料理と宇宙技芸(3) 黄燜雞──厨房の天・地・人|伊勢康平

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ゲンロンα 2020年10月20日配信
2023年4月21日タイトル更新
 本記事は有料会員限定の記事ですが、冒頭部分およびレシピ部分は無料で公開しております。どうぞご覧ください。(編集部)
 
 今回は黄燜鶏ホワンメンジーという料理をとりあげたい。これは鶏肉を香辛料や砂糖、醤油などで甘辛く煮込んだ料理で、前回魚香肉絲ユィーシアンロウスーとおなじく日本ではまだあまり知られていないが、現在の中国では人気のある料理だ。それどころか、近年は黄燜鶏を提供する飲食業が中国全土で急激に発展し、ある種の社会現象になったほどなのである。

 黄燜鶏の「メン」という字は「鍋にきちんと蓋をして、食べものを弱火で煮る、またはトロトロ煮込む」(『現代漢語詞典』第7版)という意味だが、これは比較的あたらしい文字である。たとえば『大漢和辞典』には「燜」の項がなく、かわりに「悶」の項に現代の用法として「煮る」「蓋をする」という意味が書かれている★1。こういう点からもわかるように、黄燜鶏も歴史が浅い。けれども、この料理の基礎となる「燜」つまり蓋をして煮込むという調理法そのものはたいへん伝統的なものである。今回はこの煮込みという技術について考えてみたい。

1 調和の技法② 煮込み


 「あつものにこりてなますを吹く」という言葉がある。屈原くつげん(前343頃〜前283頃)という戦国時代の詩人の表現から生まれたいいまわしで、文字通りには、羹で口をやけどしたひとが、それにこりてつめたい膾(生の肉や魚などを酢であえたもの)をも吹いて冷まそうとすることを指し、ひとつの失敗にこりて必要以上に用心してしまうことをいう★2。この羹というのがいまでいう煮込み料理のことで、むかしの中国では肉や魚、野菜などを煮込んだものを広くこう呼んでいたらしい。吸いものもここに含まれる。

 そもそも羹は中国でもっとも古い調理法のひとつで、屈原の作品にかぎらず、古代の文献のあちこちに書かれている。たとえば『礼記』内則編では、季節ごとに適切な肉と香味野菜のつけ合わせについて説明されており、うずらや鶏の羹はたでで香りづけをするのがよいとされている。さらにおなじ内則編には「羹は、諸侯から庶民にいたるまで〔食べられており〕差別がない」とあり、当初からかなり一般的な料理であったことがわかる★3。ならば、宇宙技芸としての中華料理のなかで、羹を生みだす煮込みの技法はどのような特徴をもつのだろうか。

2 煮込みの陰陽論


 食文化の研究者である白瑋バイウェイは、『中国美食哲学』のなかで、煮込みとは陰と陽が理想的に結びついた調理法だといっている。どういうことだろうか。
 
 
 まず陰陽についてごく簡単に説明しておこう★4。古来中国の思想では、しばしば宇宙のあらゆるものはひとつの「気」によってできていると考える。陰と陽は「気」がもつふたつの側面であり、陰が静的な面を、陽が動的な面をあらわしている。そしてこの陰と陽が相互にきり替わったり結びついたりさまざまな反応を起こすことによって、あらゆるものが生まれ、変化していくという。そこで、日頃ぼくたちが目にするものはすべて、そのありかたに──あるいはに!──着目して陰と陽のカテゴリーに区別できる。それにしたがえば、天が陽で地が陰となり、男性が陽で女性が陰とされる(こんにちこの区分をどう判断するかはひとまず問わない)。

 ここで重要なことは、陰と陽の区分はものの性質ではなくむしろもの同士の関係にもとづいて決定されるということだ。例をあげると、年老いた男性は、性別に着目した場合には陽となるが、子どもとの対比のなかで年齢に着目すれば陰になる。というのも、老人はすでに身体の成長が止まっているからだ。とすると、年老いた男性と若い少女の対比は、単純に陰陽でくっきり分けられないものとなる。これはけっして特殊な例ではない。陰陽の考えかたのなかでは、あらゆるものが多かれ少なかれこうした微妙な関係性のなかに置かれることになる。つまり陰のなかには陽があり、陽のなかには陰があるというわけだ。

 このような陰陽の思想は、第1・2回でとりあげた五行思想と組み合わさって陰陽五行思想となった。ただ、陰陽とはちがって、五行の要素は一般的にもの単体の性質によって決まる。たとえば鉄が五行でいう金であるのは、鉄そのものの性質のためであり、ほかのものとの関係はとくに作用してはいない。
 
