アンビバレント・ヒップホップ(11) RAP, LIP and CLIP──ヒップホップMVの物語論(前篇)|吉田雅史

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初出:2017年11月17日刊行『ゲンロンβ19』
前篇

1 MVは何を映しているのか?


 前回は、日本語ラップが描いてきた風景について議論した。さんピンCAMP世代に代表される90年代の日本のラッパーたちは、ニューヨークで誕生したラップで歌われているような風景を日本には見出せず、想像力を働かせ、オルタナティヴとなる風景を描こうと腐心していた。やがて78年組と呼ばれる新世代などによって、日本のストリートやゲットー、プロジェクトの風景が発見されるが、先行世代のアンビバレントな思いは日本語ラップの歴史に刻まれることとなった。

 一方、詩人の金時鐘キム・シジョンもまた、ある風景にアンビバレントな思いを抱えていた。北朝鮮出身の彼は、幼少期に受けた日本語教育により「唱歌」の授業を得意とし、やがて日本の近代詩人の作品を好むようになる。しかしたとえば「夕やけこやけ」を歌うとき、そこで歌われる日本の風景は、実際金の目の前に広がっている郷里の風景とは異なるものだった。そのような幼少時の経験に対して、みじめでもあり愛おしいという非常にアンビバレントな思いを抱くこの詩人が共鳴したのもまた、小野十三郎の「短歌的抒情の否定」という考え方だった。金の抱える風景への思いには、そのアンビバレントさにおいて、日本語ラップのラッパーたちと共通するものがあった。

「ラップと風景」について考える際に、リリックで歌われている風景を分析するだけでなく、もうひとつ検討すべき要素はMV(PV)の存在である。そこには、ラップで描かれる風景と共に、その風景を見る主体であり、同時にMVの視聴者から見られる存在でもあるラッパーも映り込んでいる。そのようなMVの日本における特異なありかたを探ろうというのが本稿の目的だ。

 



 MVとは何か(本論を通して様々なMVの例を挙げながら議論を進めるが、全てYouTube等で視聴可能なので、適宜実際の動画にアクセスしながら読み進めていただきたい)。プロモーショナル・ヴィデオ(Promotional Video=PV)、ヴィデオ・クリップ、あるいはミュージック・ヴィデオ(Music Video=MV)と呼ばれるそれは、周知の通り、従来、レコードやCD、あるいはデータといったメディアで提供される聴覚に訴えかける音楽に、視覚に訴えかける映像を付加して作られたものだ。日本では従来「PV」という呼称もよく用いられているが、欧米で一般的な「MV」も最近では浸透しているため、本論でも以降はMVを用いる。

 しかし、PVという命名はMVの本質を示している。Promotional=宣伝用という語からして、商業的な効果が期待されていることは明らかだ。かつてレコード会社は、レコードやCDを売るために、ラジオというメディアでそれらをプレイすることで大衆にその楽曲やアーティストを周知させようとしたが、ラジオからテレビ、そしてインターネットへと大衆メディアが移行するにつれ、映像の持つ意義は大きくなっていった。

 その発祥は、1920年代後半にトーキーが誕生した頃に遡る。映画に音を付けられるようになったことによって、楽器の演奏者やヴォーカリストを映像にもフィーチャーした、ミュージカルのビデオが制作され始める。この頃のハリウッドの映像は後のMVに影響を与えている。たとえばマイケル・ジャクソンの「スリラー」や「バッド」などである。付言すれば、このマイケルのMVの中でのチンピラとの争いがダンスとなるシーケンスや本編の前の寸劇などは、ヒップホップのアルバムにおけるスキットやMVへの影響も大きい。

 1960年代になると、音楽作品に映像を付けてプロモーションを展開するようになる。1964年にリリースされたムーディ・ブルースの「ゴー・ナウ!」では、テレビ宣伝用映像が制作されている。1966年には、ビートルズの「レイン」や「ペーパーバック・ライター」の宣伝用映像が制作される(ちなみにビートルズはこれに先駆けて1964年に「ハード・デイズ・ナイト」と題された擬似ドキュメンタリー形式の映画も制作しているが、MVとしては「レイン」が先となる)。

