★22。最終的に大塚は、「アッラー」はカタカナで「アッラー」と音写するのが適切である、と結論する。翻訳不要という点では、上記の原の立場に近い面もある。

「アッラー」は、「神」や「アラーの神」などと言わず、カタカナで「アッラー」と音写すべきであるという大塚の主張は、今日では広く受け入れられ、実践されていると言えるだろう。

 大塚の論考は、「アッラー」の翻訳について一定の説得力のある議論を展開しており、今日においても変わらぬ価値を持っている。ただし、「イラーフ」の訳語の問題──つまり、「イラーフ」を「神」と訳してもよいのか、言いかえれば、アッラーを「神」という言葉で叙述してもよいのかという問題──については、ほとんど注意が払われていない。この点は、課題として残されている。

 前述の通り、アッラーのみを真の「イラーフ」(=崇拝されるもの)とみなすことが、イスラーム教の根本信条である。この信条は、「アッラーのほか、イラーフは無い」という信仰告白の言葉にまとめられる。「アッラー」をカタカナで音写して済ませる以上、この「アッラー」という存在の意味を、直接、第一義的に説明することになる「イラーフ」という言葉の訳語が、次に検討されなければならない。

 アッラーは、「神」とは訳さず「アッラー」と音写するとして、では、「イラーフ」はどう表記すればよいのか。「神」か。それとも、ほかの単語をあてるべきなのか。「アッラーのほか、イラーフは無い」という信仰告白の言葉は、「アッラーのほかに神はない」と訳しておけばよいのだろうか。この問題についての活気ある議論は、日本語話者のイスラーム教信者の間でも、研究者の間でも、なされてこなかった。

アッラーを「仏」と呼ぶとき


 もちろん、単語単位の「一対一対応」の翻訳が幻想である以上、ある単語にどのような訳語をあてがったとしても、結局は原語との間に意味的なズレが生じてしまう。それは避けようのないことだ。翻訳が、個々の単語ではなく、テクスト全体を別の言語に移し替える営為であることを踏まえれば、最終的には、個々の訳語に付随する意味的なズレは、テクスト全体の翻訳の中で調節し、埋め合わせればよい。

 それに、ゴッドの訳語としての「神」は、もはや動かしがたいかたちで、日本語に定着してしまっている。今さらこれを変えることは不可能であろう。

 だとすれば、「イラーフ」も結局は「神」と訳すほかないかもしれない。少なくとも、現代の日本語話者に違和感が少ない訳語が「神」であることは、ほとんど疑いようがない。

 しかし、考えなしに「イラーフ」を「神」と読み替えているうちに、しだいに「神」が「イラーフ」の「正しい」訳語であると思い込んでしまう。実際、イスラーム教の「神」に言及される際に、「イラーフ」と「カミ」との間に意味的なズレが存在することに注意が払われることはまれだ。

 このズレを忘れないためには、どのようなことができるだろうか。
 たとえば、オルタナティブとなる訳語を考えてみることは、さほど無意味なことではないかもしれない。

「イラーフ」の訳語として、「神」の次にその正当性を検討すべき言葉には、たとえば(上帝の意味での)「天」がある。ただ、平石が適切に指摘する通り、現代日本語において、もはや「天」は死語となってしまった★23。もちろん、死語だからといって使えないということもない。しかし、ここでは試みに(あくまで試みに)、日本における「神」とならぶ信仰対象、「仏(ほとけ)」を使う可能性を考えてみたい。

 日本宗教史における、仏と神のあいまいな、かつ変動的な関係に鑑みるとき、「神」と訳されているものを「仏」と訳すことも、選択肢として全くあり得ないわけではない。

 本コラム冒頭で、「ゴッド」の訳語としての「神」を日本語に定着させた聖書の一つにヘボン訳聖書があることに触れた。この聖書の訳者であるヘボン(James Curtis Hepburn、1815年生まれ、1911年没)は、『和英語林集成』という日英辞書を編んでいる。この辞書の “God” の項目では、この語に対応する日本語が、「神道においては “kami” “shin”」であり、「仏教においては “hotoke”」である、と説明されている★24。ゴッドとの距離は、「神」も「仏」も、元来──少なくともヘボンの目には──ほとんど等しかった。ゴッドが「仏」と訳される世界も、あるいはあり得たかもしれない。

