楽器が買えなきゃ、踊ればいい。──社会主義国家キューバのリアル|ノア

シェア
webゲンロン 2024年2月8日配信

 

 キューバが革命の国であることはよく知られている。チェ・ゲバラとフィデル・カストロ率いる革命軍が、アメリカの影響下にある独裁政権を倒し、社会主義国の礎を築いた。

 そのような武装闘争の歴史や思想背景の強いカリブの島国に、私は計1年以上滞在した。そのため、周囲からは「彼は余程の思念を持ってキューバに行ったのでは」とのイメージを持たれることも多い。期待に添えず申し訳ないが、そういうわけではない。

 当初は人気漫画『ONE PIECE』が大好きで、「キューバはカリブ海にあるらしい! ワンピースに出るような海賊がいそうじゃん! 面白そう」くらいの興味だった。決して真面目な動機ではない。

 そのような軽いノリで私が最初にキューバを訪れたのは2015年。キューバとアメリカが国交正常化に踏み切り、半世紀ぶりに雪解けへと向かった重要な年だった。それまで外国との貿易機会が限定され、物資不足に悩まされてきたキューバだが、これを機会に外国資本が一気に流入した。さらに当時のアメリカ大統領であったオバマがキューバの街を訪問し、人々は大いに歓迎した。そのため、1959年から64年間にわたって続いた社会主義がついに終焉を迎えるのではないか、と噂されるようになった。そして、今のうちに社会主義国の古いノスタルジックな街並みを見ておきたいと、キューバに観光客が大量に押し寄せる年となった。かくいう私もその一人だったのである。

革命広場のチェ・ゲバラ壁画。メーデーにはこの広場に向かい、全国から100万人以上がパレードを行う

 2015年の初めてのキューバ滞在時に私は、今にも朽ち果てそうなバスの中で、地元の高齢の男性に話しかけてみた。人生のすべてを社会主義体制の中で生きてきた彼に「これから外資がたくさん入ってくるけど、この国はどうなると思う?」と尋ねると、「神のみぞ知る」との返答が。「キューバを出たいとは思わないの?」と続けて問うと、「僕は故郷を離れない。この国が変われば僕も変わるし、それが人生だ」という言葉がきっぱりと返ってきた。

 バス前方では、ラジカセを担いだ少年が音楽を垂れ流している。80年代の名曲、シンディ・ローパーの「Time After Time」だ。ノスタルジックな雰囲気のただよう車内で、老人の言葉が妙に脳裏に焼きついていた。

 社会主義から資本主義に変革するかもしれないこの国で、果たして彼の人生はどうなるのだろうか。たとえば、彼がすでに幸せを感じていたとして、今後モノが当たり前に手に入る社会となった時、さらなる幸せを手に入れることはできるのか。先進国と呼ばれる国で育った私には、この答えは出せなかった。

 このような一国家の変革期の真っ只中に居合わせた私は、帰国し会社員となる。しかしキューバへの関心は消えなかった。そして、ついには会社を辞め、2019年の8月に再びキューバの地へと足を踏み入れた。コロナウイルスの蔓延により2020年3月に日本へ帰国するも、2023年2月より半年ほどキューバに滞在し、現在は一時帰国中である。このエッセイでは、私がキューバに滞在して出会った人々や、アメリカ大統領選およびコロナ禍によって急激に変化し続けている社会主義国のリアルをご紹介したい。

葉巻とラム酒、そしてアメ車

 キューバは、アメリカのフロリダ半島の南側に位置する、カリブ海に浮かぶ島国である。フロリダ半島の南端から距離を測ると、実は約150kmほどしか離れておらず、これは東京から静岡までとほぼ同じだ。かつて、泳いでフロリダに渡ろうと試みた人もいたため、キューバ政府は亡命防止として、サーフィンを禁止しているほどである。