 
 さきほどの白瑋バイウェイのはなしに戻ろう。なぜ白は、煮込みが陰陽の理想的な結合だと考えたのだろうか。


煮込みの器具についていえば、鍋と鍋蓋は陰陽が合体したものである。鍋が地なら蓋は天だ。そして蓋のもとにある食べものは、天地のはざまにある万物なのだ。そのため、ものを煮込むときにはかならず蓋をしなければならない。鍋に蓋をしてはじめて、天・地・陰・陽が完璧に融合し、ひとつになるのである★5


 はじめに鍋があった。それはいってしまえばただの曲がった板である。だがひとたび蓋をかぶせた瞬間、天と地という関係性にもとづいて、そこに陰陽の対比が成立する。つまり天=蓋によって鍋は陰の気を宿す「大地」となるのだ★6

 さらにいうと、煮込みとは鍋をさかいにして火と水をつなげる技術である。もし鍋をつかわずに火と水を直接あわせてしまったら、たちまちどちらかが消えてしまうだろう。要するに火と水は、鍋によってはじめて共存する関係をもつことができる。そこでこの共存関係を陰陽の考えにあてはめると、ものをあたためて動きをもたらす火が陽となり、ものをひやして動きを止める水が陰となる。ということは、煮込みという技法のなかでは、陰陽の組み合わせが2段階にわたって成立しているといえるのだ。

3 羹は和して同ぜず


 鍋が水と火のあいだをつなぎ、陰陽の均衡をささえると同時に、天=蓋によって鍋そのものも地へと変化する。そして加熱された水が少しずつ陽の気を増していく(つまり沸きあがる)なかで、蓋は鍋からあがってきた水分を受けとめ、まるで天が雨を降らすかのように鍋=地へと水滴を落とす。

 これが煮込みという技法に秘められた宇宙論的な特色だ。たしかにこれは、炒めものやあえものなどにはみられない(蒸しものは似た構造をもっているだろう)。では、このような煮込みの技法によってつくられた料理、つまりあつものにはどのような性質があるのだろうか。

『春秋左氏伝』の「昭公二〇年」には、つぎのような対話がある。


「和と同は別物なのか」
「別物です。和とは羹のようなものです。水や火と、ひしお〔塩漬けにした肉〕、塩や梅をつかって魚や肉を煮込み、薪で熱をくわえて調理官がこれを調和させます。味をととのえ、足らねば味を補い、過ぎれば薄め、君子が食べて心がおだやかになるようにします。君主と家臣の関係もこれとおなじなのです」★7


 これは斉の晏嬰あんえいという優れた政治家が、君主に「和」の概念を説明する場面だ。ここで彼がいおうとしたのは、たとえ君主と意見が食いちがったとしても、国を平穏に治めることを優先し、ときに君主へ申し立てをするのが「和」を実践する政治家だということである。そしてそれは「同」(ただ君主に同調するだけの態度)とは別物だという。いいかえれば、「和」にはかならず差異と多様性が必要ということだ。

 とはいえ、ぼくたちにとって重要なのは、やはり晏嬰が羹をつかって「和」を語っていることだろう。晏は食材や調味料の味わいがそれぞれ差異をもちながらも、全体として調和が保たれている羹という料理のなかに、あるいはそれをつくる煮込みの技法のなかに「和」の概念がはっきりあらわれていると考えたのである★8

 これまでくりかえし書いてきたように、「和」あるいは調和という概念は、いにしえの中国人が宇宙を理解する際にとても大切にしたものだ。さらに「君子は和して同ぜず」(『論語』子路第一三)という有名な言葉からもわかるように、これはおおきな道徳上の指針でもある。それがはっきりあらわれているというのだから、つまりひととして生きるうえで大切なことはだいたい羹に入っているといっても過言ではない。

4 黄燜鶏について


 さて、ここからは黄燜鶏ホワンメンジーの紹介にうつろう。くわしくはレシピをみてほしいが、黄燜鶏は鶏肉やしいたけなどの食材を生姜や醤油、砂糖で味つけしながら煮込む料理だ。なのでこれもあつものの一種である(あえて砂糖を入れないひともいる)。