 ビートルズはこれを皮切りに次々とMVを制作し、これらは売り上げに貢献することとなる。世界的な成功への階段を登る彼らにとって、MVは必要不可欠のツールだった。イギリス出身の彼らは、MVを活用することで、アメリカなど他の国でのプロモーションに際して、実際にその地に赴かなくても済むようになった。分刻みのスケジュールをこなす彼らの身体はひとつしかなく、世界中の全てのファンが同様に彼らの姿を分かち合えるものこそが、 MVだったのだ。MVは、アーティスト像を無限に複製し得る。ここには、ネットワーク経由で複製された像が世界中に放送可能な特性を持つ、ビデオというメディアの本質が表れている。

 1980年代に入ると、MVがますます大きな力を帯びるようになる。1981年にアメリカでMTVが誕生し、MVが24時間流れ続ける時代が到来する。今日ではMVはさらに一般的になっているが、その背景には、技術の発達によりビデオ制作機材やツールが安価で使い易くなったことがある。ポータブルカメラの開発により、低予算のMVの制作が可能となった。この延長にある家庭カメラの高性能化と編集ソフトの一般化、さらにはYouTubeなど動画配信プラットフォームの整備が、MVが重要性を増し続けている要因となっている。

 



 MVには何が映されているのか。MVはアーティストの姿を複製し、宣伝効果を高めるものだった。それゆえ当初は、アーティストが歌い演奏している姿を見せることを目的とした、つまりライブ演奏を記録するような形態の映像が主流だった。しかし、商業的に成功し、高額の予算を割けるようになったレコード会社やアーティストは、楽曲で歌われる内容に基づいた「映画的」な、つまりストーリーを持つMVを志向するようになる。そしてMVでも、サウンドと同様にオーバープロデュースと言えるような傾向が強まっていく。80年代、音楽産業の商業規模拡大により、大手レコード会社に所属するアーティストたちはレコーディングやプロモーションに豊富な予算を費やすことが可能となる。このことがレコーディング技術の進歩とも相まって、より高音質で煌びやかなサウンドが追求されるようになるのだ。ポストプロダクションと呼ばれる編集やエフェクトによるサウンドの加工も過剰に行われる。そしてこの傾向は、サウンド面だけに留まらなかった。売れているアーティストのMVには、一層の予算と手間がかけられるようになる。その結果、アーティストの姿を映してプロモートするのが本来の目的だったはずが、アーティストが映らないMVが登場し始めるのだ。この変化によって、MVには「歌っている側=アーティスト」を映すのか、あるいは「歌われている側=歌詞世界の物語」を映すのかという選択肢が生まれてくる。

 これは、ヒップホップのMVを考えるにあたりきわめて重要な点である。1983年には、さきほども触れたマイケル・ジャクソン「スリラー」のMVが、80万ドルの巨額を投じて制作されている。ミュージカルの映像化や映画の方法論に大きな影響を受けたこのMVは、じつに13分以上もある大作である。最初の4分以上はマイケルと劇中での彼の恋人との劇映画が展開し、その後、ゾンビたちとのダンスシーンを交えながら楽曲のクリップに突入する。

 ヒップホップのMVにおいても、同じような傾向が見られる。ヒップホップが商業的に大きく成功する90年代以降、とりわけその傾向は顕著であり、たとえば1998年にリリースされたパフ・ダディの「ヴィクトリー」のMVは、8分近い大作になっている。そこで描かれているのは西暦3002年の未来都市でのパフ・ダディが演じるキャラクターの逃走劇で、俳優のデニス・ホッパーも出演している。制作費は270万ドルで、最も高額な予算が投じられたMVのひとつに数えられている。