キューバの海岸通り、通称「マレコン通り」と「モロ要塞」。この海の先がフロリダ半島となる

 キューバ共和国が成立したのは1902年だが、この島国はそれまでスペイン領であった。したがって、公用語はスペイン語となる。ただし、キューバのスペイン語には、独自の単語がさまざまに存在する。たとえば、「友だち」は通常のスペイン語であれば「Amigo(アミーゴ)」だ。しかし、キューバでは「Asere(アセーレ)」という、辞書にないスペイン語を使用する。加えて訛りも強く、一般的なスペイン語学習者からは「キューバ人のスペイン語は、まるで歌っているように聞こえる」と言われるくらいである。そのため、スペイン語習得中の私自身、キューバ人との会話には大変苦労をしてきた。しかし、私が一度「クバニョール(キューバ版スペイン語)」を話すと、キューバ人は本当に嬉しそうにマシンガントークをかましてくれる。キューバ人に認められた気がし、これが実に楽しい。

 

 そして、キューバはスペイン領時代、黒人奴隷によって国土が耕されてきた国である。このことから、キューバの人種は黒人が多いのではというイメージを持つ人も多いようだが、少なくとも現在はそうではない。実際には、黒人系が25%、白人系が25%、そしてムラート(混血)が50%である。人種に偏りがなく、肌の色がグラデーションのように多様に存在する姿は、キューバの魅力の1つであると言えるだろう。

キューバの国営スーパー(MLCショップ)内の風景。棚には多くのラム酒「ハバナクラブ」が並ぶ

 キューバ経済を支える主産業は、砂糖と葉巻、そしてラム酒の生産だ。現地のスーパーでは、水よりもラム酒の方が圧倒的に多く並んでいて、見ているだけで酔ってしまいそうだ。ただ、ラム酒に砂糖やミントを混ぜて作るモヒートが、暑い気候に最高にマッチする。キューバに行く際には、ぜひカクテルと葉巻のマリアージュを、カリブ海の前で嗜んでほしい。

 アメ車が走るクラシックな街並みを見るためにキューバに来る観光客も多い。現地では、今なお1950年代のアメ車が走行している。キューバに行けば、タクシー代わりにいくらでもそれらに乗ることが可能だ。

 お馴染みの黄色いタクシーも増えてきてはいるが、アメ車の出番が激減することはしばらくないだろう。キューバで自動車を輸入すると800%の税金がかかる。したがって実質新車の輸入は難しく、何十年もアメ車をリペアして使わざるを得ないのである。こうして、今ある部品でなんとかする技術は、おそらく世界トップレベルに育っている。

首都ハバナの街角市内、今もなお現役日常で稼働するアメ車と

 葉巻を吸いながらラム酒に酔い、アメ車に乗ってカリブの風を感じる。このような情景から、世界でも有数な「インスタ映えする国」として私はキューバを推している。

キューバは怪しい怖い国?

 そのようなキューバの魅力を伝えたいと思い、私はX(旧Twitter)やInstagramでキューバの情報を発信し始めた。ある時、フォロワーに「キューバを観光先として“選ばない”理由は?」という質問を投げてみたところ、一番多い回答は「遠いから」、次に多い回答は「治安が心配」であった。さらに聞いてみると、歴史の授業で習った「キューバ革命」や「キューバ危機」というワードが、なんとなく恐ろしいイメージを与えているらしい。

 しかし実際には、キューバの治安は安定している。まず、キューバは国内の経済が脆弱なため、外資に頼らざるを得ない。したがって、観光客から外貨を得るべく、キューバ政府は全力で観光立国を目指している。その観光客保護のため、街中には数メートル毎に警官を配備しているのだ。

 加えてCDR(革命防衛委員会)という、いわゆる秘密警察に属し活動する住民も多くいる。キューバは共産党が独裁体制をとっているが、CDRはいわば社会主義国家の実現を目指す共産党の支持コミュニティだ。街中で治安を脅かそうとする者がいると、CDRのメンバーが警察に報告する。この点、国と民間が正式に協力して治安維持に当たっているということができ、最近日本でトレンドに上がる「私人逮捕」とは異なる意味合いを持つだろう。話題の「私人逮捕」は必要の範囲を超えた恣意的な行為であると非難され得るが、キューバでは国が推奨する行為だからである。他にもワクチン接種キャンペーンや献血活動も担っており、CDRでの活動が自らの生活水準の維持にもつながっている。

