第1期ゲンロンファクトリー優秀作 「国民作家」宮崎駿の日本回帰――転回点としての『紅の豚』のアメリカ|中谷径

初出:2013年01月31日刊行『ゲンロンエトセトラ #6』
 ゲンロンファクトリー第1期は、企画始動に相応しいじつにすぐれた論文に恵まれた。ここに掲載する中谷論文が扱うのは、あの国民作家・宮崎駿。すでに語り尽くされたかに見える宮崎作品から、「アメリカの影」という補助線を引くことで中谷はまったく新しい物語を取り出して見せる。宮崎はなぜ「日本回帰」したのか、『耳をすませば』の舞台はなぜ郊外でなければならなかったのか、そしてゼロ年代のオタク分析はなぜ宮崎を回避したのか、中谷はそれらの問いに、抽象的な議論を弄ぶのではなく、『紅の豚』のテマティックな分析を通してひとつひとつ説得力のある答えを出していく。今後の宮崎駿論にとって、本論文は避けては通れないマイルストーンになるだろう。中谷は30代前半の会社員、本論文がはじめて記した評論文とのことだが、新人離れした手つきは将来を期待させる。ぜひまた新作が読んでみたい書き手である。(東浩紀)

ほとんど波のない静かな入江に浮かぶ真紅の飛行艇、その傍らの砂浜に置かれた寝椅子で昼寝をする男の顔には、「CINEMA」という名の雑誌が乗せられている。電話が急を告げ、男がおもむろに雑誌を除けたとき、現れるのは豚の顔である。

 これは、1992年に劇場公開された宮崎駿監督によるアニメ『紅の豚』の冒頭である。あえて顔を隠したまま主人公ポルコを登場させ、その後にあらわにするこの演出に、観客の注意を豚の顔に向けさせる意図があることは明らかである。

 しかし、例えば2012年4月に9度目のテレビ放映がされたとき、この定石どおりで明快な演出に反応した人は、どれほどいただろうか。『紅の豚』に限ったことではないが、宮崎の監督作品は繰り返しテレビ放映されているため、何度も観ている人が少なくない。あるいは、観たことはなくとも、『紅の豚』の主人公が豚の顔を持つという程度の知識は、いつの間にか身についている。だから、ほとんどの人は豚の顔の登場を当然のように受け止め、それが「現実」に照らしてかなり異様な場面であることには思い至らない。これほどわかりやすい演出であるにもかかわらず、豚の顔が現れてもなんの感慨も抱かなければ、その明瞭な意図にもまず気づかないのだ。この国の人々は、普通の演出を普通に受容できないほどに、宮崎アニメに慣れ親しんでいるのである。

 ある世代以下の人に「好きな宮崎アニメは?」と尋ねれば、なんらかの答えが返ってくるし、評論めいた言葉が語られることすら稀ではない。あるいは「観たことがない」と答える人がいれば、周囲は驚きをもって受け止めるだろう。このように、その作品に接していることが日常会話の前提とされる作家など他にいるだろうか。宮崎駿こそ、現代の日本においてもっとも「国民作家」と呼ぶに相応しい存在である。ポストモダン化の現れのひとつである「島宇宙化」(宮台真司)が、異なる島宇宙に属する者同士の対話を困難にしていることを考え合わせれば、この国において宮崎アニメが占める位置の特異性は際立っている。

 この「国民作家」たる宮崎が、あるときを境に日本回帰をしたことは注目されてよい。ここでいう日本回帰とは、宮崎アニメの舞台が日本に設定されるようになったという具体的かつ明白な事実を指している。

 実際に、劇場用の長編について、それぞれその舞台を確認していこう。

 劇場用としては初監督作品である1979年の『ルパン三世 カリオストロの城』は、ヨーロッパに位置すると思しき架空の小国「カリオストロ公国」が主な舞台である。1984年の『風の谷のナウシカ』は、「火の7日間」と呼ばれる最終戦争から1000年後というSF的世界であり、1986年の『天空の城ラピュタ』も「蒸気機関車の頃に書かれたSFのよう」★1な世界である。1989年の『魔女の宅急便』は、コリコという架空の街が舞台で、その景観は主にヨーロッパの都市のコラージュによって形作られている★2。そして、1992年の『紅の豚』はアドリア海とその周辺国が舞台である。この『紅の豚』までを前期とすると、一作品を例外として、舞台が日本以外に設定されている。例外の作品とは1988年の『となりのトトロ』で、舞台のモデルは東京と埼玉にまたがる狭山丘陵とされる。

