尼崎事件から「被告人≒非国民」説まで 「そういうものだ」の怪 前略、塀の上より(10)|高橋ユキ
なぜそうなっているのかよく分からないが、とにかくそういうものだとされていることが、世の中にはごまんとある。
今回の記事が公開される2月にもまさにそんなものがある。女性が男性にチョコレートを渡す日だといわれているバレンタインデーだ。今の時代、スマホで「バレンタイン 由来」などググれば、その歴史はすぐに分かるが、スマホのない時代に子供だった私は当時、バレンタインデーが近づくとデパート催事場やスーパーでチョコレートが売られるのを見て「なぜか分からないがそういうもの」としてバレンタインデーを認識した。とくに学生の頃は「女子が好きな男子にチョコを渡す日」つまり告白デーだとされ、一大イベントと化していた記憶がある。母親は催事場でチョコレートを買い込んで職場に持って行っており「義理チョコ」なるものの存在もそれで知った。のちに社会人になった私も、ある職場で、チームの男性陣にチョコレートを買うために女性から一律で金を徴収していると言われるがまま、数千円を渡したことがあった。
最近でこそ、別に女性が男性に渡さなくても良いではないか、義理チョコもなくてもいいではないか、という空気になっている気がするが、いつのまにやらそういうものだとされているものについて、空気を破ることは容易ではない。脈々と続く地元の祭りや、学校主催の行事を手伝うときのように「そういうものだ」と受け入れておいた方が何かと円滑にすすむこともあるが「なんだこれは?」と疑問に思うことも大切だと私は思う。これまで色々な刑事裁判を傍聴してきて、とくに強く思うようになった。
その一例、2011年に発覚した兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件……いわゆる尼崎事件は、関係者らの逮捕、供述により、主犯の角田美代子(64=当時、以下「美代子」)を中心として25年以上にわたり兵庫県をはじめとした複数の県で、いくつもの家族が長期間虐待を受け、殺害されていたことが明らかになっている。ところが事件の全貌を知る主犯、美代子は2012年12月、留置所で長袖Tシャツを首に巻き自殺を遂げてしまう。そのため残された者たちの供述に基づき事件が組み立てられ、公判が行われる格好になった。
長きにわたる複数の家族の取り込み、監禁、食事や排泄制限、傷害致死、保険金目的での殺人などが明るみになったのは、かつて北九州連続監禁殺害事件が発覚したときと同じように、監禁されていた人物が主犯の目を盗んで脱走し、警察に駆け込んだことがきっかけだった。事件は美代子に取り込まれ同居していた“美代子ファミリー”によるものだったが、このファミリーには実際の家族ではないメンバーが含まれており、美代子の作り上げた疑似家族であった。
立件されたのは6名の被害者に対する事件で、起訴されたのは10名。すでに全員の裁判が終結している。最初に公判が行われたのは、警察に駆け込んだ人物Aと、その妹B、その元夫Cによる、AとBの母・Dさんに対する虐待死亡事件だ。ABCの3人は、2011年7月から9月にかけて美代子と共謀の上、Dさんの頭を殴るなどの虐待で衰弱死させ、遺体をドラム缶にコンクリート詰めにして尼崎市内の貸倉庫内に遺棄したという傷害致死などに問われていた。公判では主にAから、美代子がいかにして赤の他人を取り込んでいったか、手口が詳細に語られた。
Dさんへの暴力行為が行われている最中は、3人も外出を禁じられ、食事と水、トイレすら制限される生活だったという。Dさんの死亡後、ファミリーの次のターゲットとなってしまったAは、ワンルームのあった2階から飛び降り警察に駆け込んだ。ここから、一連の事件が明るみに出るのである。
見知らぬ女に家に居座られ、次第に家族全員がコントロールされていくとはどういうことか。家族の取り込みの片鱗を、3人の公判で垣間見た。
まず3人が美代子と知り合ったきっかけは、当時Cが務めていた鉄道会社に美代子がクレームを入れたことだった。ベビーカーを持っていないのに「電車ドアにベビーカーが挟まった」と苦情を申し入れたのだ。ここからBとCの元夫婦は美代子と親しくなっていったが、徐々に美代子は家庭の問題に介入し始める。そして、いつのまにか家族会議を主催し仕切るまでになった。最後はAとその元婚約者も巻き込み、コントロール下に置き始めていった。神戸地裁の裁判員裁判を傍聴した際、Aは法廷でこう述べた。
……の前に。本連載では、文章の根拠となる出典を示すことになっているが、傍聴し、法廷で記録したメモを見直して紹介しているので、以下の情報に出典はない。改めて言えば、自分は取材をして情報を得る仕事をしているので、これまでの記事でも、今後も、こういったことはある。そのたびにそれを伝えるのもしつこいと思うし、自分としても「取材した情報だから出典はないし」などとイキっているかのように思われたらどうしようと心配が止まらないが、自分の連載ではなく、他の方々の連載と比べたときに「なぜ出典がないのか」と読者が疑問に思われることもあるようだ。そのため、毎度、伝えていくことになるだろう。ご容赦願いたい。