「イラーフ」という言葉の意味が「崇拝されるもの」であることは上で触れたが、帰依する対象・すがる対象・助けを求める対象としての性質は、日本の伝統の中では、元来、「カミ」ではなく、「仏」の具えるところのものだった★25。この一点についてのみ言えば、「イラーフ」の持つ性質は、「カミ」よりも「仏」に近い。

「イラーフ」の訳語に「仏」をあてがうとき、「アッラーのほか、イラーフは無い」というイスラーム教の信仰告白は、「アッラーのほか、仏なし」と訳すことができる。

 もっと突き進んで、「御仏のほか、仏なし」と訳すことも、できてしまう★26

 もちろん、これは「誤訳」であろう。筆者もこれが「正しい翻訳」だと思うわけではない。仏とは、仏教固有の概念であり、基本的には人間の成るものである。「イラーフ」の訳語としては、極めて不自然な言葉だ。

 しかし、だとすれば「かみ」という訳語は自然なのだろうか。

 カミは元来、日本の自然宗教的な世界観のただ中で、その固有の意味を育んできた言葉ではなかったか。カミもまた、仏と同じように、人間が成ることもある。人間だけではない。カミはまた、獣も成り、鳥も成り、植物も成り、蟲も成る。

「アッラーのほか、仏なし」という訳案は、大きな誤解を招くものだろう。しかし、この翻訳から生まれる誤解は、「アッラーのほかに神はない」から生まれる誤解よりも、果たして大きいだろうか。アッラーが「仏」であることを否定するとき、私たちは、アッラーが「神」であるという命題もまた、手放しで肯定することはできないはずである。

図版作成=松山洋平
次回は2021年9月刊行の『ゲンロン12』に掲載予定です。

 