 ただし、共産党に反するような自由な思想を存分に表現できないという点において、CDRは必ずしもポジティブな組織ではない。親しい間柄であっても、裏切られ、密告される恐れはやはりある。また、近年は政府に対する平和的なデモ活動に対して、狂信的なCDRメンバーが暴力を振るう事件も発生している。その際にはすぐにSNS上で情報が拡散され「真の自由を求める」声が上がっていることも、事実として書き留めておきたい。なお、このような時にSNSで国家のイデオロギーに反する情報を拡散するのは、基本的に亡命済みのキューバ人である。キューバにいなければ、政府に身柄を拘束される恐れがないためだ。

 CDRはたしかに社会主義国の「監視機能」の役割も果たしている。しかしキューバでは少なくとも、観光客の保護は重視されている。

社会主義を本気で実現しようとしている国

 このように決して治安が不安定な国ではないが、キューバ政府が実質一党独裁の状態にあるのは事実である。そのような体制に賛否両論あることは承知している。その上で伝えたいのは、キューバという国家は世界で唯一本気で社会主義を続けている国だ、ということだ。

 たとえば、キューバでは国民の医療費は無料である。そして、平均寿命はアメリカとほぼ同率だ。お金がなく貧しいお国柄ではあるものの、国民の健康維持に対しては政府はかなりの力を注いでいる。

 すこし話はそれるが、『ドクターX~外科医・大門未知子~』というドラマをご存知の方も多いだろう。このドラマで、米倉涼子氏演じる主人公は、キューバの医科大学を卒業している設定となっている。放映時には「なぜキューバなの?」とSNS上では話題になっていたが、実はキューバの1,000人当たりの医師数は世界2位。人口当たり日本の約3倍の医者を抱えているのだ。また、世界で初めてHIVの母子感染を撲滅し、最近では自国でコロナワクチンを開発。中南米、南米諸国に、キューバ製ワクチンを届けてきた★1

 さらに教育にも力を入れており、識字率は99.8%と世界トップクラス★2。大学卒業時まで教育費もすべて無料である。また、誰もが学びの場を享受できることは、野球などスポーツ分野やバレエがキューバで盛んであることにも影響している。野球を習いたい人は誰もが野球を習い、バレエを学びたい人は誰もがバレエを学べる。つまり、これら競技に挑戦する人口が多くなるわけだ。すると、その中から選抜された選手は、相当な強さを持っていることになる。キューバが野球大国であることは日本でも有名だが、強さの秘密にはこのような背景がある。

首都ハバナの野球スタジアム「エスタディオ・ラティーノアメリカーノ」

 そんな社会主義の理念が浸透したキューバだが、なかでも私がそれを強く感じたのは、国をあげたLGBTQ+への理解促進の施策である。

 私は2019年9月から半年間、フィデル・カストロの母校である国立ハバナ大学にて授業を受けていた。ある時『苺とチョコレート』(1994年)という古いキューバ映画が教材となった。これはゲイ同士の友情物語だ。

 かつてのキューバは、男は男らしく、といったように厳格なジェンダー規範があった。しかし、この映画が国内で反響を呼び、性差別をなくすムーブメントが拡大。2010年には、ついにフィデル・カストロ自らが、革命政権下で性差別をしていたことを認めて謝罪を行っている。そして、現在は性転換手術の無償化やトランスジェンダー議員の誕生など、LGBTQ+への実質的な施策が打たれている。

 今キューバの街を歩くと同性カップルを当たり前のように見かけるし、彼ら専用のクラブやバーも点在している。LGBTQ+など性的マイノリティの人々が選ぶ観光先として、すでにキューバは絶大な支持を得ているそうだ。

