飛び魚と毒薬(2) 詩とアルコールと革命と|石田英敬

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初出:2023年6月22日刊行『ゲンロンβ82』
 前回、ベルナールが数学の担任教師との諍いから、第4学年(14歳、日本の中学3年生相等)で学校がいやになってしまった経緯を書いた。 

 学校からは足は遠のいたかもしれないが、勉強をやめてしまったわけでも非行に走ったわけでもない★1。もともと早熟な少年だったし、年長のお兄さんたちをつうじて文学や芸術好きの仲間と交友関係を築いていったようだ。 

 一番年上(たぶん3、4歳年上)のお兄さんはドミニック・スティグレール Dominique Stiegler といって、将来はジャズの評論家兼ジャーナリストとして名を知られた存在になる(かれは1985年にパリ市立レコードライブラリーに、1960年から1985年までの全ジャズ史を網羅する8000枚のLPレコード・コレクションを納入しているぐらいだから相等なコレクターである★2)。お兄さんの友人にアラン・ビドー Alain Bideau(1946年生まれ、将来、著名な人口学者・人類学者になる)がいて、郊外の町サルセルにはめずらしく大学校グランドゼコール準備クラスの学力優秀な学生だった★3。ビドーは、サンドゥニのポール・エリュアール高校リセの哲学教授ジャン・マルスナック Jean Marcenac(1913-84年)の講義に出ていて★4、ボードレールやランボー、アポリネール、トリスタン・ツアラの詩や文学についての知識をもたらしてくれた。かれは思想面ではサルトルに心酔していて哲学の手ほどきもしてくれたという。ベルナールはビドーやお兄さんの感化で自分も共産党の機関紙『ユマニテ』を読み始めていて、サルトルとかシュールレアリスム、ロラン・バルトとか、デリダやソシュールの存在はすでに知っていた。かれらの本を何冊か、そしてプラトンの『国家』をとても選書のよい団地の本屋さんで買って持ってはいた。だが、当時の自分にはまだそうした本を読みこなす力はなく、読もうとしても挫折したと述べている。

 



 将来ジャズの専門家になるお兄さんはすでにボードレールやアポリネールの詩に曲をつけたりしていた。自分たちがとくに興味を持ったのはシュールレアリストで、詩や芸術に夢中になったと語っている。14歳のベルナールはこの頃から夜な夜な年長の友人たちと飲酒を重ねつつ文学や哲学の論議やシュールレアリスト的経験を積んでいたらしい。だいぶお酒は飲んでいたらしい。 

(付記しておくと、日本人にとってはエッ!と驚きだが、フランスでは飲酒年齢制限は事実上ない。正確に法律をいえば、アルコール飲料を購入できる年齢は18歳以上。ただし、飲むことについては年齢制限はまったくない。子供は成人年齢(18歳)までは親の保護下にあるということになっている。16歳未満の子供にアルコール飲料を飲ませる場合には親がつきそっていなければならない。さらに子供に酔いがまわるほど酒を飲ませるのは軽犯罪となる。つまり、親が同伴していて子供がお酒を飲んでも子供がよっぱらっていなければ親の保護責任下ということになっている。だから、日曜日のパリのレストランの昼食時などには、プルーストの『失われた時を求めて』のマルセル少年を彷彿とさせる、蝶ネクタイをした一丁前のガキが、親たちと高級ワインをすすっている光景を見かけたりするわけなのだ。このフランスの法規では、16歳と17歳のところに法の空白があるように思うのだが、そこは、自分では買えないが自分で飲める、と解釈すべきなのであろう。 

 ベルナールの場合、お母さんの兄がアルコール中毒で亡くなったということがあったのでお母さんが心配したらしい。最近の欧米社会では、若者たちの中毒問題はアルコールよりは麻薬や薬物に問題は移っているようだから、それに比べれば、当時の状況はまだ牧歌的であったといえるだろう。) 

 ランボーの「見者の手紙」を引いて、当時の自分たちにとってアルコールは「全ての感覚の錯乱」の詩的経験だったのだと微笑みながら語っている★5。つまり、詩もアルコールも、自分たちを包囲しつつある資本主義社会の秩序と規範を壊乱する一種の「近代性モデルニテ」の経験だった、と。 

 ある意味ではどの時代にもある文学少年・芸術少年の青春ということなのだろうが、サルセルのような非人間的なコンクリート団地が立ち並ぶ町で暮らす若者たちにとって、アルコールは単調な生活を揺らがせ日常に起伏をあたえるクスリ──本稿のテーマでいえば毒薬ファルマコン──だった。サアダ・ニディヤエ Saada N’Diaye という音楽に精通したマリ人の友だちが一番の親友で、かれの影響で現代ジャズを発見した。詩を読み、何時間もジャズを聴き、仲間たちと芸術や思想を論じアルコールに酩酊するいっぱしの芸術サークルの生活だった。1960年代半ばのパリ郊外の青春だが、少年たちの経験は、もちろんまだ当時のフランス文化の最前線からは遠い。当たり前だ。なにしろ10代なのだし、これからいろいろな冒険に乗りだそうとしているところだ。それでも、ゴダールの『気狂いピエロ』が1965年で、「見つかった、何が 永遠が 海と溶け合う太陽が」というランボーの詩の一節で終わることを思えば、サルセルの少年たちの「酩酊船 le Bateau ivre」はやはり時代の波とシンクロし始めていると思えてこないだろうか。実存のうちで、秘かに反乱を準備していた、と……。

 

石田英敬

1953年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(ちくま学芸文庫)、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)、『新記号論』(ゲンロン、東浩紀との共著)、『記号論講義』(ちくま学芸文庫)、編著書に『フーコー・コレクション』全6巻(ちくま学芸文庫)ほか多数。
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