★1 岸野久「仏キ論争:初期キリシタン宣教師の仏教理解と論破」、今野達など編『岩波講座 日本文学と仏教 第八巻:仏と神』、岩波書店、1994年、185頁-186頁。H・チースリク「キリシタン書とその思想」、海老沢有道など編『キリシタン書 排耶書』、岩波書店、1970年、555頁。大和昌平「キリシタン時代最初期におけるキリスト教と仏教の交渉」、『キリストと世界』、第24巻、2014年、109頁-139頁。
★2 これは、ザビエルに近い司祭たちがイエズス会本部に報告した「事実」である。フロイス『フロイス日本史 六:豊後篇I』、中央公論社、1978年、62頁-63頁。
★3 後にイエズス会の編んだ『羅葡日対訳辞書』(1595年)では、「デウス」は「天道、天主、天尊、天帝」と訳されている(『羅葡日対訳辞典』、勉誠社、1973年、206頁)。また、『日葡辞書』(1603年)には、「我々」(ポルトガル人宣教師)が「以前は」デウスを「天道」の名で呼んでいた旨が記されている(『日葡辞書』、岩波書店、1960年、509頁。土井忠生ら編訳『邦訳日葡辞書』、岩波書店、1980年、647頁)。
★4 ジョアン・ロドリーゲス『日本教会史 下』、岩波書店、1970年、425頁。
★5 柳父章『「ゴッド」は神か上帝か』、岩波現代文庫、2001年。
★6 鈴木範久「『カミ』の訳語考」、『講座宗教学 四:秘められた意味』、東京大学出版会、1977年、301頁-307頁。もっとも、「神」という訳語の正当性について一切議論がなかったわけではない。正教会の中井木菟麻呂(1855生まれ、1943年没)などは、「上帝」の可能性も検討した上で最終的に「神」を選んでいる(長澤志穂「日本正教会訳聖書における「神」の漢語としての奥行き:中井木菟麻呂の信仰と思想を手がかりに」、『アジア・キリスト教・多元性』、第14号、2006年、35頁-54頁)。しかし、中井が「神」を選んだのは、「上帝」には愛着が持てないという個人的感覚からであり、論理的な理由からではなかった。なお、「神」訳が広まる少し前に、現存する最古の日本語訳聖書であるギュツラフ版で「ゴッド」が「ゴクラク」または「テンノツカサ」と訳されたが、これは広まらなかった(鈴木範久『聖書の日本語:翻訳の歴史』、岩波書店、2006年、58頁)。20世紀に入り、前島潔(1888年生まれ、1944年没)が、「カミ」の語源や社会における意味、中国における用語論争などを考慮しながら、「神」という訳語の見直しを真摯に提言しているが(前島潔「日本に於ける基督教用語「神」に就いて」、『神学研究』、第29巻第6号、1938年、285頁-301頁)、社会の趨勢を変えることはできなかった。
★7 柳父、前掲書、123頁。
★8 津田左右吉『津田左右吉全集 第二一巻』、岩波書店、1965年、69頁-70頁。「ゴッド」が「神」と訳された多角的な背景、および、翻訳が広まったことの影響の仔細については、鈴木、両前掲書を参照。なお、柳父の議論に依拠すれば、近代日本における天皇の「神」格化は、「ゴッド=神」との理解が日本語に定着したからこそなされ得たものであった(柳父章『未知との出会い』、法政大学出版局、2013年、87頁-105頁)。
★9 田中逸平『イスレアムと大亜細亜主義』、1924年。なお田中は、「イラーフ」は「主」と訳している(同書、16頁)。田中逸平は、マッカ巡礼も果たし、自身の葬儀もイスラーム教式で執り行うよう手配した熱心なイスラーム教徒だったが、黒龍会の編纂した『東亜先覚志士記伝』にも名を連ねる、保守的なアジア主義者でもあった(黒龍会編『東亜先覚志士記伝 下』、1936年、261頁-264頁)。
★10 山岡光太郎『世界乃神秘境アラビヤ縦断記』、東亜堂書房、1912年、112頁-113頁。なお、「アッローハ、アクバル」(今日の一般的な表記では「アッラーフ・アクバル」)は、主語と述語からなる「アッラーは最も偉大である」という文であるため、その意を「天照大御神」とするのは文法的にそもそも無理がある。山岡が天照大御神を持ち出した真意は明らかではないが、読者への便宜のために、比較対象として持ち出しただけのようにも読める。
★11 満鉄会・嶋野三郎伝記刊行会編『嶋野三郎:満鉄ソ連情報活動家の生涯』、原書房、1984年、446頁。なお、山岡の影響か、この嶋野自身はアッラーをたびたび「如来様」と言い換えている。
★12 有賀文八郎「日本の一回教徒として」、『イスラム:回教文化』、第6号、イスラム文化協会、1939年、38頁。有賀文八郎「日本に於けるイスラム教」、小柳司気太・有賀文八郎『道教の一斑/日本に於けるイスラム教』、東方書院、1935年、24頁など。天之御中主神の「一神教的性格」をイスラーム教と比較する視点は、戦後にも引き継がれている(五十嵐一『イスラーム・ルネサンス』、勁草書房、1986年、157頁-185頁)。  有賀は、生涯イスラーム教の宣教に励んだことで知られ、仏教の僧侶および日本国民に対して、日本国と皇室の繁栄のために「偶像教」(仏教)を棄てイスラーム教を選ぶよう訴えていた(有賀「日本に於けるイスラム教」、28頁-29頁)。大隈重信と懇意な関係にあり、大隈にイスラーム教の重要性を盛んに説いていたと言われる(小村不二男『日本イスラーム史』、日本イスラーム友好連盟、1988年、160頁-161頁)。