 このようにMVはハリウッド映画化していったが、他方でその反動も見られる。大作化の対極にあるのは、記録映画としてのMV、つまりライブや演奏シーンをそのまま封じ込めるような作品である。個性の強いアーティストたちが重要視するのは、自分たちの「歌っている(演奏している)側」としての身体性だ。いくつかのMVにおいては、この「歌っている側」としての自己像はとても重要になってくる。ヒップホップが標榜するのは、何よりもまず「リアル」であることだからだ。

2 ヒップホップ=ヴィジュアル系


 従って、ここから見て行くのは、ヒップホップならではの「リアル」を追求するMVだ★1。ヒップホップにおいて、MVが特権的な位置を占めていることには異論はないだろう。過去の連載で取り上げたように、1980年代の日本語ラップ黎明期に受けた「『ワイルド・スタイル』の衝撃」とは、何よりも視覚的なインパクトに駆動されたものだった。ファッション、ダンス、グラフィティ、そしてそれらが実践されるニューヨークの街並みは、何よりも視覚に訴えかけるものだった。

「リアル」であることを命題とするヒップホップにおいては、MVとは、何よりもその「リアル」を視覚的に披露できる恰好のメディアなのだ。たとえばグランドマスター・フラッシュの『ザ・メッセージ』(1982年)において、そのリリックに歌われるストリートの様子は、実際のニューヨークの街並みの映像に映り込むストリートの生活者や警官などの姿によって説得力を持つものとなった。

 そして「Keep It Real(リアルにやれ)」を標榜する90年代のゴールデン・エイジ(黄金時代)を代表するウータン・クランの「C.R.E.A.M」(1993年)、ナズの「World Is Yours」(1994年)やモブ・ディープの「Survival Of The Fittest」(1995年)などのMVにおいては、低所得者用住宅であるプロジェクトやストリートが背景となっている。貧困や差別との戦いを視覚化するかのように、冬のニューヨークの寒さの厳しさが重ねられ、アグレッシヴなイメージが全編に満ちている。どの作品でもラッパーたちの背後には、それがユニフォームであるかのようにアウターで身を固めた若者たちの集団が映っているのは、地域と仲間たちをレペゼンするヒップホップのマナーに沿ったものといえる★2

 ヒップホップにおけるMVの大きな役割は、まず何よりもラッパーが曲中で示している「リアル」を、映像によって補強する点だと言えるだろう。そして前回見たように、日本においても78年組などの世代が、従来のアメリカのヒップホップが描いたストリートやゲットーの風景を発見した。それではそれらの歌詞世界の風景は、MVにおいてはどのように映っているだろうか。

 たとえばSHINGO☆西成の「ILL西成BLUES」(2007年)のMVにおいて、彼がラップしている場所は、リリック通り、実際の西成の街だ。その街並みを背景にラップする様子は、紛れもなく彼が「リアル」であることを示しているのだ。どういうことか。

 MVの撮影においては、目立つ格好をしたアーティストや撮影クルーが群れ集まって、カメラを向けて街を闊歩することなる。もし彼らが撮影場所のコミュニティの部外者の場合、許可のない撮影行為は看過されないケースもあるだろう。このMVに収められている職安などの様子を堂々と撮影する行為自体が、地域に認められている存在でなければ到底不可能なのだ。そういう意味では、撮影のロケーション選択の時点で、彼のように「リアル」な存在かどうかが端点に表れてしまう。これは、ヒップホップのMVにおいて、そこに映り込む風景がいかに重要な役割を果たしているかがよく分かる一例と言えるだろう。

 同様にOZROSAURUSの「ROLLIN’045」(2001年)のMVには、市外局番である「045」が示す通り、彼らの地元である横浜の「山下の埠頭」「国際橋」「ランドマーク」などの風景が映り込んでいる。前回に取り上げたリリックの中身と映像を付け合わせてみれば、リリックで様々なランドスケープを追うために縦横無尽に飛び回っていた視点が、MVでは撮影するビデオカメラの視点に置き換わっているのが分かる。さらにANARCHYによる「Fate」(2008年)のMVもまたリリック通り、彼が育った京都の向島団地が背景となっている。

