ひろがりアジア(5) コロナ時代のタイ観光と窮地に立つタイマッサージ|小木曽航平

シェア
ゲンロンα 2021年4月6日配信
 今日、タイ語で「ヌアット・タイ」と呼ばれるタイの伝統マッサージ(以下、本コラムでは単に「タイマッサージ」と呼ぶ)は、2019年12月にユネスコの無形文化遺産に登録され、名実ともに「タイらしさ」を代表する文化の1つとなっている。私がこのタイマッサージを研究していたのは、おおよそ2008年から2013年にかけてであった。

 あの頃、私は何度となく現地を訪れていた。街を歩いて汗だくになった身体を図書館の容赦のないエアコンに冷やされながら、医学理論が書かれた雑多な文書を前に頭を抱えたり、見たこともない身体図を見つけて興奮したりしていた。一方で、機会さえあれば調査と称して街角のマッサージ店に通った。しかし、今やあの頃のような気楽さでタイを訪れることも、マッサージを受けることも難しくなってしまった。

 タイは、中国以外で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認された国である。しかし、最初の感染が確認された2020年1月から、第一波が落ち着く7月までの累計感染者数は3,500人以下に止まり、死亡者数も58人にまで抑え込んだ。国際観光客到着数が年間約3,900万人(2019年の統計)と、世界で8番目に多い観光立国にも関わらず、これだけ感染に歯止めをかけられた事実は驚きでもある★1。国内で感染の増加が見られ始めた2020年3月には、プラユット首相が緊急事態宣言を発表し、集会の禁止や国境の封鎖、そして感染の危険性のあるエリアへの入域禁止などが決められた。その中にはパブや娯楽施設などとともにマッサージ店も含まれていた。

 当初、2020年4月30日までとされていた緊急事態宣言の期限は2021年3月現在も延長され続けている。だが途中で規制の一部緩和も行われ、2020年6月1日以降はマッサージ店も営業を再開できるようになった。およそ3ヶ月に渡る営業停止を余儀なくされた店は、予約制やマッサージ師のフェイスシールド着用、客への検温などの感染防止対策を実施し、「ニューノーマル」と呼ばれる新たな生活様式の中で、なんとか営業を維持していくことになった。しかしながら、その後も外国からの入国規制が全面的に解除されることはなく、タイを訪れる観光客は激減し、今なおマッサージ業界を窮地に追いやっている。

 コロナウイルスがこの業界に与える致命的な影響があるとすれば、それは次の2点に集約される。ニューノーマルによる人と人との接触の制限と、パンデミックによる国際観光の制限だ。特にタイマッサージは伝統医療であるだけでなく観光資源としてその存在感を確立してきたため、外国人観光客がいてこそ1つの産業として成立してきたといえる。もしも新型コロナウイルスの影響で外国人観光客が来ないならば、多くの店舗で閑古鳥が鳴くのは想像に難くない。

 現時点(2021年3月)で、タイは再び感染が拡大傾向にあり、地域によっては2度目の営業停止を余儀なくされている店も出ている。こうした中,今年に入っていくつかのマッサージ団体から政府に対して早期の営業開始を求める請願が出された★2。タイスパ協会は、国の全土でおよそ80%のスパ事業者が店を閉めており、早急に何らかの補償が必要であると政府に訴えている★3。少しずつ営業再開が認められてきているものの、やはりインバウンド観光客にその収益の多くを頼ってきたのは明らかだ。コロナ禍によって、この先タイマッサージはどうなっていくのだろうか。本コラムでは、その歴史的・文化的背景を整理しながら、コロナ時代のタイマッサージについて考えてみたい★4
 

街角のタイ薬局。マッサージに使うオイルなども販売されている
 

2つのタイマッサージ


 まず論点をはっきりさせるためにタイマッサージを2つに分けて考えておきたい。ひとつは「伝統医療」という制度の中で実践され、語られるタイマッサージである。もうひとつは「観光」という空間の中で実践され、語られるタイマッサージである。

