ライプツィヒから〈世界〉を見る(3) ドイツ語か、英語か|河野至恩

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初出:2013年01月31日刊行『ゲンロンエトセトラ #6』
 ライプツィヒでの生活を始めてから、大学の語学学校の授業を取ったりしてドイツ語を学び直している。買い物などの日常会話で困ることはほぼなくなったものの、少し込み入った話などはやはり長いアメリカ生活で使い慣れた英語に頼りたくなる。しかし、滞在が長くなるにつれ、この地で英語を使うということにはさまざまな意味が付け加わってくることを意識するようになった。

 旧東ドイツ地域のライプツィヒでは、ある世代より上の人々には英語が「通じない」ことが多い。それは、英語の教育を受けていない世代ということもあるが、外国人局などでは、移民のドイツ社会への統合を促進する意味もあってか、あえて英語を使うことを拒んでいるように見えるときもある。一方、若い世代は英語教育を受けているので、ほとんどの人が英語を話せる。アメリカン・カルチャーのシンボルであるベーグルショップなどでは、アジア人と見ると向こうから積極的に英語で話しかけてくる。

 旧西ドイツ地域に行ったり、旧西ドイツ出身の人々と話すと、そうした屈託を感じることなく、自然に英語で会話ができる。しかし、そこに問題がないわけではない。ある日、こんなことがあった。バッハゆかりの教会として知られる聖トーマス教会のツアーに参加したとき、ガイドの中年の女性が英語の話せない方で、たまたま参加していたボン出身の若者が通訳してくれることになった。それは非常に助かったのだが、後でその若者が「この辺りでは第2外国語がロシア語だったから、英語が通じないんですよ…」と私に一言付け加えたのだった。確かにそれは正しいのだが、彼の発言にはかすかな優越感を感じてしまったのだった。また、それより前に、地元出身の40代のドイツ語の先生に「ライプツィヒでは英語が使えないことが多いのでドイツ語の勉強になります」と言って、一瞬気まずい雰囲気が流れたと感じたことがあった。後で、不用意な言い方だったなと反省したのだった。

 これらの場合、「ライプツィヒでは英語が使えない」ことが、西欧世界への統合が進んでいないことのひとつのメルクマールとして解釈されてしまう。しかし、「英語が使えない」ことは「遅れている」ことなのだろうかと考えると、私の思考はふとそこで立ち止まるのだった。ドイツ語で話せないので英語で話す、という選択が、話者が現地語の話せない弱者だというのではなく、英語を押しつける失礼なふるまいをしていると受け取られかねない。そう思うと、英語で話すことはためらわれるのだった。

 



 ドイツ語か、英語か。それは、ドイツの大学でも重要な問題になりつつある。
 背景にあるのは大学教育・研究のグローバル化だ。1999年、欧州29か国による「ボローニャ宣言」に基づく「ボローニャ・プロセス」により、ドイツを含むヨーロッパの大学では単位互換の簡素化など、システムの共通化が急速に進んでいる。大学間の人材流動性を上げることで、ヨーロッパの高等教育全体の競争力を上げていこうという発想だが、学士・修士課程の共通化など大規模なカリキュラムの再編により、現場では少なからぬ混乱が起きているのも事実だ。

 このプログラムにおいて英語で授業を行うことは必須ではないが、「ヨーロッパの学問の共通言語」としての英語の重要性は増してきている。ドイツの大学院では、自然科学や工学だけではなく人文学や社会科学でも英語で論文を書く大学院生が増加し、英語での研究プロジェクトやシンポジウムも増えてきている。私が大学の語学教室で出会った大学院生にも、セルビア出身の歴史学研究者やイタリア出身の文学研究者が英語で博士論文を書いている。

 この流れのなか「学問の言語を英語に切り替えていくのか、それともドイツ語を使い続けるべきか?」という論争がマスメディアでも展開されるようになった。例えば、2010年1月の『ツァイト』紙の記事では、“Soll Deutsch als Wissen-schaftssprache überleben?”(ドイツ語は学問の言語として生き延びるべきか?)という記事が掲載され、両者の意見が掲載された★1。この記事で英語推進派は、英語導入のメリットを強調しつつ、ドイツ語に英語が「混入」することへの不安と学問言語としての英語の使用は区別して考えるべきだと指摘する。一方ドイツ語継続派は、自然科学でも言語はコミュニケーションの手段だけでなく認知的な機能も果たしていると指摘し、研究に母国語を使うことの意義を論じている。

 読者には、数年前の水村美苗『日本語が亡びるとき』をめぐる論争を想起する方もいるかもしれない。しかし、大学での英語化が日本より進行しているドイツでは、この論争はより差し迫ったもののように見える。