 このように、彼らがそれ以前は日本語ラップにとって匿名的な概念だったストリートやプロジェクトの風景を、固有名で名指すことによって発見したことは、MVの映像にも記録されていることがよく分かる。
 ここで留意しておきたいのは、ヒップホップにおける「リアル」のあり方は一様ではないことだ。アメリカでは特に90年代中盤以降、ヒップホップの商業的大成功により、その成功を「盛る」形で、いわゆるMTV映えするMVも多く制作されている。ブランドファッションや宝石の数々を身にまとい、高級車を乗り回し、シャンパンを片手にラグジュアリーな空間を背景にパーティに興じるといった「メイクマネー」で括られるようなイメージだ。これは、ゲットーやストリートのありのままの状況、そこでのラッパーのありのままの生活を映す、いわゆる「リアル」を求めるMVとは真逆の性質を持つように見える。たとえば前述のナズやウータン・クランは「リアル追求型」の例といえる(モブ・ディープの場合は、「リアル」を追求するあまりに、苛酷な日常を戦場に見立てている。軍服を思わせる迷彩柄のアウターを着込み、暖を取るためのドラム缶の炎が大きく吹き上げるなど、苛烈さを「盛る」結果になっているのも興味深い)。

 確かに、ストリートでのサイコロ博打や、ドラム缶で炎を炊くといったイメージは、それがヒップホップのMVであるからこそ意味を持ち得る風景だろう。しかし一方で、底辺であるゲットーからの成功、成り上がりの物語もまた、紛れもなく実際に起きていることであり、これは成功者にとってのリアルに他ならない。つまり貧困を強調するにせよ、成り上がりを強調するにせよ、どちらのベクトルに「盛る」かの違いはあれど、ここで指向されているのはどちらも同じく「リアルであること」(とはいえこれはあくまでも虚構的な効果である)なのだ★3

 



 以上見てきたように、ヒップホップのMVにおいて「リアル」が様々な形で表れていること、そしてその「リアル」を担保するのに「風景」が一役買っていることが分かった。しかしそこに映り込む「風景」は時代により様々であり、何よりも日米でその扱われ方が異なっている。その違いについて考えるためには、次のような問いを立てるのが有効かもしれない。つまり、ヒップホップのMVにおいて、ラッパーと風景のどちらがより目立っているだろうか、あるいは、どちらにフォーカスされているように見えるか、という問いだ。

 一概に結論付けることはできないとしても、一般的に考えてMVとは元々、アーティストのプロモーションのための映像なのだから、風景の方が目立つということは有り得ないはずだ。さらに言えば、ニューヨークのゴールデン・エイジのMV群においては、単にストリートやゲットーといったロケーションが多く存在するというだけでなく、繰り返し何度もラップの中で歌われ、またMVにも映されることで、類型化していったことは確かだろう。だからアメリカのMVにおいて、そのような風景は目立つことなく、文字通りラッパーを際立たせる背景としての機能を担うに留まる。その結果、ラッパーの側、そのアピアランスや挙動が一層フォーカスされることになる。

 しかし、日本語ラップにおいては事情が異なる。ラッパーたちが「自分が自分であることを誇る」(by Kダブシャイン)ためには、何をリリックの対象とするのか、言い換えればどんな風景を歌うのかが問われる。日本語ラップ黎明期においては、その問いの答えと、実際に目の前に広がっている日本の風景とが接続される回路は簡単には見つからなかった。だがその後、特に78年組のアーティストたちにより、風景が発見されていくという過程があった。その風景は、何よりもまずリリックの中で描写されるが、同時にMVにも映り込んでいることが確認できる。