 黄燜鶏の起源には諸説あり、雲南省の永平で1000年ほどまえに生まれたというものや、20世紀前半に山東省の済南あたりで誕生したというものなどがある。ただぼく自身は、この料理の起源を特定することにはあまり意味がないと考えている。ここまで書いてきたように、羹は大昔からある料理だ。結局のところ、香辛料を効かせながら鶏を煮込んだ料理など、原型はどこにでもあるだろう。じっさい、前回も登場した清の袁枚という杭州の文人による『隨園食単』にも、蘑菇煨鶏モーグゥウェイジーという、鶏肉と口蘑菇コウモーグゥ(モンゴル原産のきのこ)を酒や氷砂糖、香辛料で煮込んだ料理が紹介されている★9

 冒頭にも少し書いたように、この黄燜鶏は近年急速に中国の外食産業で存在感を高めている。いわば中華のファストフード(中式快餐)として黄燜鶏をあつかう店が急激に数を増やしているのだ。「李飛揚リィフェイヤン」や「楊銘宇ヤンミンユィー」といったブランドが独自に「黄燜鶏の素」を開発し、短時間でおいしい黄燜鶏が簡単にできるようマニュアルを整備した結果、全国でチェーン店が爆発的に増加した。2014年には中国全土で1500軒ほどだった黄燜鶏店が、たった2年後の2016年には4万軒にまで増加したともいわれており★10、ほとんど社会現象になっていることがわかる。なお「楊銘宇」はすでに日本にも進出しているので、東京や大阪ではじっさいに食べてみることもできる。

 このように、黄燜鶏は中国のあらたなファストフードとして成功しつつある。ぼく自身、この料理を知ったのは北京でファストフード化した黄燜鶏を食べたことがきっかけだった。けれども、これから紹介する黄燜鶏のレシピはそれなりに手間がかかるものであり、まったく「ファスト」ではない。というのも、この料理はほんらいとてもよくできた羹であり、本腰を入れてつくるにはたしかな煮込みの技法が必要だからだ。それはつまり、火と水を、そして天と地をたくみに結びつけなければならないということである。黄燜鶏の外食産業が今後も勢いを増していくのか、あるいは一過性のブームとして消え去っていくのかはわからない。それでもこの料理はきちんと受け継ぎ、残していく価値がある。ぼくにとって黄燜鶏はそういう一品だ。

5 黄燜鶏のつくりかた


分量は1〜2人前。

◯食材
・鶏肉(モモ) 250g〜
・しいたけ 4、5個
・ピーマン 2、3個
・小松菜 2、3束
※野菜は種類、量ともにお好みで。
◯香辛料
・生姜 薄切りで5枚くらい
・八角 2個
※お好みで唐辛子や花椒を入れてもよい。ぼくはあまり入れない。

◯調味料
・醤油 大さじ1
・紹興酒(または料理酒) 大さじ1
・砂糖 大さじ1弱
・食塩 すこし
・胡椒 すこし

下準備

・鶏肉をボウルに入れ、分量外の醤油、料理酒、塩胡椒で味つけしておく
・野菜をきる。ピーマンは短冊状。しいたけは太さがピーマンとおなじくらいになるようにきる。小松菜は葉と茎できりわけ、茎はピーマンの長さにあわせてきる
・生姜は1ミリくらいの薄切りにして八角と待機

準備ができた食材たち
 

炒め


・鍋を火にかける。少量の油をしき、かるく煙がでるくらいまで加熱。その後きれいなキッチンペーパーなどをつかって油を捨て、あらたに油を追加
※これは「滑鍋ホワグォ」という技法。詳細は第1回を参照。
・生姜と八角を炒める。生姜に焼き色がつきはじめたら鍋からだす
・砂糖を入れて弱火でゆっくり加熱する。カラメル状になりはじめたら鶏肉を入れる。砂糖が焦げないように注意
・肉を中火で炒める。表面がわずかに焦げるくらいまで加熱すると、煮込みのときに味が流出しないのでおいしくなる

・炒めおわったら醤油と酒を入れる。中華鍋をつかっているひとは、鍋肌から回し入れるのが大切。これは中華鍋の「気」を解放する手段のひとつとされる
※ 中華鍋の「気」については次回に詳しくとりあげる予定。

煮込み


・しいたけを投下、なじませる
・水を200〜300cc ほど入れる。水の量は鍋の形状によって変わる。いずれにせよ、食材がしっかり浸かるくらいまで入れる。なお、ここで五反田が誇る無添加特製の「信濃屋だし」をつかってもよい(くわしくは第1回「麻婆豆腐」を参照)
・蓋をして中火と弱火の中間くらいで煮る。鍋のなかの温度が下がるので、蓋をとってなかを確認するのは厳禁