 これほどまでにキューバでLGBTQ+への理解が進んでいる背景には、元国家評議会議長ラウル・カストロ氏の娘、マリエラ・カストロ氏による尽力も無視できない。彼女はこれまで、性教育センターのトップとして性差別に反対し、LGBTQ+への理解を求める運動を拡大してきた。こうした国をあげた取り組みから、2022年にはついに同性婚が合法化された。

 

 ビートルズのジョン・レノンは、かつて革命家チェ・ゲバラについて「世界で一番かっこいい男」と称した。これに応じるかのように、ジョン・レノン没後20年には、キューバの首都ハバナにジョン・レノンの銅像が置かれた。その側には彼の代表曲「Imagine」の歌詞が記されている。

ジョン・レノン銅像のある「ジョン・レノン公園」。過去にはイギリスのチャールズ国王や、ヘヴィ・メタルシンガーのオジー・オズボーン氏もこの公園を訪問訪れた

 私はキューバにいて、社会主義を目指すことがいくら「夢想的だ」と言われようが、この国は本気でその実現を目指していると日々感じてきた。それが良いのか悪いのかは分からないし、ディストピアだと考える人もいるだろう。しかし、ジョン・レノンが「Imagine」で叫んだ世界をキューバは理想とし、本気で目指しているのだ。

 

アメリカと雪解け、インターネット革命へ

 そんなキューバの社会主義体制が大きく揺らいだきっかけが、冒頭で述べた2015年、当時のオバマ政権との国交正常化だった。翌年オバマはキューバを訪問。アメリカ大統領のキューバ上陸は実に88年振りの出来事であった。これにより、キューバとアメリカ間での商取引規制は緩和され、モノと金が一気にキューバへ流れ込んだ。この国交改善の動きを、キューバでは「雪解け」と呼んでいる。港にはフロリダからの豪華クルーズも着船するようになり、街角には一生懸命英語で商売しようとするキューバ人が増えていった。私自身、さまざまなアメリカ人旅行客との縁に恵まれた。そして、彼らと煌びやかなホテルの屋上やバーで、爆音で流れるアメリカンポップスと共に朝まで踊り明かした。ミラーボールの下でステップを踏むのは、まさしく日本の高度経済成長期に生きているような感覚だった。

キューバのクラブ。平日にも拘らず、キューバ人と観光客が入り混じり、朝まで踊り続ける

 キューバという社会主義国では、国民の9割ほどが公務員という扱いである。したがって、基本的には職業関係なく給料は一律だ。それにも拘らず、この時はタクシー運転手が「一番儲かる職業」となっていた。米ドルを持つ観光客が大挙し、こぞってチップを渡すようになったからだ。そのため住民間での貧富の差が開きはじめた。また、観光客向けのホテルやレストランでは牛肉やミルクが提供される一方で、国民の食卓にはこれらの食材が回ってくることはない。したがって「外資がたくさん入ってきているはずなのに、どうして私たちキューバ人の食卓には変化がないのだ」と、政府に対する不満も膨らんでいった。このように、アメリカ人を中心とした観光客優先の改革が進むにつれて、持たざる者が増えたことは、雪解けによる負の遺産であろう。

 雪解けと同時に、「インターネット回線」が急速に普及したことも外せない話題だ。それまでは、どうしてもインターネットに接続したい場合、1時間1,000円以上を支払う必要があった。しかも、頑張って繋げても2G回線。つまり、繋がらないに等しかったのだ。

 そのため、たとえば野球のテレビ中継を見るために、みんなで公園やバーに設置されたテレビに集まっていたものだ。まるで日本の昭和のような風景だが、キューバではこれはたった7~8年前の話である。