 この記事にあるようなドイツ語継続派の議論にも一理あるように思う。研究で使われる言葉を、自分の論旨を伝えるための「道具」と割り切るならば、ドイツ語でも英語でも良いのではないか、と考えることも出来るかもしれない。しかし、世界中の大学で英語が中心言語になっていくとしたら、それは研究の質の変化をもたらすとも考えられる。ノンネイティブの話者が過半数のグローバル・イングリッシュでは、微妙なニュアンスを含んだ言葉は「悪文」として避けられ、クリアで直接的な表現が好まれる。しかし、情報や論旨を伝達する効率だけでなく、言葉の含意やレトリックの比重が大きい人文系の学問では、特にそこで切り捨てられるものも多いのではないか、と思うのだ。

 では、ドイツ語でしか語れないニュアンス、というものはあるのだろうか? 私の場合、ドイツ語を学ぶときにその問いを考えることがある。私の場合、ドイツ語を学び始めたのが英語環境だったこともあり、最初は英語を介してドイツ語を学んでいた。ドイツ語の基本的な単語や文法事項には英語に似ているものも多いため、その戦略は当初はかなり有効だ。それが、今回ライプツィヒに来て、こちらの語学学校で語彙を増やしたり文法の細かな事項を学んでいくなかで、英語的なドイツ語では間に合わないケースが増えてくる。接続法、名詞化、格変化……。ドイツ語の「正確な文法」を学ぶなかで、英語に訳しては失われてしまうドイツ語の微妙な意味の違いの感覚が少しずつ開かれていく感覚がある。

 



 こうした問題は、日本学の世界でも話題になっている。今年の8月、チューリッヒ大学で開催されたドイツ語圏日本研究者会議 “Japanologentag” に参加した。ドイツ、オーストリア、スイス(ドイツ語圏)などの研究者が、文学・歴史から政治学・メディア論まで様々な分野で発表を行う学会である。1972年に第1回が開催されてから、最近は3年おきに開催されている。

 正統派の研究発表から、いまの日本のアクチュアルな問題に切り込む発表まで、こちらの日本学会の分厚さと活発さが強く印象に残った。例えば、今年春までライプツィヒ大学で教えていたメディア論研究者のファビアン・シェイファー氏の発表では、震災後のメディア状況を東浩紀『一般意志2.0』の枠組みを用いながら論じていた。また、先ごろ行政事業レビューで「仕分け」されてしまった「現代日本文学の翻訳・普及事業」(JLPP)の過去10年の業績を振り返るというタイムリーな発表もあった。

 学会に参加しているドイツ語を母語とする日本学研究者と話をしていると、「ドイツ語で日本研究をすることの意味」という問題意識が強く感じられた。英語で書くことで、北米やイギリスの日本学会の議論に参加出来るようになるだけではなく、他のヨーロッパ諸国の研究者とも意思疎通ができる。また、語学能力においても、ドイツ語圏の日本学研究者には英語を不自由なく使える人が多く、実際に英語で研究発表を積極的にする研究者も多い。そのような状況で、「ドイツ語で日本研究の成果を発表する」ということにはどのような意義があるか。それはこのような学会の存在意義にも関わってくる問題である。シーボルトが日本から帰着後編集・出版した大著『NIPPON』がドイツ語で書かれたことでもわかるように、19世紀以降、ドイツ語はヨーロッパ日本学で中心的な役割を果たしてきた。また、ドイツ語での哲学・文献学・文学研究の豊饒な蓄積は、ドイツ語で日本研究をするうえでの大きなアドバンテージであり続けるだろうと思う。ヨーロッパにおける日本学の状況については、また稿を改めて書きたいと思う。

 



 大学の学問の言葉として、ドイツ語を使うか、英語を使うか。一見抽象的な問題とも思えるが、その問題は、ドイツの研究者と接する一瞬一瞬に突きつけられている。メールは、ドイツ語で書くか、英語で書くか? ひとつひとつの選択に自分の「アカデミックな言葉としての英語」への姿勢が表明されてしまう。この状況に身を置きながら、今日ももう少し深くドイツ語の森に分け入っていきたい、と思うのだった。
 

★1 URL= http://www.zeit.de/wissen/2010-04/deutschforschungssprache(編集部注:現在はリンクが切れている)

河野至恩

1972年生まれ。上智大学国際教養学部国際教養学科教授。専門は比較文学・日本近代文学。著書に『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年)、共編著に『日本文学の翻訳と流通』(勉誠出版、2018年)。
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