天・地・人のあらたな関係性
 
・10分くらい煮たあと一度だけ蓋をとり、塩胡椒で味つけ。味見をするならここで行なう。この段階では、ややうすいくらいがよい
・ふたたび蓋をして20〜30分くらい煮込む。合計で30〜40分くらい煮込むことになる。この時間は最初に入れた水の量や鍋の種類などでかなり変わるので、何度かつくってみて、それぞれの環境によって最適な時間を把握するしかない

仕上げ


・ピーマンと小松菜の茎を投下。まぜあわせる。中火で2〜3分くらい加熱
・多少水気がでてきた時点で小松菜の葉を入れる。すぐに蓋をして、中火で1分くらい加熱して仕上げる
※野菜は香りや色がちゃんと残っているほうがよいので、加熱しすぎないように注意する。つまり羹を「同」にしてはいけない。
・葉がいい感じに縮んだのを確認して盛りつける

完成!
 

なお今回の撮影には、渋谷キッチンスタジオを使用した。渋谷駅からとても近く、設備も充分なうえに利用料金も安いので、たいへんおすすめだ。
***
  「宇宙論的麻婆豆腐」によってはじまったこの連載もこれで3回目を迎える。連載はまだまだはじまったばかりで、もちろん今後もつづいていくのだが、ぼくのスケジュールの都合により(具体的には修士論文の執筆など)しばらくおやすみをいただくことになった。次回は来年2月ごろに公開される予定である。読者のみなさまにはお待たせすることになってしまい申し訳ないが、鍋でもふりながら気長に待っていただけるとありがたい。  さてこの3回を簡単にふりかえってみると、中華料理と宇宙論にかんする全体的な議論がつづいたのがわかる──要するに「中華には宇宙がある」とひとことでまとめられるようなはなしが多かった。もちろんこれは意図的なもので、ここまではいわば「料理と宇宙技芸」の導入部分だったというわけだ。そのため今後は、よりいっそう多様で具体的なトピックを深掘りしていくことになるだろう。たとえば、さきほどレシピにも書いたように、次回は中華鍋の「気」をあやつるというなぞの技法について、さまざまな角度から解剖してみようと思っている。

6 宇宙技芸としての料理


 さいごに、料理を宇宙技芸として考えるというぼくたちの試みが、いわば来るべき「料理本」としてどういう可能性をもちうるかを話しておこう。批評家の三浦哲哉は、『食べたくなる本』という画期的な料理本批評のなかでこのようにいっている。
食こそがこの世界の調和と連続性を直感させてくれるという考えがある。とりわけオーガニックな食文化への愛好は、つきつめればそのような認識に至る★11
『食べたくなる本』のなかで三浦が「調理」している料理本やレシピ本は多岐にわたるが、そこでひとつ存在感をもっているのが「引き算の料理」という流れである★12。1990年代ごろから、環境問題への意識のたかまりや、ファストフードの世界的な広がりを受けて、各地域の地元食材や郷土料理をみなおすスローフード運動が展開される。それにともなって、コテコテと調味料を重ねるのではなく、なるべく素材ほんらいの風味を際立たせようとする調理法が開発されるようになった。  たとえば三浦が紹介する料理研究家・細川亜衣の「カリフラワーのピュレ」は、まるごと蒸してつぶしたカリフラワーにオリーブオイルをかけるだけというたいへんシンプルな料理だが、むしろこのシンプルさこそがカリフラワーのもつ自然な風味を完全に引きだすという。けれども、カリフラワーのピュレにかぎらず素材のポテンシャルを引きだそうとする調理法がうまく機能するためには、そもそも引きだすに足るだけの新鮮でゆたかな食材の調達が重要になる。オーガニックな食文化や、自然食材へのこだわりは、こうした調理法の要請とも深くかかわっているだろう。
 このように考えると、食をつうじて「自然」とつながりたい、またそれによって「この世界の調和と連続性を直感」したいという欲望の焦点は、ほとんどの場合、食材の次元に集中していることがわかる。つまりどのような食材を調達するか、そしていかに食材がもつ「自然」さを損なわずに調理するかが問題となっているのだ。

 たしかに、食材へのこだわりは美食にとって不可欠であり、このような発想自体にまちがいはないだろう。けれども、そこにはじつは隠れた負の側面もある。三浦はさきほどの引用箇所の直後で、原発事故と食品生産をめぐる現実のなか、この種の欲望がじつに醜悪なかたちで噴きだしてしまったことに触れている。