 そんな「セルフデジタルデトックス」な国であったが、オバマ政権は2016年に「キューバにインターネット接続を拡充する」と明言。これに呼応する形で、AirbnbやNetflixといったテック企業がキューバに進出し、併せてキューバの国営通信会社「ETECSA(エテクサ)」は国中にアンテナを設置していったので、翌年にはキューバのインターネット普及率が初めて50%を突破した★3。今では4G回線への接続も可能となり、キューバ人はインターネットを通じて世界中の話題を取り入れることができるようになった。最近では、いわゆるユーチューバーやインスタグラマーも登場している★4。インターネット革命が、キューバでは今起きているのである。

再び国交断絶、テロ支援国家に指定

 嬉しいことに、私のSNSにはキューバ観光に関する問い合わせが多く寄せられる。しかし、「ぜひキューバへ!」と大きく主張できないのが、正直なところである。なぜなら、今のキューバはとてつもなく貧乏(物資不足)であるからだ。オバマ政権下で雪解けが来たものの、トランプ政権となりアメリカ-キューバ間の国交は再び断絶。バイデン政権に代わった今も事情は同じである。当初はアメリカはオバマ政権時代の意向を踏襲し、キューバへの制限を解除するだろうと楽観視されていた。しかし蓋を開けてみると、むしろ制限は厳格化されたのだ。キューバは「テロ支援国家」に指定され、商取引の制限はおろか、アメリカ人のキューバへの観光は禁止になる。アメリカに住むキューバ人による母国への送金も制限された。ちなみに、アメリカでテロ支援国家に指定されているのはキューバ、シリア、イラン、北朝鮮の4カ国のみである。

 日本人ですら、2021年1月12日以降キューバに訪問歴がある場合には、ESTA(電子渡航認証システム)の保持のみではアメリカに入国不可となった。また、コロナが未だ猛威をふるっていた2021年に、私はコロナ禍で苦しむキューバ人を保護するため、有志らと共に募金活動を実施したことがあるのだが、その際には「国際的制裁を受けている国家を支援した」という理由で、私のアメリカ系オンライン決済サービスの口座が一時凍結となった。命を救うボランティアのつもりでも「テロを支援する国を支持している」と考えられてしまうのである。

 加えて、新型コロナウイルスが蔓延。友好国であるベネズエラは経済危機に瀕し、同じく友好国であるロシアはウクライナと紛争を開始した。追い討ちをかけるかのように、史上最大規模のハリケーン・イアンが上陸し、全土が停電、家屋は破壊され、キューバの一大産業である葉巻の生産地も吹き飛んだ。

祖国か生か──増え続ける亡命者

 こうして外資の助けはなくなり、国内物資が限界に到達した。国民は配給で得られるわずかながらのパンや豆でギリギリの生活を強いられている。私自身、2023年春には、ペンやノートを購入するためだけに、街中を3日走り回って探したこともあった。もちろん、お金さえ払えばある程度の贅沢もできるが、たとえば卵は1個50円。一般のキューバ人が買える値段では決してない。

 ただし、キューバは労働者の一割ほどに対しては自営業のライセンスを与えている★5。特にコロナ禍以降は、観光客減少による経済打撃に対処するために、自営業の認可業種を拡大している。また、中には家族や友人が海外に住んでおり、外貨をキューバ国内に送金してもらう人もいる。こうした限られたキューバ人だけが、国からの給料以上の資金調達を期待でき、物価高に耐えることができる。

 この実情を聞いて「それでも、医療と教育は無料なんでしょ? それに比べて日本は給料は低いのに税金が……」と思う人がいるならば、それはやはり先進国からの目線に過ぎないだろう。一部を除いて、給料は一律でわずかな額。お金があったところで、物資不足で生活必需品ですら手に入らない。とはいえあからさまな抗議は公にはできない。この状況に耐えるか、決死の亡命をするかだけがキューバ人に残された選択肢なのである。

 こうして、キューバ人の間で亡命の意思がふつふつと芽生えてくることとなった。

 1953年7月26日、チェ・ゲバラおよびカストロ率いる革命軍は「祖国か死か」という合言葉の下、革命の火蓋を切った。しかし今、人々は「祖国か生か」と叫び、亡命を選択している★6。倒れるまで一緒にラム酒を飲み干した私の友人も、最近「蒸発」した。

