浜通り通信(26)浜通りで続ける抵抗|小松理虔

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初出:2015年5月22日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.37』
 大阪都構想の賛否を問う住民投票、すごかったですね。大変注目度の高い投票でしたが、これほどの盛り上がりを見せるとは想像もしていませんでした。投票率も66.83%と国政選挙などと比べると非常に高く、有権者の皆さんの関心の高さを伺い知ることができました。ここでわたしは都構想について何らかを論じるつもりも、橋下さんについて論評するつもりもなく、ただ単純に投票率の高さとあの盛り上がりが羨ましく感じた、ということを言いたいだけなんです。

 というのも、さきの福島県知事選では、我々は投票すらさせてもらえなかった。大阪の盛り上がりをテレビで見るにつけ、あの屈辱的な福島県知事選を思い出して少しやるせなくなります。2014年の福島県知事選は、震災と原発事故後はじめての知事選であり、除染による放射性廃棄物の中間貯蔵施設の受け入れや、震災復興関連が争点になると見られていました。佐藤雄平知事の震災直後の対応もまた、選挙戦の論争でさまざまに検証されるはずでした。

 当初は、元日銀福島支店長だった鉢村健さんが自民党福島県連の推薦で立候補を表明していて、民主党などが推薦し、佐藤県政下で副知事だった内堀雅雄さんと一騎打ちになる構図でした。ところが自民党本部が「鉢村候補では負けるかも」と危惧し、こともあろうか内堀さんに相乗りすることを決定したんですね。福島県知事選は沖縄県知事選の「前哨戦」でもあり、自民党本部も負けた印象を残したくなかったのでしょう。
 地元の自民党県連が推した候補を潰して党利党略を優先するというのは、まあこれが政党政治なのでしょうが、あまりにも県民をバカにしすぎでしょう。当時の菅義偉官房長官のコメントはこうです。「福島県は原発で大変な問題を抱えている。基本的に政争をするような状況ではない」。 いやあ思い出しただけでムカつきますね。政争してるのはどっちだよと。わたしたちが自らの将来を、リーダーを選ぶ「投票」を「政争」にしているのは自民党本部ではないかと。マジであの頃の怒りを思い出します。

 選挙の結果は、予想通りの無風。副知事の内堀雅雄さんが、いわば「内部昇格」で当選し、福島県知事に選ばれました。得票率も68.4%とまさに圧勝。他の候補を大きく引き離す結果となりました。そりゃそうですよ。自民、民主、公明、社民の4党が支援してんですから。対抗できる候補もおらず、まったく盛り上がりにかける選挙となってしまいました。最終投票率は45.85%でした。まあこんなもんです。ちなみに私の住む小名浜地区の投票率はなんと31.52%です。「絶望」と言わず何と言えばいいでしょうか。

 世界に衝撃を残し、甚大な被害を引き起こしたあの原発事故が発生した直後の、その当事者である福島県の県知事選挙ですよ? ほかの県知事選とはワケが違いますし、こんなに重要な県知事選なんて歴史上そうそう出てくるもんじゃない。それでも我々は国の都合でハシゴを外され、投票する権利も、事故後の対応を厳しく追及する機会も奪われたわけです。戊辰の敗戦に次ぐ敗戦だと思います。案の定、投票率も上がりませんでしたし、それにしたって小名浜の31%は低すぎます。本当にいろいろと絶望しかありません。
 就任半年を迎える内堀知事は、さすがに手堅い手腕を見せているようです。そうでしょう。元々は国の役人ですし、風貌も役人然とした感じです。「ミスター手堅さ」という称号を与えたいほどです。県内の市町村長からの評価も高いようですし、福島復興再生特別措置法にも県の要望を反映させるなど、国とのやり取りでも手腕を発揮しているようです。県産品のPRにも前向きで、一生懸命さも伝わってきます。こんなところで国とケンカしていたのでは復興も遅れますし、ケンカをやりすぎると予算を回してもらえません。現実的に実を獲るという意味では、やはり内堀知事でよかったのでしょう。

 でも、本当にそれでよかったのかという気持ちを、わたしはどうしてもぬぐい去ることができません。あれだけの被害を受けながら、国に怒りをぶつけるわけでも、激しく応酬するわけでもなく、粛々と、あるいはにこやかに仕事を続ける姿にどうしても違和感を感じてしまうんです。

 怒れと言ったって感情の赴くままブチ切れろと言っているわけではありません。「表明する」ことが必要だと思うんです。それが、国にモノ申すリーダーシップを演出することにもなれば、よりよい条件を引き出すことにもなるし、風化に抗うことにもなるかもしれない。だから要するに「戦略的に」怒りを表明しろっていうことです。これほど国策に翻弄されながら、何の怒りも発さずに、粛々と、いささか揶揄的な言い方をすれば「いかにも役人的に」職務を全うする姿に、わたしはどうしても「この選択で良かったのか」と考えてしまうんですね。