二〇一一年のあとに繰り返されたデモに何度も参加したが、そこで叫ばれた言葉に心が痛んだ。いまこそ「自然」を取り戻すべく連帯するのだ、という主張が、「ノーモア・フクシマ」とか、「フクシマのものを食べてはならない」という強い言葉と結びつけられていた。なにかもう後戻りできないかんじがした★13


 こうした悲劇にはとても複雑な背景があるので、いまは深入りしないでおきたい(ひとまずぼくにできるのは、小松理虔の『新復興論』を読もうと呼びかけるくらいだ)。とはいえ料理と宇宙技芸の観点からみれば、ただ食材に着目し、そこにこだわることでしか、食をつうじた「自然」とのつながりや世界の調和を考えられないという想像力の貧しさも無関係ではないように思われる。というのも、宇宙技芸としての中華料理は、食材よりもむしろ調理の技法のなかにこそ、世界の調和や「自然」(あるいはその総体としての宇宙)とのつながりを追い求めるものだからだ──もちろん、中華でも食材はきわめて重要であり、もちろん素材ほんらいのポテンシャルを引きだすことを要求される料理もあるが。

 なので、今後この連載では、あくまでごくふつうの中華料理を紹介していきながら、いたって標準的な技法のなかに秘められた自然観や宇宙論を明らかにしていきたい。それによって、食をつうじた「自然」とのつながりにべつの選択肢を示すことができればよいと思う。おそらくそれが、調理師でも料理研究家でもないぼくにできる「料理本」のありかたなのだろう。

撮影=編集部
場所=渋谷キッチンスタジオ


★1 諸橋轍次『大漢和辞典』縮写版巻四、大修館書店、1957年初版、1971年縮写版第3刷、1069頁。
★2 『楚辞』《漢詩大系 第三巻》、藤野岩友訳注、集英社、1967年、180頁。
★3 羹にかんする古代の文献上の記述については、張競という学者が『中華料理の文化史』(ちくま文庫、2013年)の第1章でまとめている。
★4 このあたりについてわかりやすく書かれた、入手しやすい概説書としては、土田健二郎『儒教入門』、東京大学出版会、2011年がある。とりわけ同書の第4章を参照。
★5 白玮《中国美食哲学》,商务印书馆,页146。ちなみにここで「煮込み」と訳した“烹饪”という語は、古くは煮込みを意味していたが、現代の中国では料理一般を指すことが多い。この事実自体、中華料理において煮込みがもつ意味あいを示しており興味深いのだが、それはともかくここでは原文の文脈を考慮してあえてこのような訳をした。
★6 宇宙技芸としての中華料理を考えるにあたって、天=蓋の誕生はきわめて重要な出来事だ。一般的には、中国の青銅器の歴史上、「かなえ」という煮込みの道具にかぶせる蓋が生産されはじめたのは春秋時代の中期ごろからだとされている。じっさい、殷や周の時代の鼎を図録でながめていると、おおむね蓋がないことに気づく。では、そのころ煮込みはまだ宇宙性を欠いていたのだろうか。じつはそうではない。青銅器にまだ青銅の蓋がつかわれていなかったころ、ひとは茅でつくった蓋をかぶせていたという。林巳奈夫『殷周時代青銅器の研究──殷周青銅器綜覧一』、吉川弘文館、1984年、36頁を参照。
★7 『春秋左氏伝 下』、小倉芳彦訳、1989年、218頁。訳文は一部変更している。
★8 よくつくられた羹が「和」であるなら、「同」である料理とはどんなものか。晏嬰は「水で水を調え」るようなもの、となかなかおもしろいことをいっているが、あるいはつよく煮込みすぎて食材どうしが判別不能になったものも「同」といえるかもしれない。
★9 袁枚『随園食単』、青木正児訳注、岩波文庫、1980年、119頁。
★10 "黄焖鸡米饭难套沙县小吃模式",《北京商报》,2017年2月23日。
★11 三浦哲哉『食べたくなる本』、みすず書房、2019年、312頁。
★12 ここより以下の記述については、三浦『食べたくなる本』、第4節や第8節などを参照。
★13 三浦『食べたくなる本』、313頁。
 

伊勢康平

1995年生。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍。専門は中国近現代の思想など。著作に「ユク・ホイと地域性の問題——ホー・ツーニェンの『虎』から考える」(『ゲンロン13』)ほか、翻訳にユク・ホイ『中国における技術への問い』(ゲンロン)、王暁明「ふたつの『改革』とその文化的含意」(『現代中国』2019年号所収)ほか。
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