さて2013年10月9日、東京から朝イチの新幹線で駆けつけた神戸地裁。10時から101号法廷にて開かれた裁判員裁判被告人質問でAは言った。
「仕事から帰ったらBから電話があって、『話し合いするから、あなたも婚約者を連れて来てほしい』と言われました。駆けつけたらCが美代子を連れて来た。怖そうとは思ったけど、とりあえず自分から挨拶しました。
しばらくすると美代子がなんか、話を仕切り始めました。そしてしばらくして私の婚約者に対して、いきなり怒り始めて、挨拶しなかったとか、『何やのあんた、帽子も取らんと!』と怒鳴り散らしました。どのくらいの時間かは覚えてないですが、すぐには終わらなかったです。終わったのは夜中、明け方……3時くらいと思います。美代子が『夜、気ぃつけて歩きや。警察は24時間守ってくれへんで』と脅してきました。でも『24時間警察守ってくれへん』っていうのに妙に納得してしまいました。実際、警察行ったとこで、たしかに相談には乗ってくれるけど、守ってくれる訳ではないし」(当日の法廷でのAの証言)
超ロングな家族会議で恫喝を交えながら持論を展開することで、参加者らの体力や精神力を奪い、徐々に支配下に置く戦法だったようだ。Aは美代子から言われるがまま巻き込まれていき、出社もままならなくなったが、他人の家族の問題に美代子が親身になってくれていると思うようになり、最終的に美代子を信頼するようになったという。
本来は、無関係であるはずの家族関係に割り込み、いきなり話し合いを始め、場を仕切りだした美代子自身がアウェイの場であるはずだ。ところが美代子は、同じく全く無関係であるCの婚約者が帽子をかぶっていたことを責め、長々と説教することで全員の考える気力を奪っていった。「この女性は誰だ?」「なぜ帽子を取らないことで知らない女性に怒られなければならないのか?」そんな疑問も消え去る空気に支配されていたともいえる。当事者になってみれば空気を破ることは死を意味する行為かもしれない。まさにこのような空気こそが「そういうものだ」と思ってはいけない瞬間なのだろう。ただ、そんなことは、無関係の立場では後から何とでも言えるものではある。当事者にとっては「言われなくても分かっている」と言いたくなる余計な考察だとは認識している。
事件ではなく、普段目にする裁判記事にも、同じように「とにかくそういうものだ」とされてはいるが、気になることがいくつかある。その第一位(私調べ)はなんといっても「被告」表記だ。刑事裁判の記事では、なぜか裁かれる者が「被告」と表記されている。だが本来「被告」は民事裁判の当事者であり、刑事裁判の当事者は「被告人」だ。大事林アプリで「被告人」と調べると「刑事訴訟において、犯罪を犯したとして起訴され、訴訟が継続中の者」とある。対して「被告」は「民事訴訟・行政訴訟において、原告により訴えられた側の当事者」とある。なのにテレビのニュースも、新聞記事も、刑事裁判を報じる際は本来「被告人」と表記しなければならない当事者について、民事裁判で訴えられたほうの当事者の呼び名「被告」を用いている。マスコミ表記ルールがあるのだろうと思われるが、これは正直言って、傍聴している者としては「そういうものだ」では済まされないほど気になってしまう。
なぜ刑事裁判の被告人が「被告」なのか? とかつて周囲に聞くと「被告人」と発声した際「非国民」と間違えられる可能性があるためだ……という説が聞こえてきた。もっともらしい話は往々にして作り話のことがある。嘘でしょ、と思っていたのだが、ある法律事務所のホームページになんと、こんな記載があった。
以前、NHK放送研修センターの日本語センターの方に、テレビ報道において「●●被告」という表現が用いられる理由を伺ったところ、意外な答えが返ってきた。
報道を耳で聞くうえで、「被告人」と呼ぶことは、「非国民」と聞き間違えられる可能性があるので、それを避けるために、「被告」という表現を用いるとの報道慣行になっているとのことであった。[★1]
やっぱり何だか腑に落ちない。なぜなら刑事裁判の「被告人」のイントネーションはおおむね「ドラえもん」と同じなのである。「非国民」のそれとはだいぶ違う。なのでこの説自体が本当なのか、私はまだ疑っている。でもとにかく、どこかで決まったルールによって、ニュースにおいて刑事裁判の被告人を「被告」と表記したり読んだりすることは、結局のところ受け手に混乱を与えかねない。日常で色々な人と話をする際、民事裁判での被告に対する本人尋問を被告人質問と言っていたり、または刑事裁判の被害者を原告と、被告人質問を被告人尋問などと言っていたりするのを耳にすることがあり、混乱している。裁判報道も、民事と刑事をごっちゃにした表記によって、こうした混乱を助長しているのではないか。