 後期は、1995年の『耳をすませば』以降である★3。その舞台は同時代の東京であり、当時の京王線・聖蹟桜ヶ丘駅周辺の風景がかなり忠実に再現されている。1997年の『もののけ姫』は、室町時代という設定★4で、架空の要素も強いが、日本が舞台といって間違いない。2001年の『千と千尋の神隠し』は、主要な物語が八百万の神が集う湯屋があるという日本的な設定の異界で展開され、その外の現実世界も日本である。2008年の『崖の上のポニョ』の舞台は、瀬戸内の港町がモデルとされている。後期における例外は2004年の『ハウルの動く城』で、ヨーロッパ風の架空の世界が舞台だが、この作品については、当初宮崎は企画としてのみ関与する予定だったという製作過程を考慮すれば、無視してもよいだろう★5

 この他に、「宮崎アニメ」とは言い難いが、宮崎が脚本を担った2010年の『借りぐらしのアリエッティ』、2011年の『コクリコ坂から』は、いずれも時期としては後期にあたり、やはり日本が舞台とされている。『借りぐらしのアリエッティ』については、原作の『床下の小人たち』の舞台がイギリスであるにもかかわらず、わざわざ日本に変更されたものだ。

アニメの中の「ふるさと」

 後期の宮崎が描いた日本に、前期で唯一日本を舞台とした『となりのトトロ』を対置すると、『紅の豚』でアメリカを経たことの意味がより鮮やかに浮かび上がる。『となりのトトロ』は、美しい田園風景が広がる郊外に転居してきた2人の少女の物語である。時代は昭和30年頃★46、戦後の混乱期を過ぎた一方で、いまだ高度成長期には入っておらず、「自然」が残されていた時期である。

僕が学生のころに、わずかなお金を持って、テントを担いで、旅行をしたんです。そのころは、本当にどこへ行っても水が綺麗で、どこに行っても貧乏で(笑)。本当に美しい日本の最後の瞬間を見ることができたんです。今の人たちから比べたら、申し訳ないような美しい風景を見ることができました。★47

 ここで宮崎が語っている学生時代は、昭和30年代の後半にあたる。『となりのトトロ』で描かれたのは、「最後の瞬間」以前の、宮崎が実際に見知っている「本当に美しい日本」なのだ。それは、後期作品の風景とは、まったく異なっている。とりわけ、同じく少女の引っ越しからはじまる『千と千尋の神隠し』と比較すれば、その違いは鮮明である★48

 『となりのトトロ』で理想的に描かれているのは、風景だけではない。例えばアニメ研究家の久美薫は、地縁や血縁でがんじがらめの農村の「世間」がまったく描かれていないと批判している★49。これは、昭和30年代を理想的に描き出した2005年の『ALWAYS 三丁目の夕日』に向けられた批判と同型のものであり、「現実」を描くことを是とする立場からは、「正しい」批判と言えよう。また、映像研究家の叶精二は、当初案や準備稿との比較に基づいて「少しでも不快と思われるシーンは削除した形跡がある」との興味深い指摘をしている★50

 『となりのトトロ』で描かれた「自然」は、田畑や里山であり、人の手が加えられた「自然」である。それは、人を寄せつけない『もののけ姫』のシシ神の森とは異なり、人が調和し、回帰可能な存在としてある。実際、エンディングでは、都会から来た主人公の2人の少女が、田舎の生活と地元の子供たちにすっかり馴染んでいる姿が描かれている。宮崎は「懐かしいって言われたときにいちばんムカッとくる」★51と言うが、宮崎の狙いはどうあれ、現実に『となりのトトロ』は「懐かしい」ものとして受容されているし、それはもっともなことだ。公開された1988年時点で既に失われていた「本当に美しい日本」を、理想的に、そして回帰可能なものとして描き出しているのだから。