★13 有賀文八郎「日本に於けるイスラム教」、2頁、22頁。
★14 同書、24頁、26頁。
★15 たとえば、笠原芳光「「日本的キリスト教」批判」、『キリスト教社会問題研究』、第22号、1974年、114頁-139頁。
★16 原正男『日本精神と回教』、誠美書閣、1941年、特に第16章「八百万の神の尊崇と回教のアルラー崇拝との調和法」。なお原は、日本語の「カミ(加微)」、中国語の「神」、英語(キリスト教)の「ゴッド」を混同する愚を指摘し、「カミ」に「神」の字をあてたことについても極めて批判的だった(原正男『日本民族の根本宗教』、原法律事務所、1966年、962頁-971頁)。
★17 柳瀬善治「戦前期における〈回教〉をめぐる言説・研究序説:同時代の「文学者」との接点を軸に」、『近代文学試論』、第40巻、2002年、162頁、163頁。
★18 竹内好「北支・蒙疆の回教」、『月刊 回教圏』、第6巻第8・9号、回教圏研究所、1942年、56頁-57頁。
★19 当時、同様の問題意識は諸宗教の関係者に共有されており、原の『日本精神と回教』と同じような書名の、『日本精神と基督教』(藤原藤男著、ともしび社、1939年)、『日本精神と佛教』(高神覚昇著、第一書房、1941年)、『日本精神と儒教』(諸橋轍次著、帝国漢学普及会、1934年)などが書かれていた。
★20 原正男『日本精神と回教』、323頁-324頁。イスラーム教徒に対する原の「善意」はしかし、植民地主義的、差別主義的でもあった。そしてそれは、原同様に、当時イスラーム教徒に対して「好意的」な立場を示した日本の多くの論客にも共通していた。本コラムの主旨ではないため、この点には立ち入らない。
★21 大塚和夫「アッラー、神、アラーの神」、『異文化としてのイスラーム:社会人類学的視点から』、同文館、1989年、287頁-338頁。
★22 なお、キリスト教の神の翻訳についても、大塚と全く同じ主張が存在する(鹿嶋春平太『神とゴッドはどう違うか』、新潮社、1997年。上野亘『唯一神は愛なり』、いのちのことば社、1997年など)。
★23 平石直昭『一語の辞典 天』、三省堂、1996年、5頁-6頁。
★24 James Curtis Hepburn, A Japanese and English Dictionary with an English and Japanese Index, Charles E. Tuttle Co, Rutland, Vermont, and Tokyo, 1983, An Index: p. 41. なお、「KAMI(神)」の項目には「この言葉は、神道において崇拝される対象にのみ使用される」との説明が付されている(p.176)。
★25 大野晋、『日本人の神』、河出文庫、2013年、64頁-65頁。  本論から逸脱するため詳述はしないが、日本のカミは、イスラーム教の世界観の中では、ある面でジン(妖霊)に近い。本地垂迹説のある教説によれば、天部の神々の一部は仏法に帰依しているとされるが、イスラーム教においても、ジンの中にはアッラーに帰依する者がいると信じられている。構図的には似ている【図1】、【図2】。また、カミは特定の場所の領有者としての性質を持つ場合があるが、一部のイスラーム地域では、地域に住む特定のジンや、条件を揃えることで出現する特定のジンの存在が信じられており、具体的な行為を通じて、そのジンに対する配慮・働きかけがなされる場合もある。  
【図1】
 
【図2】
 カミの意味が議論される際にひんぱんに引用される本居宣長(『古事記伝』)の定義に基づけば、日本語の「カミ」は、一般とは異なる特別な性質を持つあらゆる事物を指す言葉である。本居の定義には彼独自の見解が多分に含まれるが、仮にこの定義を厳密に適用するとすれば、イスラーム教の世界観の中には、アッラー・天使・預言者・聖者(ワリー)・ジンなど、日本語の「カミ」の語によって指し示され得るものが多数存在することになる【図3】。  
【図3】

★26 既述の通り、「アッラー」という言葉の由来が「The イラーフ」であるとの説が存在する。この説に依拠した場合、仮に「イラーフ」を「仏」と訳せば、「アッラー」の方も「仏」と訳し得る。

松山洋平

1984年静岡県生まれ。名古屋外国語大学世界教養学部准教授。専門はイスラーム教思想史、イスラーム教神学。東京外国語大学外国語学部(アラビア語専攻)卒業、同大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『イスラーム神学』(作品社)、『イスラーム思想を読みとく』(ちくま新書)など、編著に『クルアーン入門』(作品社)がある。
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