つながりロシア(17) 宝塚歌劇はロシアをどう描いてきたか──コサックは雪にきえる|横山綾香

初出:2021年8月27日刊行『ゲンロンβ64』

はじめに

「どうしてロシア?」、ロシア語を学んでいる者であれば100回は聞かれる質問である。私はいつも「宝塚で『カラマーゾフの兄弟』を上演していたことがきっかけです」と答える。15歳のときに宝塚版『カラマーゾフ』の映像を観た後なんとなく興味を持って、「大学でロシア語を勉強して、ペテルブルクに留学して、ロシア文学研究者になる」と将来を思い描くようになっていった。気がつくと、それ以外の進路は何一つ考えられなくなるほどロシア文学と文化に取り憑かれていた。もちろん語学習得は簡単ではないし、研究者を志すことは茨の道そのものである。なぜもっと慎重に進路を考えなかったのかと15歳の自分を恨みながらも、その時想像していたとおりの人生を歩んでいるのが今の自分である。

 さて、宝塚がきっかけでロシア語を選んだと話すと、たいてい会話が終わってしまう。しかし一人だけ反応が違った人物がいた。それはゲンロン代表の上田洋子氏である。私と同じくロシア文化の世界に足を踏み入れる一因が宝塚歌劇だったそうだ。そのような宝塚が結んだ縁で本稿を書くことになったのだ。

 

 さて、2019年夏から2021年冬にかけての2年半は、十数年にわたる私の宝塚ファン生活のなかでも思い入れの強い時期となった。2019年7月、梅田芸術劇場主催でブロードウェイミュージカル『アナスタシア』(以下「梅芸版」)が2020年3月に上演されることが発表になった。こちらは宝塚歌劇ではなく、通常のミュージカルである。そして、約半年後の11月には、宝塚歌劇団宙組そらぐみで2020年6月から8月に上演されることが発表された(以下「宝塚版」)。

 この作品はアナスタシア生存説を下敷きとした作品である。アナスタシアはロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の四女で、ロシア革命後一家全員が処刑された。ところが、彼女一人生き延びたという伝説が存在する。実際にアナスタシアを自称する人物が何人も現れた。この騒動は、イングリッド・バーグマン主演の映画『追憶』(1956年)など、いくつかのフィクション作品の元となった。なお、2007年に遺骨が発見され、今ではアナスタシア生存説は完全に否定されている。

 ミュージカル『アナスタシア』の第一幕は1927年のレニングラード(現:サンクトペテルブルク)を舞台としている。そんな『アナスタシア』の上演は、宝塚がきっかけでロシアの道に進み、2016年、学部3年次にペテルブルク留学をした自分にとっては、非常に嬉しいニュースであった。

 しかし、COVID-19の影響で、2020年3月の梅芸版は全公演の半分以上が中止となった。私が観たのは3月27日ソワレで、翌日から公演中止となったため、事実上の千秋楽であった。宝塚版は4月から7月までの全公演が延期となり、予定を遅らせて同年の11月から2021年2月に上演された。2020年の緊急事態宣言下、ただでさえ鬱屈していた私に、ロシアにしばらく行けないという事実が突きつけられたことは、絶望的なできごとだった。そのような状況下では、宙組の『アナスタシア』を観ることだけが楽しみだったのだ。

『アナスタシア』の二つの公演は、筋書きは同一であるが、宝塚版では宝塚の専用劇場に合わせて舞台美術が大幅にアレンジされている。梅芸版では、スクリーンに冬宮(現:エルミタージュ美術館)や「血の上の救世主教会」などペテルブルクの風景を本物そっくりに映していたが、宝塚版では映像を使った手法はごく一部のシーンでしか取られなかった。それにもかかわらず、宝塚版を最初に観たときにはペテルブルクに戻ってこれたかのように感じたのであった。

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1995年東京都生まれ。東京外国語大学大学院博士後期課程在学中。専門はロシア演劇と文学。ブレジネフ期以降の演劇作品を対象として、ロシア文学作品(小説・詩)が演劇化される過程を研究している。その他、国・年代問わずロシアをモチーフをした演劇作品に広く関心を持つ。東京外国語大学 MIRAIフェローシップ1期生。

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