 公開から四半世紀近くを経た現在でもなお高い人気を保ち続けている『となりのトトロ』が、完成度の高い傑作であることは疑いない。だが、この作品が数ある宮崎アニメの中で際立って特権的な地位を得ているのは、完成度のみによるのではなく、ほとんど完璧な日本の「ふるさと」を創出してしまったことによるのではないだろうか。公開当時にはもちろん存在しなかったし、それ以前にも存在したことのない『となりのトトロ』の「ふるさと」は、我々に「アメリカの影」を意識させることのないものだ。『となりのトトロ』がほとんど「国民的アニメ」として受容されているのは、理想化された「ふるさと」が、この国に投じられている「アメリカの影」を覆い隠す幻想として機能してきたためである。宮崎が「国民作家」となったのも、先に指摘した「アメリカによる承認」を受けたのが、この理想的な日本の「ふるさと」を創出した作家であったためだと言える。しかし、この「ふるさと」は、当時の宮崎が「アメリカの影」から目を逸らしていたからこそ生み出されたものであり、『紅の豚』を通過して以降の宮崎が『となりのトトロ』のような映画を作ることはなかったし、これからもないだろう★52

 ところで、既に述べたように、後期の宮崎が明確に意図して提示した「ふるさと」は『耳をすませば』の雫の街だが、その舞台のモデルとなった聖蹟桜ヶ丘は、いわゆる「聖地巡礼」の対象の地として知られている。アニメの舞台のモデルとなった土地を訪ねる「聖地巡礼」が盛んに行われるようになったのは2005年以降であるといわれ★53、一般にも広く認知されるようになったのは2007年放映の『らき☆すた』以降である。1995年公開の『耳をすませば』が相当早い事例であるのは間違いなく、ほとんど起源と言えそうである。「聖地巡礼」という言葉もおそらく存在しなかった公開当時から多くの人が聖蹟桜ヶ丘を訪れ、17年が経過した現在においても、いまだに「聖地巡礼」の定番の地のひとつであり続けている。この「聖地巡礼」は、我々にとって親しい「ふるさと」とはこの貧しい街並みだという、宮崎が『耳をすませば』で示した認識の正しさを証明しているようにも見える。

 だが、「聖地」への親しさは、アニメという虚構の中において描かれることによって、はじめて生じたものである。そうであるならば、我々の「ふるさと」は、現実の郊外の貧しい街の風景であるというよりも、虚構の中の風景であると言わなければならない。この国の人々は『紅の豚』の豚の顔に驚くことすら忘れてしまうほど宮崎アニメに慣れ親しんでいるのだから、それは当然の事象である。むしろ、「国民国家」宮崎駿のアニメこそが、我々の「ふるさと」の原風景なのだ。
 

主要参考文献

東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』、講談社(講談社現代新書)、2001年。
東浩紀『郵便的不安たちβ 東浩紀アーカイブスⅠ』、河出書房新社(河出文庫)、2011年。
大塚英志、大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』、角川書店 (角川oneテーマ21)、2005年。
岡田斗司夫『オタク学入門』、新潮社(新潮OH!文庫)、2000年。
叶精二『宮崎駿全書』、フィルムアート社、2006年。
久美薫『宮崎駿の時代 1941~2008』、鳥影社、2008年。
絓秀実 「失われた本源性を探求するテクノロジー ファシズム批判に隠されたアニメ論」、『フィルムメーカーズ6 宮崎駿』、キネマ旬報社(キネ旬ムック)、1999年。
スタジオジブリ責任編集『スタジオジブリ作品関連資料集Ⅳ』、徳間書店、1996年。
津堅信之『日本アニメーションの力 85年の歴史を貫く2つの軸』、NHK出版、2004年。
堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿『時代の風音』、朝日新聞出版(朝日文庫)、1997年。
宮崎駿『出発点 1979~1996』、徳間書店、1996年。
宮崎駿『宮崎駿の雑想ノート[増補改訂版]』、大日本絵画、1997年。
宮崎駿『スタジオジブリ絵コンテ全集7 紅の豚』、徳間書店、2001年。
宮崎駿『スタジオジブリ絵コンテ全集10 耳をすませば On Your Mark』、徳間書店、2001年。
宮崎駿『スタジオジブリ絵コンテ全集11 もののけ姫』、徳間書店、2002年。
宮崎駿『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』、ロッキング・オン、2002年。
宮崎駿『映画『紅の豚』原作飛行艇時代[増補改訂版]』、大日本絵画、2004年。
宮崎駿『折り返し点 1997~2008』、岩波書店、2008年。
みやじ・はるを・よしたか、tricken、反=アニメ批評編『アニメルカ増刊号 背景から考える――聖地・郊外・ミクスドリアリティ』、アニメルカ製作委員会、2011年。
『ジブリの森とポニョの海 宮崎駿と「崖の上のポニョ」』、角川書店、2008年。
「宮崎駿 3万字インタビュー」、『月刊カット』2011年9月号。
「鈴木敏夫 『コクリコ坂から』、そしてジブリの現在地を解く」、『月刊カット』2011年9月号。
『コクリコ坂から』パンフレット、2011年。