 政治の世界が難しいならば、「表現の世界で」怒りを表明することが求められます。しかし、残念ながら福島県内には大きな影響力を持つ作家もいなければ、象徴的なアーティストの存在も今のところ見当たりません。私たち県民の思いを代弁してくれる存在が、クリエイティブディレクターの箭内道彦さんや、あるいは社会学者の開沼博くん、この二人くらいしかいないというのはとても象徴的だなと思います。いいとか悪いとか言ってるわけじゃありません。
 芸術的な事業を行うための助成金や補助金はたくさんあるのに、わざわざ外からアーティストを呼んでこなければ助成金を消化できず、なんだかどこ行っても「対話」ばかりやっていて何も生まれてこない。県内のクリエイターやアクティビストたちも頑張って活動していますが、「怒りの表明」があるかと言えばそうではなく、むしろ非常に自省的、内省的に、自分の暮らしや食、日常を見つめ直す動きが増えてきているような気がします。「自分たちの生活の身の回りから変えていこう」というのは、それはそれで賛同できることですし、すばらしいことだと思いますが。

 わたしがこの「浜通り通信」の第1回で「いわき回廊美術館」を取り上げたのは、あの場所に反骨心のようなものを感じたからでした。とても楽しい場所なのだけれど、自治体や建築家や芸術家の存在なんて相手にせずに皆さんが「勝手に」表現をしている。建築基準法なんて関係なく、やはり「勝手に」回廊を伸ばしたりサウナ作ったりして遊び尽くしているんですね。それなのに、いつの間にか人が集まり、場が公共性を帯び、今ではいわき市の公式観光ガイドに「いわき名所」として掲載されている。痛快すぎます。

 わたしは「いわき回廊美術館」に見られる動きを「スクウォッティング2.0」だとこの連載に書きました。1970~80年代のオランダでムーブメントとなったスクウォッティングは、あきらかに「反体制」の政治思想が絡んでいました。現代版2.0は意識的な反体制ではありませんが、あとで回廊美術館を運営する志賀忠重さんに話を聞いたら、ハッキリと「最初のきっかけは怒りだった」とおっしゃっている。敢えてここで再定義するならば、浜通りで起きている「スクウォッティング2.0」とは、「原発事故に対する怒りから発した勝手なプロジェクトが、面白くていつの間にか公共性を帯びてしまう」ような動きだと言っていいかもしれません。
 わたしも意識してきました。同じ文脈で言えば、震災後にオープンした「UDOK.」も、地元の連中が勝手に楽しいことをするために開いた場所ですし、そのUDOK.のメンバーが企画する「小名浜本町通り芸術祭」も、芸術家は一人も参加しておらず、勝手に低予算でやっています。原発沖の海洋調査をしている「うみラボ」も、半ば勝手に(もちろん海上保安庁の許可は得てますが)原発沖に行って、シリアスなはずの現場で楽しく釣りをしてるわけです。どれも大した活動だとは思ってませんし、金が儲かるわけでもないんですが、ただなんというか一連の活動で「抵抗」していきたいと思って動いてきました。

 あれほどの事故がありながら県知事選で投票すらさせてもらえない福島県の、その県知事選の投票率が31%しかない小名浜で、わたしはいったい何をなし得るのか。いささか自嘲的に自分を語るならば、結局のところわたしの抵抗なんてものは、このクソみたいなところで自我を保って生きるための「麻薬」のようなものでしかないのかもしれません。愛してますよ、地元ですし。でも、目の前にはいろいろとクソな絶望が転がっている。そんな中で、回廊美術館やUDOK.は、駆け込み寺というか「救い」ともいえる場所になっていました。もしかすると、ここで「浜通り通信」を書くことも、わたしにとっては抵抗であり救いだったのかもしれません。

 さて、このメルマガは、次回から「ゲンロン観光通信」となります。「浜通り通信」も存続ということで、わたしも救われました。しかし一方で、これまでのタイトルに入っていた「観光地化」という言葉 ~当然「福島第一原発観光地化計画」にまつわるキーワードであり、同時に明らかに福島を想起させる言葉だった~ がなくなります。「福島第一原発観光地化計画」はどうなってしまったのでしょうか。しかしいずれにしても、皆さんとの接点を探し続け、提示し続けるのは地元の我々の仕事ではあります。読者の皆さんと福島との接点を無くさないためにも、これまで以上に抵抗し続け、また、浜通りの「抵抗者」を追い続けたいと思います。リニューアル後もよろしくお付き合いください。
「本書は、この増補によってようやく完結する」。

ゲンロン叢書|009
『新復興論 増補版』
小松理虔 著

¥2,750(税込)|四六判・並製|本体448頁+グラビア8頁|2021/3/11刊行

小松理虔

1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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