展評──尖端から末端をめぐって(8) ReFreedom_Aichi について|梅津庸一

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初出:2019年10月25日刊行『ゲンロンβ42』
「あいちトリエンナーレ2019(あいトリ)」をめぐって何かを発言することは非常に難しい。その理由のひとつに、あいちトリエンナーレ自体がいつでも鑑賞可能な美術展だけでなく音楽のイベントやパフォーミングアーツが同時に開催されるような、複数のコンテンツが折り重なった構造になっているということが挙げられる。全てを鑑賞することは限りなく不可能に近い。いつでも鑑賞可能な美術展だけをとってみても、観客が用意した時間内にその全てを鑑賞することは困難だ。そもそもどんな作品を鑑賞する上でも「見切れなさ」はつきまとうものだし、あちこちに点在する映像作品に冒頭のタイミングで出会うことは稀である。また愛知の街の観光や、昼食のお店選びといった展示以外のタスクもうまく組み込む必要がある。同伴者がいる場合はさらに不確定な要素が絡んでくるだろう。つまりトリエンナーレとはチェックポイントだらけのウォークラリーのようなもので、ただ完走するだけでも相当のカロリーを消費するため、各々が適宜妥協したり工夫を凝らしたりしなければならない。よって通常の展覧会よりも観客の鑑賞体験にばらつきが出やすいつくりになっていると言えるだろう。  もうひとつの大きな理由として「表現の不自由展・その後」★1の閉鎖が各方面に引き起こした事態が挙げられる。これについては連日のように報道され、SNS上にも膨大な数の言葉が溢れかえっているので今さら説明する必要はないだろう。この事件は「アート」と呼べる範囲を大幅に超えた社会問題に拡大していて、どこから手をつけて良いのかまるで見当もつかないというのが正直なところだ。  わたしは九月七日、八日の二日間に渡って愛知に滞在し美術展の会場のほぼ全てをまわった。それにもかかわらず、自分はあいトリについて何か語る資格があるのか? という疑念が頭をよぎったのだった。今回のあいトリには、公開されている情報を時系列順にちゃんと把握するだけではなく内部(舞台裏)の参加作家やキュレーターの葛藤や体験をある程度内面化していなければコメントしづらいような雰囲気が確かに漂っている。今回の一件について理論立てて考える能力と材料を持たないわたしが的を得た発言をできるとは到底思えない、それでもいち鑑賞者の感想として残しておきたい。  先ほどあいトリを取り巻く状況は「アート」という範囲を超えた社会問題になっていると言ったが、実際のところそれは間違いかもしれない。なぜなら、今回の「表現の不自由展・その後」の閉鎖に対して展示のボイコットや作品改変を通じて問題提起をした作家の多くは、昨今主流になりつつあるソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)★2系の作家だからだ。SEAとは、人々の対話や議論を通じて社会変革を求めていくアートの形式で、まだ黎明期の段階にあると言える。理論的、実践的な性質が強いために、従来の美術史や芸術としての自律性、作家がつくった造形物などにほとんど依拠する必要がない。対話や議論や人そのものが作品のメディウムであり、状況自体が作品の支持体になるのだ。よって会場のインスタレーションといった作品の物理的な側面よりも意思表明や振る舞いの方が重んじられる。今回問題提起した作家たちの判断については、筋が通っていると思うし納得できるところもある。このような問題が起きた時こそ、SEAの真価が問われるからだ。だがその一方で、現代アートは一般的にはマイナーなジャンルなので、初めて見た現代アートの作品が撤去後に掲示されたキャプションだけとなってしまった観客も少なくないのではないか。ボイコットした作家たちは一般の観客ではなくアート界もしくは未来のアートヒストリーばかりに目を向けて行動しているようにも見える。  その傾向は、「あいちトリエンナーレ」実行委員会や「表現の不自由展・その後」実行委員会とは別の独立した組織として、参加作家の有志によって結成された「ReFreedom_Aichi」★3により顕著だ。