 いや、風景が映り込んでいるというより、むしろ風景のMVにラッパーが映り込んでいる。そのように表現したくなるほど、西成の街並みや横浜のランドマークの数々、向島の団地は、存在感を持ってMVの映像をジャックしている。歌うべき風景が見つからないという特殊な状況に置かれた日本語ラップであったからこそ、風景の側にフォーカスされたMVたちが誕生したのだ。

 しかしラッパーと風景のどちらが目立っているかという問いは、そもそも意味をなさない問いかもしれない。なぜなら、ラッパーと、そのMVに映る風景は不可分だと言えるからだ。彼らは何よりも地元(=フッド)の風景とそこの仲間たちをレペゼンする存在だ。だから彼らは、文字どおりMVに映る背景を背負っている。その証左に、MVにおいて、彼らは歩いている(もしくは車で走っている)。彼らが歩いているところをカメラが追うため、結果的に彼らの背後に流れゆくリアルな風景を追うことにもなる。そのようにして風景の側がフォーカスされ、それがそのまま、前景のラッパーのアイデンティティとなるのだ。

 そしてこの風景とラッパー自身が不可分であり、間違いなく同じ時間に同じ空間を共有している、ということを担保している装置がある。それは、「唇」である。一体どういうことだろう。次回はヒップホップのMVにおいて、唇が果たす役割に着目してみたい。

 


★1 本論で取り上げるのは、あくまでも「リアル」であることをひとつの評価軸とする作品である。しかし付言しておくと、ヒップホップは引用/サンプリングが基盤にある文化であるため、様々な先行作品のパロディやオマージュも多い。これらにはヒップホップのMVにおけるまた別の重要な点が見て取れるため、この議論はまた別の機会に譲りたい。
★2 ここでは90年代前半の類型的なリアルを追求した例を挙げているが、もちろんヒップホップのMVにも、他のジャンルと同様、様々な趣向を凝らした作品が数多く存在する。ヒップホップにおいては「オリジナリティ」が重視されることもあり、MVにおいても、いかに類型的な他の作品と違ったものであり得るかがひとつの評価軸となる。だから、ときに圧倒的な技術力で、ときに発想の斬新さで、ときにユーモアを交えて、「オリジナルさ」を披露するMVも多い。  そしてそのようなMVにおいて、斬新な発想を映像にする手助けとなるのが、CGを中心とする動画編集の技術や、機材の革新である。MVとは、それらの技術を用いて、長尺の映画では簡単に実現できない革新的な映像をいち早く提示するジャンルでもある。メディア理論家のレフ・マノヴィッチは『ニューメディアの言語』(みすず書房、2013年)の中で、MVというジャンルが、画像を操作するという「コンピュータのおかげで可能になった数々の新しい可能性を探求するための実験室」であり、デジタル映画にとっての「生きた教科書」「つねに拡張していく教科書」であるとまで述べている。特に90年代以降、それらの技術を自由自在に使いこなすハイプ・ウィリアムスなどの監督の作家性に焦点が当てられるようになると、そのようなMVの「実験室」としての傾向は一層強まったと言えるだろう。
★3 90年代にヒップホップが商業的に大成功を収めて以来、アメリカでは「盛る」系統のMVがむしろスタンダードとなったと言ってもいいだろう。しかし、こと日本においては、極端に「盛る」方向性のMVは比較的少ない。定量的にこれを例示することは難しいが、この点もまた、日本語ラップのMVとリアルの関係を考察する上で重要と思われる。

吉田雅史

1975年生。批評家/ビートメイカー/MC。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉初代総代。MA$A$HI名義で8th wonderなどのグループでも音楽活動を展開。『ゲンロンβ』『ele-king』『ユリイカ』『クライテリア』などで執筆活動展開中。主著に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、磯部涼氏との共著、毎日新聞出版)。翻訳に『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(ジョーダン・ファーガソン著、DU BOOKS)。ビートメイカーとしての近作は、Meiso『轆轤』(2017年)プロデュース、Fake?とのユニットによる『ForMula』(2018年)など。
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