浜通り通信(13) 小名浜の「一湯一家」|小松理虔

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初出:2014年11月6日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ #24』
 浜通り通信、小名浜の小松理虔です。先月10月11日で、震災から3年7カ月が経ちました。原発廃炉に向けた作業は、今もなお変わらず続いているわけですが、どうでしょうか皆さん、普段「福島の存在」を意識することは少なくなってきたのではないでしょうか。

 しかしながら、廃炉への作業は今も続いていますし、今なお故郷から遠く離れて暮らしている方がたくさんいらっしゃいます。福島県双葉郡広野町の「東京電力広野火力発電所」では、今この瞬間も、首都圏に向けて電気を生産し続けています。首都圏の皆さんが電化製品のスイッチを入れた瞬間、コンセントを通じて福島に繋がっていることをたまに思い出して頂ければと、こうしてキーボードを叩いています。

 さて、少し重い入りになってしまいましたが、今回の浜通り通信では、私の暮らす「小名浜」という町についてご紹介したいと思います。これまで12回ほど「浜通り通信」をやってきましたが、そういえば私の地元のネタをそれほど紹介していませんでした。気軽に読み流して頂ける内容ですので、お茶でも飲みながらゆるりとお読み頂ければと思います。

 私の地元、福島県いわき市小名浜は、いわき市の東部に位置する港町。いわき市の人口32万人のうち、およそ7万6千人が小名浜地区に暮らしています。JRいわき駅やいわき市役所のある平(たいら)地区と二大経済圏を形成しており、平地区を行政、商業の町とするならば、小名浜地区は工業、漁業、そして観光業の町といえばわかりやすいでしょうか。いわき市の "海側の" 中心が小名浜です。

 現在の「いわき市」は、1966年に14もの市町村が広域合併して誕生した市です。合併当時、「市」としての面積は日本一でした。しかし、合併から50年が経とうとしている今も、合併前の区割りの影響がまだ強く、政治家が「オールいわき」という言葉を好んでよく使うことからもわかるように、実際には各地域バラバラで、「いわき市」という統一感を出すのに苦労しているというような状況です。小名浜は小名浜、平は平、そう考える人が多いのです。
 面積も広く、初めて来る方にはどこまでがいわき市で、どこが小名浜で、どこが常磐なのか、なんてことはわからないはずです。いわき駅周辺で宿をとった方が小名浜にいらっしゃると、「今日はいわきのほうにホテルをとりました!」という方が多いのですが、小名浜もいわき市ですので、「平に宿をとりました」というのが正しい言い方。その一言だけで「ああソトモンか」と判断されてしまいますので、いわきにいらっしゃる方は最低限の「地名」を覚えてくると、地元民と打ち解ける速さが違うかも分かりません。

 震災直後は地名を巡る小さなトラブルもありました。双葉郡にある町村を「とみおかちょう」とか「ふたばちょう」と呼んだ方が多かった。正しくは「とみおかまち」であり「ふたばまち」です。地方に暮らす人は、地名に深い愛着やプライドを持って暮らしていますので、呼び方を間違えると、たったそれだけのことでビミョーな空気が流れたり炎上したりしてしまう。ナントカというジャーナリストも「いわき漁港」とかいう架空の漁港を……この話はやめておきましょう。

 そういえば、宮城県の「女川原発」とごっちゃになって、「小名浜原発」とか言っちゃう人も震災直後は沢山いました。女川にも「高政(たかまさ)」という蒲鉾メーカーがあり、女川第二中学校(現在は閉校)も小名浜第二中学校も同じ「オナニ中」なので、何かと似た感じではあるのですが、小名浜に原発はありません。小名浜にあるのは「ソープランド街」です。間違えないで下さい。
 

写真1 かつて金星座という映画館があった場所に、今はソープとスナックが店を構えている
 

 せっかくなのでソープランドの話をします。
 小名浜では、現在も20軒近くのソープランドが営業をしています。その由来は町の長老に聞いてもはっきりしないのですが、遠洋漁業が盛んだった頃、陸に上がって大金を手にした漁師たちにつかの間の癒しを提供しようと戦後あたりからポツポツとできてきたようです。どこの港町にも似たような話があるかもわかりませんね。ただ、今もなおこうしてかなりのソープランドが営業しているのは、東北では小名浜くらいのものでしょう。
 

写真2 看板には堂々と「ソープランド」と書かれている
 

 実は、小名浜には「いわき特殊浴場協会」という組織があり、そこが統一的な料金体系(現在の入浴料は16,000円)を作るなどのルールづくりを進めた結果、安値競争になることもなく、あるいは高騰することもなく、比較的安定した、且つ明朗な会計を実現していると言われています。過度な客引きもないし、ボッタくられるわけでなく、安心して入浴できるというわけです。各湯房のキャストの年齢は比較的「高め」で、一説では小名浜一帯が「地雷原」だという話もありますが、そんなことはありません。それこそまさに「風評被害」ですよ!