★1 『出発点』、547頁。以下主要文献の書誌情報は記事末尾を参照。
★2 『風の帰る場所』、314頁。
★3 『耳をすませば』は近藤喜文監督作品であり、主に演出面で宮崎の監督作品とは異なる印象を与えるが、アニメの設計図にあたる絵コンテを担うなどの宮崎の果たした役割の大きさや、後述する『もののけ姫』との関係を踏まえて、本稿では「宮崎アニメ」として扱う。
★4 『出発点』、419頁。
★5 なお、『魔女の宅急便』、『千と千尋の神隠し』も同様の制作過程である(『宮崎駿全集』、277-278頁)。
★6 『時代の風音』、165頁。他方で、「亀裂がしだいに深刻になっていったのは、作品のために外国にロケハンで行くようになってからであった。憧れたスイスの農村で、ぼくは東洋の短足の日本人であった。西欧の町角のガラスに写るうす汚い人影は、まぎれもなく日本人の自分だった。外国で日章旗を見ると嫌悪におそわれる日本人であった」(『出発点』、266頁)とも書いていており、宮崎の日本に対する感情の変化はより複雑なものと見るべきだろう。
★7 『アルプスの少女ハイジ』の放映は1974年で、その前年の7月にスイスを訪れている(『出発点』、566頁)。
★8 1984年には両者の著作に言及している(『出発点』、260-262頁)。また、1980年には照葉樹林を想起させる「照樹務」の名義で作品製作に参加している(『出発点』、567頁)。
★9 『出発点』、436頁。
★10 実際、前期で日本を舞台にした『となりのトトロ』の公開までの経緯は多難であり、当時はかなりの制約があったことがうかがえる(『風の帰る場所』、294-296頁)。
★11 『風の帰る場所』、122頁。
★12 この節の記述は『動物化するポストモダン』の第1章に大幅に依拠している。以下では、煩雑さを避けるため、注は引用部分のみに付すこととする。
★13 『動物化するポストモダン』、19頁。
★14 『動物化するポストモダン』、20頁。
★15 『動物化するポストモダン』、20頁。
★16 『動物化するポストモダン』、24頁。
★17 『動物化するポストモダ ン』、38頁。
★18 『動物化するポストモダ ン』、23頁。
★19 『動物化するポストモダン」、21-22頁。
★20 東は前者を「表現主義」、後者を「物語主義」と呼んでいるが、その呼称は適切ではない。例えば宮崎は、『巨人の星』などを例に挙げて「表現主義」に批判的に言及しており(『出発点』、107-109頁)、その宮崎の作品を「表現主義」と呼ぶのは妥当ではないだろう。とはいえ、区分自体は有効であり、日本のアニメ史を、フル・アニメの劇場用長編を主軸とする東映動画系と、リミテッド・アニメのテレビアニメを主軸とする虫プロダクション系に分類して整理することはごく一般的である。アニメ研究者の津堅信之は「必ずしも単純な二つの対立軸とみなすことはできない」と留保しつつも、高度経済成長期の日本アニメをこの両者を中心的に取り上げて整理している(『日本アニメーションの力』、130-131頁)。
★21 『宮崎駿全書』、212頁。
★22 『宮崎駿全書』、248頁。
★23 冒頭ポルコが顔に載せている雑誌の表紙に「1929」の文字が見えることから、1929年以降の話だと推測できる。また、企画書等においては、「1920年代」(企画書)、「1920年代中頃」(ストーリー原案)「1920年代末」(原作)といった記述がある(『スタジオジブリ作品関連資料集Ⅳ』、35-36頁。『飛行艇時代』、3頁)。
★24 フィオのナレーションとして「ミスター・カーチスは、大統領になった今も時々、手紙をくれるわ」と記されている(『スタジオジブリ絵コンテ全集7 紅の豚』、457頁)。
★25 『飛行艇時代』、12頁。
★26 『オタク学入門』、325頁-333頁。
★27 「失われた本源性を探求するテクノロジー ファシズム批判に隠されたアニメ論」、『フィルムメーカーズ6 宮崎駿』、138頁。
