いま、日本でコールハースを再読すること――「レム・コールハース『S,M,L,XL』を読む」イベントレポート|市川紘司

初出:2015年9月11日刊行『ゲンロン観光通信 #4』

 ここでレポートするのは7月末、ゲンロンカフェでおこなわれた「レム・コールハース『S,M,L,XL』を読む――ちくま学芸文庫版刊行記念トークショー」なのだが、おそらく建築業界の方でないかぎり、ここで並べられたふたつの固有名にはあまり聞き馴染みがないだろう。まずは概略を確認しておきたい。

 レム・コールハースは1944年生まれのオランダ人建築家。ニューヨークの都市建築史を論じた『錯乱のニューヨーク』(1978年)で鮮烈なデビューを飾って以来、21世紀の現在にいたるまで、建築デザイン/思想の両側面で最前線をはしる建築家である。しばしば「近代建築の巨匠ル・コルビュジエ以後もっとも重要な建築家」などとも称される。2本の高層タワーが頂上で繋げられた《中国中央電視台本部ビル》は、彼が率いる建築設計組織OMAの代表作のひとつだ。

 このコールハースの主著のひとつが『S,M,L,XL』である。1995年に発表された本書には、ロンドンAAスクール在学時代の卒業設計作品に始まり、プロジェクトの模型写真やドローイングやダイアグラム、さらには建築論や都市論や紀行文などが収録されている。1300ページ以上にわたる「超大著」であり、ブルース・マウのブックデザインによってイメージとテクストが渾然一体となった奇抜なヴィジュアルの「奇書」であり、超高層ビルに象徴される現代建築の「度を超えた巨大さ」の問題と価値を分析する「ビッグネス、または大きいことの問題」を収録した「都市建築理論書」である。デビューから1990年代前半までのコールハースの実践と思想の全容がつめ込まれた、現代建築史上における最重要書物のひとつと言ってよいだろう。

 そして、『S,M,L,XL』が刊行されてから20年が経った今年、待望の邦訳版としてリリースされたのが、今回のトークイベントが記念する「ちくま学芸文庫版」だ。ちくま版は『S,M,L,XL+』と題され、原著の奇抜なヴィジュアルイメージをあえて捨象し、テクストのみのコンパクトなエッセイ集となっている。訳出収録されたのは『S,M,L,XL』中の主要テクスト(「ビッグネス」含む)、そして『S,M,L,XL』以後に発表されたとくに重要なテクスト(「ジェネリック・シティ」「ジャンクスペース」など)。『S,M,L,XL』は、現代建築の必読書でありながら、長らく日本語で読むことができず、くわえて、その巨大さや高価さもあり、ある種の「敷居の高さ」は否めなかった。それゆえ、サイズも価格もコンパクトになったちくま版『S,M,L,XL+』の刊行は手放しで喜ばしい。

『S,M,L,XL+――現代都市をめぐるエッセイ』(レム・コールハース著、太田佳代子・渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫)。右は1995年発売の原書、重量は3kg近い。
 

 さて、トークイベントであるが、まず前半では、『S,M,L,XL+』翻訳者であり、コールハースのリサーチ・シンクタンク、AMOで展覧会キュレーションや出版編集を長期にわたり手がけた太田佳代子氏により、建築家レム・コールハースのプロフィールが解説された。

 太田氏がイベント中、たびたび強調されていたのは、コールハースの「両義性」と「政治性」だ。この2点こそ、コールハースの建築家としての特異性がきわだつ特徴だという。

 コールハースの「両義性」とはなにか。コールハースは、ある概念、ある状況に対して、白と黒、右と左といった単純な二項対立化と、それによる明快な立場表明を避けることが多い。むしろ、そうした対立的状況が引き起こす矛盾や両義性を肯定し、分析し、利用することで、建築のデザインと思想を更新しようと企図してきた。

 こうしたコールハースの特徴は、20世紀末以降の「グローバル資本主義」世界における建築・都市の変容への態度に、もっとも端的に現れている。近代化以降、建築は一途に高層&巨大化し、その効率的生産に鑑みれば「作家」としての建築家は邪魔者となっていく。これはとくに、もともと建築家という職能文化が希薄なアジアにおいて先鋭的に現れる状況だ。改革開放後の中国、シンガポールなど経済成長著しい東南アジア諸国、そして(新国立競技場問題でも「建築家嫌い」が顕在化した)日本…。いずれも建築家の感知しないところで建築と都市の大部分が生産される「建築文化不在地域」だが、コールハースは、建築家でありながら、むしろこうした地域にこそ積極的に関与しようとしてきた。コールハースが論じた「ジャンクスペース」や「ジェネリックシティ」とは、新時代の芸術性と合理性を目指した近代精神から、前者をロボトミー手術し、後者だけをエンジンに反復生産された建築空間であり都市空間である。それはコールハースが出身する欧州の外側の、急速な経済成長と都市化を実現するアジアやアフリカや南米で多量に生産される空間だった。

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