 

 ただし、近年の亡命は経済的困窮のためというだけではなく、「夢を追う」ために国外へ出る人も多い。

 キューバには「Mi Casa Es Tu Casa(私の家はあなたの家)」という言葉がある。この言葉には「貧しい時はみんなでモノをシェアし、辛い時はみんなで気持ちを分かち合おう」とするキューバ人の心が表現されている。

 私は2019年滞在時にはホームステイをしていたが、いちどひどく体調を崩してしまったことがあった。その際には、宿主がいつの間にかキューバ料理を作ってくれて、数枚のサランラップに包んで置いておいてくれていた。私は、この家では食材不足はおろか、サランラップ1枚ですら洗って干して、何度も使用していることを知っていた。そのため申し訳なさを感じつつも、まさしく「Mi Casa Es Tu Casa」の精神に触れることができた。私を家族のように考え、モノがなくなることよりも、分かち合うことを優先してくれたのだ。

 一方で、キューバ人はアメリカとの一時的な雪解け時に、資本による物質的な豊かさを知った。さらにインターネットの普及によって先進国の情報がたくさん入るようになった。キューバの人々の中に、物資に溢れた環境への羨望が一気に生まれたのだ。

 野球選手の亡命は日本でよくニュースになるが、彼らは「使い古したグローブをみんなでシェアすることはできる。でも、もっと良い器具、もっと良い施設があればメジャーで活躍できる」と考える。つまり、夢を追うために母国を去っているのである。

それでも踊る──キューバ人から学んだ幸福

 自分の夢を追うためとはいえ、亡命すれば、慣れ親しんだ土地を離れ、新しい言語・文化・環境の中で一からやり直さなければならない。だから、その行為を選ばない人がいるのも事実だ。アニメで日本語を習得したというキューバ人の友人は、日本で通訳の仕事をしたいという夢を持っている。彼はまだ20代後半で、十分に夢を追える年齢だろう。しかし、彼は家族や友人を優先し、キューバに残る決断をした。「家族と離れることの寂しさは、いくらお金があっても拭えないよ」と、彼は冗談混じりに話していた。

 

 私は別の国に住む数人のキューバ人とも出会ったことがある。彼らもまた祖国を忘れたことはなく、中には「家族と会えないなんて、やっぱり嫌だ」と、キューバへの帰国を望む人もいた。今のキューバでは米も砂糖もろくに買えないことを承知の上でも、帰国したいのだという。しかし亡命者は基本的に、亡命先で永住権を取るまでは母国の土を踏むことはない。最近では海外派遣されたスポーツ選手や医者が亡命するケースが増えているが、その場合でもおよそ8年間はキューバに帰ることはできない。帰りたいから今すぐ帰る、ということは決してできないのである。

 人間は誰しも幸せになりたいと思うものだ。そして幸せの実現には、経済的な安定や恵まれた物資が必要であると、まずは考えるものだろう。しかし、キューバ人たちの歩みを見ると、その考えには疑問符が付く。人々はお金やモノが手に入ったとしても、最終的には幸せを故郷や友人、家族を求めるようだ。

 2023年の夏のある日、キューバの首都ハバナのとある広場でコーヒーを飲んでいると、どこからか漏れ出るメロディーに合わせてサルサダンスを踊る女性を見かけた。物不足を嘆く風潮の中で、なんて幸せそうにリズムを刻むのだろうか。その美しい姿を見ていて、私は以前にサルサバーで出会った、キューバ人ダンサーとの何気ない会話を思い出した。その時の私は、日本から持参したイヤホンが壊れ、好きな音楽を聴けずに嘆いていた。彼は私にこう語った。「イヤホンがなくて音楽が聞けない? それなら自分で音楽を演奏すればいいじゃないか」「楽器が買えない? それなら踊ればいいじゃないか」。