 コロナ禍にみまわれる今日において、注目すべきは後者だろうというのが私の考えである。なぜなら観光という境界領域でこそ「タイマッサージ」は成立してきたからである。しかし先を急がず、まずは伝統医療としての側面を見ていこう。

 そもそも、19世紀後半から本格化する近代化の過程で、タイでも少しずつ近代医療の影響力が高まり、マッサージのような土着の医療は衰退の兆しを見せていた。決定的だったのは1936年の「医術行為管理法」の制定で、ここで伝統的な医療は科学的根拠のない医療行為とされたのである★5。以降、公的な場所で医療行為としてマッサージが行われることはなくなった。

 しかし、当時発展途上国といわれた多くの国で、医療の近代化は思うように進まなかった。タイの場合、1960年代以降のサリット政権下における開発経済政策が都市と農村の経済格差を助長し、それは同時に都市‐農村間の医療格差につながった。高度な医療設備を伴う近代的病院施設は、そう容易く農村にまで行き渡ることはない。

 そんな中、1978年、WHO(世界保健機関)は、「アルマ・アタ宣言」を採択し、地域社会の保健医療システムの再構築や住民自身によるセルフケアの重要性などを訴えた。ここに、当時タイの知識人らの間で湧き起こっていた「共同体文化論」や「土地の知恵論」などが相まって、土着の医療が評価されていった★6。この流れを受けて1993年には保健省の下にタイ伝統医療研究所が設立され、土着の諸々の医療実践が、「タイ伝統医療」として制度化された。そして、その一角として、タイマッサージも体系化されることになったのである。その過程で、マッサージの技法は近代医療の知識を踏まえて解釈され、医学的正当性が確立された。また、歴代タイ王室と伝統医療の関係が再構成され、その歴史的・文化的正統性が承認されていった★7。そして、こうした制度化の結果が2019年のユネスコ無形文化遺産登録へとつながっていくのだ。
 

ルーシーダットンと呼ばれるタイ式の医療体操をする人々
 

 もしもあなたがこの種の「伝統医療としてのタイマッサージ」を受けるとすれば、マッサージ師はまず医学的な問診を行い、相応の医学理論に照らして適切な処置を施すことになる。特定の疾患に対応する技法は、ラーマ3世(在位:1824-51年)時代に作られたテキストにも残されており、それはしっかりと現在のタイマッサージの正統性を権威づけてもいる。

 しかし、観光客としてタイにやってきたあなたが観光に疲れた身体を癒すためにふらっと立ち寄った街角のマッサージ店で、そのような問診が行われるケースは決して多くない。そもそもタイ語を理解できない外国人観光客にとっては、そうした伝統医療としてのタイマッサージを実践する場所に辿り着くことも難しい。

 そして私自身は、そのようなタイマッサージよりも、観光という空間で実践され、そこで語られてきたタイマッサージにこそ原風景を見出している。研究者であるより前に観光客として私が受けてきたマッサージに「医療」らしい点はなく、調べていけばいくほど、私の中の記憶やイメージは、伝統医療の1つとして言説化されるタイマッサージから乖離していったからだ。

 伝統医療ではない別のタイマッサージが存在する。それが私の辿り着いた結論である。それは、伝統医療という制度の境界領域に生まれるものだ。では次に、私自身が体験してきた「観光におけるタイマッサージ」について述べてみよう。

小木曽航平

こぎそ・こうへい/1983年生。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程修了、博士(スポーツ科学)。現在、広島大学大学院人間社会科学研究科准教授。専門はスポーツ人類学、身体論。近著に「スポーツする身体の人類学──運動形態論的視点からみた走ることの異種協働──」『文化人類学研究』(21巻)。共著・分担執筆として『よくわかるスポーツ人類学』(ミネルヴァ書房、2017年)等。
    コメントを残すにはログインしてください。

    ひろがりアジア

    ピックアップ

    NEWS