★28 絓は、映画とファシズムの関係を重視し、『紅の豚』をファシズムへの「抵抗」の映画として読み解いている。ファシズムをテクノロジーによる失われた本源性の回復の運動として捉えた上で、アニメというテクノロジーが本源性を探求するカメラの視線を模倣する擬態にすぎないことや、フィオたちの飛行機を作るテクノロジーが人間でなく豚に捧げられることを指摘し、本源的自然とテクノロジーの共生を宙に吊るアニメとして『紅の豚』を論じている。
★29 『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』、201-204頁。
★30 『日本アニメーションの力』、104頁。
★31 『日本アニメーションの力』、120頁。
★32 『動物化するポストモダン』、36頁。
★33 評論家の大塚英志は 「極論として、日本のまんが/アニメは本質的に日本に移植された「ディズニー的なもの」の「亜種」であり、現在のジャパニメーションの国際化は、この日本で数十年ほどかかって育った「亜種」を宗主国が回収しているにすぎないという立場をとります」(『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』、175頁)としているが、『紅の豚』から読み取れるアニメに対する宮崎の認識は、大塚の立場にも近い。
★34 『スタジオジブリ作品関連資料集Ⅳ』、23頁。
★35 具体的には、アメリカに行っていたというフィオの経歴、ラストの決着を空中戦でつけずにカタルシスを回避している点があげられる。
★36 東は、宮崎アニメに「ヒロインのロリコン的魅力」や「オタク的関心を喚起するアイテム」があったことを指摘したうえで、『となりのトトロ』はそれを抑圧することで成立した作品だとしている(『郵便的不安たちβ』、208-209頁)。
★37 『飛行艇時代』、61頁。
★38 『折り返し点』、67頁。
★39 『動物化するポストモダン』、33頁。
★40 企画書に記された言葉(『出発点』、418頁)。
★41 『スタジオジブリ絵コンテ全集10 耳をすませば On Your Mark』、445頁。
★42 照葉樹林であることは絵コンテに明記されている(『スタジオジブリ絵コンテ全集11 もののけ姫』、13頁)。
★43 山犬に育てられた少女サンの台詞。
★44 『折り返し点』、258頁。
★45 千尋の父親の台詞。
★46 厳密に設定されており、実際には1953年(昭和28年)である(『コクリコ坂から』パンフレット)。
★47 『ジブリの森とポニョの海』、66頁。
★48 みやじ・はるを・よしたかは、「『千と千尋』の舞台と『となりのトトロ』の舞台は、すごく近い場所」であり、「しかも描き出されるのは『トトロ』にあったような美しい場所ではなく、バブルを経過することによってすっかり傷つけられてしまった森林の姿」であると指摘している(『アニメルカ増刊号 背景から考える』、30頁)。
★49 『宮崎駿の時代』、152-172頁。
★50 『宮崎駿全書』、119頁。
★51 『出発点』、368頁。
★52 「『トトロ』の2」の構想自体は存在したようだ。スタジオジブリのプロデューサーの鈴木敏夫らの反対により実現はしなかったが、かなり具体的なもので、三鷹の森ジブリ美術館のみで2002年に公開された15分ほどの短編『めいとこねこバス』を活用した上で、60分程度新たに追加する案だったという(『月刊カット』(2011年9月号)、24-25頁、 30-31頁)。しかし、それがオリジナルの『となりのトトロ』とはまったく異なる映画になったであろうことは、『めいとこねこバス』の内容(あえてその紹介は避けるが)から容易に想像できる。
★53 『アニメルカ増刊号 背景から考える』、24頁。
+ その他の記事

1979年生まれ。東浩紀による批評家育成プログラム「ゲンロンファクトリー」における提出論文「『国民作家』宮崎駿の日本回帰――転回点としての『紅の豚』のアメリカ」が優秀作に選出、『ゲンロンエトセトラ #6』に掲載された。

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