ロシア語で旅する世界(6)ユーロマイダンの顔|上田洋子

初出:2016年7月15日刊行『ゲンロン3』

「モスクワは顔を失ってしまった」──2014年春にモスクワでインタビューをしたとき、ソローキンはそう言った★1。「顔」をあらわすロシア語のлицо(リツォ)には、ほかに個性、個人、面目などの意味がある。ソローキンにとってのモスクワは、ソ連邦崩壊後、プーチン政権下でのっぺらぼうになってしまった、ということは、ソ連時代には顔があったということか。ソ連崩壊後20年以上を経たいま、ソ連時代の文化は、日本なら昭和のような、ノスタルジーの対象になっている。しかし、ソ連文化が自由の制限とともにあったことは忘れてはならない。ソ連では、文化の諸相がそうした負の条件を受け入れることによって成立していたし、アンダーグラウンドの対抗文化は、一枚岩の公式文化があるからこそ存在の強度を保っていた。いまでは、世界にとってのモスクワの「顔」と言えばプーチンで、対抗文化の顔は前号で取り上げたアクティヴィストのパヴレンスキーやプッシー・ライオットであるだろう。

 さて、今号では、ウクライナ出身の写真家ボリス・ミハイロフによる、ウクライナの革命運動ユーロマイダンを扱ったシリーズを取り上げたい。《戦争行為の劇場、第二幕、息抜きТеатр военных действии. Второй акт. Передышка》と名づけられたそのシリーズは、ユーロマイダンが終結した2014年に、ロシアの旧首都サンクトペテルブルクで開催されたヨーロッパ現代美術ビエンナーレ「マニフェスタ10」に出品された。わたしも同年夏、サンクトペテルブルクを訪れ、この作品を見た。むしろ、この作品を見るためにペテルブルクに行ったと言っていい。マニフェスタ10からは少し時間が経ってしまったが、革命の熱狂が冷めたいま、ミハイロフの写真がユーロマイダンの顔をどのように捉えているのか、あらためて考えてみたい。

進化するエルミタージュ美術館


 マニフェスタは1996年からヨーロッパの諸都市をホストに開催されているもので、本誌掲載のキム・ソンジョン氏の論考「国際性と地域性の並行関係」でも紹介された光州ビエンナーレ(1995年開始)同様、比較的新しい国際現代美術祭である。光州ビエンナーレから遡ること100年、万国博覧会ブームも冷めやらぬ1895年に始まったヴェネチア・ビエンナーレや、第2次世界大戦後10年の1955年から5年ごとに開催されているカッセルのドクメンタなど、いわば老舗の現代美術祭と比較すると、新世代の芸術祭であることが実感できるかもしれない。マニフェスタはヴェネチアやカッセルのような土地に根ざしたタイプのものとは異なり移動展で、初回は委員会本部のあるロッテルダム、2回目はルクセンブルク、3回目はスロベニアのリュブリャナで開催されている。2006年には国家分断問題を抱えたキプロス共和国の首都ニコシアでの開催が予定されていたが、結局中止になるという経緯もあった。第10回でサンクトペテルブルクが選ばれた背景には、オランダとペテルブルクの歴史的関係★2のほかに、旧共産圏での開催という政治的な意味合いがあるようだ。

 会場となったエルミタージュ美術館は、2014年にちょうど250周年を迎えた。レンブラントやルーベンス、それにモロゾフ=シチューキンコレクションを中心とするモダニズム美術など、古典(と言っていいだろう)の優れたコレクションと、ロマノフ王朝の宮殿をそのまま美術館にした迫力ある歴史的空間がよく知られている。ここはロシア革命の舞台でもあり、美術愛好家でなくとも、一度は訪れてみたい観光地であるだろう。しかしながら、おもに帝政時代に集められたコレクションとともに歴史を背負う場所であるならば、現代美術との相性はどうかと、不安を感じるひともいるかもしれない。

 だが、それは杞憂にすぎない。じつはエルミタージュは、現館長ミハイル・ピオトロフスキーのもと、美術館の現代化・活性化に力を入れている。2003年、レム・コールハースと彼の事務所OMAのリサーチのもと、エルミタージュ美術館現代化プロジェクトが始まった★3。2007年には「エルミタージュ20/21」という現代芸術プロジェクトが立ち上がり、それまで存在しなかった現代美術のセクションが設けられ、展示と収蔵が定期的に行われるようになった。2014年の開館250周年に向けて、2008年からコールハースとのプロジェクトがより大きな規模で再開され、美術館全体の運営コンセプトのほか、小エルミタージュの改装や、巨大な収蔵庫のある郊外のスターラヤ・デレーヴニャ(古い村を意味する)での図書館の設計をOMAが担当することになった★4。2015年にはザハ・ハディドの約300点からなる大規模な回顧展を冬宮の大広間(ニコライ・ホール)で開催し、1日平均8500人、トータル68万人の来場者数で、同年のロシア首都圏の美術展でも最多の来場者数を獲得した★5。この展示は、ザハの生前最後の大規模な個展となった。

 マニフェスタ10も、エルミタージュ20/21の一環として開催されたものだ。おもな展示は冬宮、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、小エルミタージュからなるネヴァ川沿いの本館建物群ではなく、宮殿広場を挟んで向かいにある旧参謀本部の建物にある分館で行われた[図1]。エルミタージュではたんに「参謀本部」と呼ばれるこの分館は、コールハースのコンサルティングのもと、現代的な展示ができるように改装されている[図2]。そして、マニフェスタと時期を合わせて、それまで本館三階に展示されていたマティスやピカソなどの20世紀以降の美術作品がまとめてこちらに移動された。ピオトロフスキーはマニフェスタ10の図録の挨拶文で、ロシア・アヴァンギャルド全盛期にはエルミタージュ美術館が「過去の遺物」として美術の前衛から攻撃されていたことや、ソ連時代末期の1987年に開催されたイヴ・サンローラン展に対し、「聖堂としての美術館」が商業主義に汚されたとの名目で反対デモが行われたことなどを紹介しつつ、このビエンナーレの開催がエルミタージュのイメージを刷新する契機となることを強調している★6

図1 冬宮から宮殿広場と旧参謀本部をのぞむ。エルミタージュ美術館の一部になっている東翼はアーチに向かって左側 撮影=筆者
 

図2 イタリアの建築家カルロ・ロッシによってアレクサンドルⅡ世時代に建てられた参謀本部は、エルミタージュ本館同様世界遺産。内部は現代的に改装された 撮影=筆者
 

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1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。

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