「ReFreedom_Aichi」はあいトリ出品作家の展示再開を目指すプロジェクトである。メンバーには海外の作家勢に加え Chim↑Pom、キュンチョメ、高嶺格、高山明など国内外でアクティブに活動するメンバーが名を連ねている。センセーショナルな記者会見や、見やすく洗練された web サイトの迅速な立ち上げなど流石の段取りとチームワークの良さを見せつけた格好だ。またプロジェクトのための資金を調達するためのクラウド・ファンディングは、一〇月二日現在、八五〇万円を集金しており期待の高さが伺える。また加藤翼と毒山凡太朗によって対話をするためにつくられたアーティスト・ラン・スペース「サナトリウム」の設備費やこれからの活動を未来に残すための記録集の制作費も「ReFreedom_Aichi」のクラウド・ファンディングの収益から捻出される。 「ReFreedom_Aichi」のステートメントや試みは明快でわかりやすい。だからこそ成功しているように思う。しかし、このわかりやすさや手際の良さには若干引っかかるところがある。フレームアップされた対話のための対話、議論のための議論が事態を好転させることはあるのだろうか? 社会変革を求め試行錯誤するはずのSEAが、従来のアートのためのアート以上に手堅くアート界の内側を向いているのではないか? 「表現の自由」というメッセージと作家のタレント性はとても相性が良い。しかしいまやこのメッセージだけがアートとしてのコンテンツになってしまっているように思う。それはもはや、政治家の選挙活動におけるマニフェストと何も変わらないのではないか。  あいちトリエンナーレ、あるいは現代アートの中心的なプレーヤーたちのSEAはまるで24時間テレビのチャリティー企画のようなコマーシャリズムの領域に落ち、すっかりサロン化してしまったように思える。それはSEAというジャンルが現代アートの世界における周縁的なものではなく、現在のトレンドとして市民権を得たことの裏返しとも言えるかもしれない。  政治をアートに持ち込むな、とは全く思わない。しかし、アートの中の政治ばかりが先行してしまっては本末転倒なのではないだろうか。本来なら今回は、マイノリティの人々が素材とされること、つまりそうした人々が作者の求める作品の方向性にあてはまるよう誘導されてしまうことの是非こそが丁寧に論じられるべきであったはずだ。  大きな主語でざっくりしたことを語り、おなじみの有識者を招いたイベントを重ねて交流を深めてもあまり意味はないだろう。それはむしろ、本当に対話しなくてはいけないはずの相手を逆に遠ざけることにはならないだろうか。  わたしとしては、こうしたまるで「巨大な学級会」のような活動が目立つ中で、「アーティスト」という人々はそんなに「対話」や「議論」を好む人たちばかりだっただろうか? という素朴な疑問を抱かざるを得ない。結局は実社会でもちゃんと会社員などが務まりそうな、ディベート能力が高い作家ばかりが台頭してしまうことになる。さらにタチが悪いのは署名だけしてそれに便乗しようという人々だ。そのような行為こそが現代アートを多様化どころかワンイシュー化することに繋がるのではないだろうか。
 ところでわたしは、数日前に「第70回相模原市民文化祭 絵画展★4という展覧会を見てとても感銘を受けた。会場はJR相模原駅の駅ビルの中にある相模原市民ギャラリーだ。入り口には市長や与党の議員から寄せられた祝辞の手紙が掲示されていた。この展覧会にキュレーションは存在せず、一五〇点もの洋画や日本画が会場の仮設壁を覆い尽くすように横一列でぎゅうぎゅうに並んでいた。主に相模原市在住のシニア世代による展覧会だ。絵を描くきっかけは定年後に絵画教室に通い始めたという方が多かった。作品のキャプションには作者の名前や、作品のタイトルだけでなく住んでいる町も記されており、わたしが主宰するパープルーム予備校のすぐ近くにも何人か住んでいることがわかった。だが、そんなことよりわたしは、とにかく文化的な雰囲気がなく殺伐とした典型的な郊外である相模原の街中に、こんなにも多くの制作の営みが潜伏していたことに衝撃を覚えたのである。あらためて実感したことだが、定年後や子どもがひとり立ちした後に絵を描き始める人は、現代アートの人口よりずっと多いのだ。