 ソープランドは、どこも古びた外観をしているのですが、これ、風営法の関係で「立て替え」が難しいのですね。新たに営業許可が下りない。ですからソープランドは昭和の趣を今なお残したまま、小名浜の「奇景」を形成しているわけです。さらに言えば、小名浜の場合はそれがまた住宅地と混ざり合うように存在しているのがいい。ソープランドの隣には普通に民家があり、ソープランドの駐車場で子どもたちがサッカーをしていたり、ソープランドのすぐ隣に学校の体操服が干されたりしている。隔離されることなく、ここまで「日常」と溶け合うように風俗街が共存している土地を、私は今のところ小名浜以外に知りません。
 

写真3 住宅地とソープ街が渾然一体となった日常の風景
 

写真4 ソープランドの玄関に干された洗濯物
 

 日常と溶け合う、という意味では、ソープランドで作られる「お湯」も欠かせないパーツです。実はソープランドで使われるお湯は、震災前まで、小名浜工業団地にある「日本化成小名浜工場」の廃熱を利用して作られていました。日本化成の関連会社である「小名浜配湯」という会社が運営する配管を通じて、小名浜地区の各世帯に供給されていたのです。私の家も、このお湯でした。ガスや電気の湯沸かし器を使うのではなく、蛇口をひねるとお湯が出てきて、毎月配湯料金を支払ってお湯を使うのです。小学校低学年の頃だったか、泊まりにいった友人の家で、初めて「ガス湯沸かし器」を見たときの「うわああ燃えてる!」という衝撃、今も忘れられません。
 

写真5 小名浜遠景。工場の煙突が見える。小名浜が工業の町だということを表す写真
 

 この配湯事業が始まったのは1970年。地元の商店街や旅館など(おそらくソープランドも)が地域経済への貢献のため日本化成に要望を出したことがきっかけになったようです。工場排熱と工業用水を熱交換してお湯を作り町中にお湯を届けるという、当時日本初の「地域熱供給事業」だったそうです。震災前から設備の老朽化などで経営が悪化し、震災が致命傷となって配湯事業は終わりを告げましたが、今聞けば「最新のエコシステム」のような配湯事業が小名浜にあったんですね。

 かつて首都圏に石炭を供給した常磐炭鉱には、社員や家族の結束を表す「一山一家」という言葉がありましたが、小名浜には「一湯一家」とも呼ぶべき、工場が中心となった「お湯のコミュニティ」が存在していたのです。とてもロマンティックな話だと思いませんか? 工場が作ったお湯が地域の住民を癒し、そしてまたソープランドを訪れる客をも癒す。つまり、ソープランドと私の家のお湯は同じなわけです。どれほどの「お湯兄弟」が生まれたことでしょう。

 配湯事業を始めた「日本化成」という会社は、いろいろ資料などを見てみると小名浜になくてはならない存在だったことがわかる。小名浜に進出したのが戦前の1939年(昭和14年)。進出当時の社名は「日本水素工業」でした。工場の建設用地の確保にあたっては、それまで海岸だったところを埋め立てており、それが端緒となって小名浜の「工業化」が進んだと言われています。小名浜にもともとあった鉄道の経営を任され、工場から泉駅を経由して常磐線へと繋がる「福島臨海鉄道」の鉄道網を整備したのも、この日本水素でした。
 

写真6 日本化成小名浜工場遠景。工場夜景のスポットでもある
 
 日本水素が小名浜の工業化の地ならしをしていたこともあり、1964年に制定された「新産業都市建設促進法」では、福島県内の「常磐・郡山地区」がその指定を受け、小名浜に新しい工業地帯が整備されることになります。小名浜製錬株式会社小名浜製錬所、東邦亜鉛小名浜製錬所などの大工場が相次いで操業を開始、小名浜の工業化が一気に加速することになるのです。

 この新産業都市建設促進法、昭和30年代にすでに衰退しつつあった「鉱業」の生産地に新たな産業基盤をもたらそうと制定された法律だということが重要です。全国で15の地区が指定を受けましたが、常磐地区以外も、道央や東予、大牟田など炭鉱のお膝元が多い。つまり、小名浜の工業化は「国策」であり、国策として「石炭の次」が小名浜に作られたわけです。日本水素がその端緒を作ったわけですから、この工場の存在は、小名浜の歴史を語る上で欠かすことができません。
 