 ないものねだりするのではなく、今持ってるモノで楽しもうぜ、ということなのだ。このダンサーの言葉は、先に触れたように、ホームステイ先での経験とも通じるものである。

ホームステイ先の「マリッサの家」。デング熱で倒れた私を急いで病院にも運んでいただき、彼女らは命の恩人でもある

 現実にはこの瞬間も、夢を追って資本主義の世界に移るキューバ人はいる。今のキューバの物資不足はすさまじく、やむを得ない決断であることもたしかだ。葉巻を吸い、ラム酒を味わう余裕は今のキューバにはない。キューバ国内でも共産党の求心力は低下しており、フィデル・カストロの弟であるラウル・カストロの退任以降、投票率は下落。前述のように国家はたしかに理想的な社会主義国としての未来を追い続けているが、国民の立場からすれば、まずは今日、そして、明日を生きることに必死にならざるを得ないのである。私自身生活が厳しくなり、ほかの事情も重なって現在は日本に一時帰国している。

 しかし、この帰国はあくまで「一時」のつもりである。私は、目の前にあるモノから得られる幸せがあることをキューバ人に教えられた。そして、モノとは物的な形に限らず、たとえば身近な存在との絆であるのだろう。それはきっと、資本主義であれ社会主義であれ、幸福の根本にあるはずだ。

 

写真提供=ノア

 

★1 通信社ロイター「キューバ、国産コロナワクチン候補「アブダラ」の有効性92.28%」より、各国のキューバワクチン購入状況を参照。URL= https://jp.reuters.com/article/idUSKCN2DY0NV/
★2 識字率の数値は、日本貿易振興機構(JETRO)海外調査部米州課による2016年8月のレポート『キューバの政治・経済概況と ビジネス機会』、5頁目参照。URL= https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/01/a791f4356e0495f3/20160055.pdf
★3 ビジネスデータプラットフォームStatistaが公表する、2010年から2021年までのキューバにおけるインターネット利用人口の割合を参照。URL= https://www.statista.com/statistics/739036/internet-penetration-cuba/
★4 キューバ人はクレジットカードを作ることができない。そのため、外国にいる家族や友人が外国にて口座を作成することで、ユーチューバーやインスタグラマーは活動を可能にしている。
★5 ビジネスデータプラットフォームStatistaが公表する、2012年から2024年までのキューバの総雇用人口に占める自営業者の割合を参照。URL= https://www.statista.com/statistics/1038997/share-self-employed-workers-cuba/
★6 Patria y vida(祖国か生か)をスローガンに、2021年に歴史的な規模の反キューバ政府デモが発生。URL= https://www.bbc.com/mundo/noticias-america-latina-57811478。SNS上では現在もこの言葉をハッシュタグにし、キューバ内外の人々が抗議活動を行っている。もちろん、物資不足による亡命に限らず、政治的自由を求めて亡命する者も多い。

ノア

1993年生まれ。学生時代に世界一周を経験。大手電機メーカーに3年間勤務後、スペイン語とラテン文化への興味からキューバのハバナ大学に語学留学。現在はITベンチャーに従事しながら、SNSにてキューバおよび中米・カリブ諸国の発信に努める。

1 コメント

  • TM2024/02/15 21:41

    キューバのイメージは完全にキューバ危機でとまっていて、時折聞かれるMLBへの夢追う亡命くらいだった。 オバマのときの雪解けとトランプの揺り戻しもぼんやりとしか知らなかった。 眼の前の幸せと垣間見た幸せそうな未知の世界。 あるがままその場で踊ることを考えると、幸せという意味がよくわからなくなる。 何処にいようとも踊ることはできるし、ない楽器を欲して焦燥感に駆られることもある。 ただノアさんがまた戻ろうとするのはキューバでしか得られないものがあるからなんだろう。 素敵な写真とともにそれが感じられた。 ありがとうございました!

コメントを残すにはログインしてください。