第二位は2017年の刑法改正により新設された罪名の表記が、メディアによって異なることだ。正しくは「強制性交等罪」が「強制性交罪」となってしまっている媒体がけっこうある。例えば日経新聞が「強制性交罪」と記しており、これは新聞のルールとなっている可能性が高い(違っていたら教えてほしい)[★2]。なのに正しく「強制性交等罪」と書かれている媒体もあり、混乱がすさまじい。一部報道で「等」を省いてしまうのはなぜなのか、正直全く意味が分からない。「等」一文字を略す意味とは……? 「等」は意外と大事で、この罪名には口腔性交や肛門性交も含まれる。「等」を略すことによって世の中に間違った罪名だけでなく間違った認識が広まってしまっている気がする[★3]。ルールを定めた人に理由を教えてもらいたい。
第三位は、刑事裁判の判決で言い渡される「未決勾留日数の算入」について報道で触れられることがほとんどないこと。傍聴人にとって未決勾留日数が何日算入されるかは、けっこうな聞きどころである。これは何かというと、実刑判決が出た際に、それまで身柄勾留されていた日数のうち一部を、これから刑務所で服役する日数から差し引くというものだ。判決によってけっこう違う。興味深いところで言えば、算入日数が新型コロナウイルス感染拡大による影響を受けた時期があった。
例えば、2018年に所沢で起きた殺人事件がそうだ[★4]。この裁判では、被告人に懲役28年の判決が言い渡されているが、未決勾留日数はなんと1100日算入。約3年差し引かれ実質懲役25年だ。当時、感染拡大の影響で刑事裁判が延期になることが度々あった。被告人としては自身とは無関係の事情により身柄拘束が長引いたことになる。これを考慮したのだと判決では言っていた。
たしかにもし自分の身柄がその当時、拘置所にあったとしたら、不満に思うところではある。裁判所が開廷期日をずらして勾留が長引いているのに、未決勾留日数を考慮してくれないなんて! と怒ってしまうだろう。ちなみにこの事件の被告人は控訴し、判決でさらに300日の未決勾留日数が算入された。実質24年になっている。こういう細かい話こそ、個人的には興味を持ってしまうのだが、ウェブ媒体で書いてもPVは取れない。
私も記事を書く際、被告人を「被告」と表記しなければならない局面は多いが、法律や社会の問題を独自視点で扱うメディア「弁護士ドットコムニュース」では「被告人」を用いることができており、とてもありがたい。「そういうものだ」と受け入れていたよく分からないものは、変だと思えば少しずつ変えていきたい。
★1 横田未生「テレビ報道における法律用語 Vol.1」、鳥飼総合法律事務所ホームページ、2018年4月2日。URL= https://www.torikai.gr.jp/columns/detail/post-19319/
★2 「特殊詐欺の被害、23年は400億円超 刑法犯も2年連続増」、「日経電子版」、2024年2月8日。URL= https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE02BPF0S4A200C2000000/
★3 性暴力事件の報道にまつわるさまざまな問題については、以下の拙稿でも取り上げた。高橋ユキ「性暴力の記事が「目立たなく」なる インターネットの見えざる力 前略、塀の上より(6)」、「webゲンロン」、2023年10月26日。URL= https://webgenron.com/articles/article20231026_01
★4 「老母と次男を殺害した46歳男に懲役28年の判決 凄惨な現場にいた『もう一人の男』に最後まで残った謎」、「デイリー新潮」、2022年5月3日。URL= https://www.dailyshincho.jp/article/2022/05031000/?all=1
高橋ユキ
1 コメント
- TM2024/03/08 21:41
尼崎の事件と北九州の事件は強く記憶に残っている。 余りに凄惨な内容かつ本当に多くの人が滅茶苦茶な世界に引き摺り込まれることは底しれぬ恐怖があったし、自分も「とにかくそういうものだ」に流されないか自身が持てない不安も強い。 閉鎖空間、情報の遮断、肉体的苦痛それら要素で自ら犯罪に加担してしまうほどの変容を来す。本当に恐ろしいがそういう人間の限界はよく自覚しておくべきなのかもしれない。 高橋さんの「とにかくそういうものだ」に対する気になるという反応。それを疎かにせずに辿ることが普段から大切な気もする。 そして「とにかくそういうものだ」のもたらした恐ろしい事例は風化させてはいけないのだろう。
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