写真7 日本化成小名浜工場正門。筆者の自宅から徒歩1分
 

 私の家は、この日本水素、現在の日本化成のそばにあります。地名は「小名浜松之中」といいます。海岸沿いに自生する黒松の美しいところだったそうで、江戸時代の歌人・内藤露沾も、小名浜の美しい景色を『小名浜八景』として詠った際、八景の中に「松之中夜雨」を選んでいます。しかし、その「松之中」という歴史ある地名も、日本水素の進出でいつの間にか「水素前」という俗称が定着しました。子どもの頃、母がいつも「水素前の小松です」と言って出前を取っていたのですが、社名が新しくなって「日本化成」という会社になっても、「化成前」ではなく「水素前」という呼び名が続いたところに、日本水素の強い影響力を感じずにはいられません。
 

写真8 工業団地の美しい夜景
 

 もちろん、小名浜には美しい漁港があり、漁業も盛んですし、水族館を中心にした観光業も盛んです。しかし、私にとって小名浜の原風景とは、この工場のある景色。灰色の煙を吐き出す煙突、無機質な建屋、赤く錆び哀愁を漂わせる配管、その周りには平屋住宅が立ち並び、風が吹くとトタンの屋根がバタバタと音を立てる……そんな風景を、私は美しいと思ってしまうのです。
 

写真9 工業団地内にある堺化学小名浜工場。工場夜景の名所のひとつ
 

 地方なら「あるある」なのでしょうが、ある地域に進出した工場というのは、その地域の「プライド」に関わる歴史を作っていることが多い。極端な例えかもしれませんが、仮に小名浜に原発が進出していたら、その原発に、親しみも愛着も、そして誇りも感じていたと思います。原発を礼賛するつもりは毛頭ないのですが、そうした存在が「地域のプライド」に関わる話だということをまったく理解することなく、「あれがすべての元凶だ」といった話をしたがるから、余計に溝が深くなってしまうのかもしれません。
 

写真10 大型タンカーも乗り付ける小名浜港。国際バルク戦略港に指定されている
 

写真11 小名浜の漁港越しに見える住宅地。素直に美しい町だと思う
 
 いわきや浜通りが、首都圏の便利や快適を支えるためにエネルギーを作り続けてきた歴史は厳然とあります。それを「押し付けられてきた」、あるいは「首都圏の植民地だった」と語る方もいます。確かにそういう面はあったのでしょう。小名浜とて、国策で工業化されたわけですから。しかし、工場で働いている人、今もエネルギーを作り続けている人は奴隷なのか。「植民地」ではなく「供給地」としての誇りを取り戻さなければならないのではないか。そしてその誇りは、受益者と生産者が一体となるからこそ生まれるものなのではないか。それらはどうしたら取り戻せるのか。

 これって、つまるところ「NIMBY問題」です。もしかすると、ソープランドもそうかもしれません。私たちの生活になくてはならないもののはずが、周縁化し、不可視化する。そんなものは誰も見たくはないかもしれない。しかし、あっという間に忘れられてしまう。そしてまたぞろ「植民地」などと呼ばれ、悲劇が繰り返される。そんなことはもうまっぴらなわけです。見せ方を変えて、伝えていかなければならない。

 個人的には「ツーリズム」、「アート」、「演劇」なんだろうなあと考えていますが、まだまだ地元にクリエイターも育っていないし、ツーリズムといってもまだまだツアーも観光客も少ない。日本の近代化、高度経済成長、そして現代社会を下支えしている福島ですから、福島に接続することは「日本」に接続するということだし、東京を無視して世界にアクセスすることに繋がると思うんですね。

 ということは……表現者を目指すなら、クリエイティブな仕事を志すなら、旅をするなら、やはり福島を避けては通れません。福島に来なければならない。いわきや双葉を見なければならない。そして、小名浜で、ひとっ風呂浴びなければならないのです!!

 もちろん、ソープだけではありません。小名浜には近場に普通の温泉もあるので女性の方も安心して温まれます。そうそう、冬の小名浜と言えば「アンコウ」ですよ。アツアツのアンコウ鍋と、おいしい福島の地酒もあります。ぜひこの冬は小名浜でさまざまに暖をとりながら、小名浜から東京を、そして世界を見つめてみてはいかがでしょうか。

写真提供=小松理虔
「本書は、この増補によってようやく完結する」。

ゲンロン叢書|009
『新復興論 増補版』
小松理虔 著

¥2,750(税込)|四六判・並製|本体448頁+グラビア8頁|2021/3/11刊行

小松理虔

1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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