 さらに「本当に良い!」と嫉妬さえ覚える作品にも出会えた。これについては違う機会にしっかり取り上げたいと思う。そもそもわたしたちのアートないし美術の歴史は、大きな固有名を起点にして紡がれてきた。名が残っているということにはそれなりの理由や根拠があるはずだ。作品がまずあってそれに惹かれる人がいたり、なんらかの政治が絡んだりすることで、善かれ悪しかれ残るものが決められていく。とはいえ、相模原市民文化祭に並んでいた作品を見ていると、美術史上に登録された作品たちと並べても遜色がないと思えるものがいくつもあった。そこでわたしは、原理的には美術史はいくらでも書き換え可能であると再確認したのである。

 話を戻すが、あいトリは現代アートの祭典なので当然だが、出品作家のほとんどが現代アート系の作家で占められている。そして作品のほとんどが、言語化しやすい主張やメッセージ性を含んでいる。もちろん良い作品もたくさんあるが、それはメッセージに共感できたり、同業者的視点から「なるほど」と感心したりするようなものであることが多い。それに対し相模原市民文化祭の作品を見ても共感や感心が浮かんでくることはなかった。その代わり人間という存在の重さや暗さ、そして驚異や禍々しさを感じさせるものがあったのである。

 いま現代アートというプラットホームは、政治的信条に基づいた連帯と亀裂をはっきりさせる「踏み絵」の役割を担ってしまっている。アートはもっと様々な人がシェアできる抽象的な場であっても良いはずだ。わたしは政治的信条の違う他者とまじめな「対話」をするよりも、ひとつの作品をただ隣で一緒に味わったり、共に展覧会を開催したりしていきたい。それは「表現の自由」や「検閲問題」とは関係がない、ぬるく凡庸な意見であることは承知である。けれども、歴史や政治的信条を起点に発話すると対立が生まれやすいうえに、わたしはその対立を有益なものに還元する術を持ち合わせていない。だからこそ、わたしは美術家としてのわたし自身に課されている(と思い込んでいる)役割を全うすることに、より一層専念していきたいと思う。

★1 あいトリのいち出品作家として参加しているが、ひとつの展覧会でもあるため入れ子構造になっている。また会場となった愛知県美術館ギャラリーは愛知県美術館と同じ愛知芸術文化センターの中にあるため、二〇一四年に愛知県美術館で開催された「これからの写真」展に出品された鷹野降大の「with KJ#2」に警察から作品撤去の指示があったこととを思い起こさせる。
★2 二〇〇〇年代から盛んになった「社会的転回」を経たアート。その価値は、社会的、政治的成果や効果に依拠しているため、そもそも芸術としていかに評価するかということも含め議論され続けている。筆者には、SEAにもそれらしくするための特有の美学や技術が存在しているように思える。
★3 あいちトリエンナーレを「検閲」のシンボルから「表現の自由」のシンボルに書き換えることが謳われている。筆者の考えでは、現代アート業界を学校に見立てるならば、この組織は生徒会的位置付けにある。メンバーは九月一〇日の時点で四〇名。
★4 戦後から七〇年続いている市民団体による展覧会。現在、団体の主な年齢層は六〇代から八〇代。元々は数人の絵を描く者の集まりだったのが、徐々に発展していまに至るという。絵画教室で絵を学んでいる人や団体公募展を主な活動の場にしている人が主に活動しているほか、審査員として近隣の美術大学の教員や団体公募展の会員などをゲストとして招聘している。こうした団体は、相模原だけでなく日本全国の市町村にも同様に存在している。
 

梅津庸一

1982年山形生まれ。美術家、パープルーム主宰。美術、絵画が生起する地点に関心を抱く。日本の近代洋画の黎明期の作品を自らに憑依させた自画像、自身のパフォーマンスを記録した映像作品、自宅で20歳前後の生徒5名と共に制作/共同生活を営む私塾「パープルーム予備校」の運営、「パープルームギャラリー」の運営、展覧会の企画、テキストの執筆など活動は多岐にわたる。主な展覧会に『梅津庸一個展 ポリネーター』(2021年、ワタリウム美術館)、『未遂の花粉』(2017年、愛知県美術館)。作品論集に『ラムからマトン』(アートダイバー)。作品集『梅津庸一作品集 ポリネーター』(美術出版社)今春刊行予定。
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